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子どもの成長記録。発達の心配を抱え療育について考えた日々のこと。

この記事では、現在6歳の息子について発達相談を受けたときのこととその後の経過を書きます。

子どものことは個人差があると思います。気になることは専門家やお住まいの相談窓口におたずねいただけたら幸いです。

気になり始め

5ヶ月から保育園に通っていた長男。
20人も同級生がいて個性豊かな仲間に囲まれて楽しく過ごしてはいたが、心配になるようなこともややあった。

例えば、お友達が挨拶をしてくれても返さない。発表会の舞台で何かを握ってる。何かを聞いてもなかなか返事が返ってこない。みんなが前を見て立っている場で動いたり落ち着かない。お箸やお着替えなどがなかなかできるようにならない、などなど。

肝を冷やしつつ、前年比ではまし、といった感じで様子を見る日々だった。

療育を勧められた

2歳児までの園から年少になるとき転園したら、さあ困った。いきなりクラスに先生が1人になったのだ。出来ないことの多い上に心配な息子。その心配は的中した。

配置基準で3歳児からは20人に1人の先生。それまでは6人につき先生1人なので、一大飛躍だ(シンプルに、先生の負担、常に重いと思うが)。息子はクラスでただ1人先生に着替えを手伝ってもらい、服には大量の米つぶやらカレーなど食べこぼしをつけて帰ってきた。それまで手厚く世話してもらい、見えていなかった息子の未発達な部分が明るみに出たのだった。

案の定、クラス面談で先生に「○○くんは他の子と少し違う」と言われて、どうしたものかと悩んだ。要は、ついていけてないってことだ。

家で出来ることを増やす作戦を決行した。
世はコロナ。
休園期間にあれこれとがんばってみた。

それでも、昼寝の時間に寝ずにふざけてる、時間に間に合うよう行動ができない、こだわりが強く臨機応変な対応ができない、など頭を抱える先生からの報告が絶えなかった。1人だけ、形が不明なぐちゃぐちゃな絵を描いていて、貼り出された絵を見ると不安になった。

当然ながら、家でも、こだわりの強さや、変なところで頑固なこと、人混みや雑踏を嫌がる、運動面で同じ歳の子ができることがまだ出来ないなど心配は絶えなかった。総じて、息子は他人を見て興味を持って真似る、という傾向が弱く、自分の興味に忠実に動いていた。

例えば、3歳になる前にひらがなカタカナアルファベットが全て読めて、電車や路線図や都道府県や国名どんどん覚えてしまうような、極端なところがあった。おしゃべりはできたが会話は苦手。その割に、お友達とトラブルを起こすことはなく親しくしてくれる子に囲まれていた。そんなこともあって、出来ること、出来ないことの差が激しく、出来ないことを減らすことに必死になった。

ここまで読んで、勘の良い方はもう感じていらっしゃると思う。発達の相談をした方がよいんじゃないかと。

発達相談に関する情報を集めたものの相談には至らなかった。少しずつましになっているように親の目には映っていたからだった。お友達とのトラブルもなかった。もちろん、親バカもあったと思う。

年中の終わりの頃に、ついに療育を受けるため発達相談に行くことを保育園から勧められた。周囲の子たちとの差が開いて看過できない時期が来たのだろう。やっぱりなというのが正直なところだった。

発達検査(K式)を受けた

地域の施設で発達検査というのを受けた。結果としては、発達は通常の範囲で家庭と園で引き続き頑張っていきましょう、という内容だった。更に、園にも発達相談員の方が見に来てくれたが療育は必要ないという結論に終わった。大丈夫かな?いや、大丈夫じゃないな、そんなシーソーを往来していただけあって、感想は「この先どうしていこう」。

おそらく、保育園では療育に通ってもらうことで保育が円滑になればという想いがあったと思う。そして、就学に向けて息子のためを考えてくれてのことだと思う。

発達検査の結果で療育は断られてしまった。それでも療育を受けるためには、診断書を書いてくれるお医者さんを探す必要があるようだった。そこまでやる気になれず、再び模索する日々が始まった。本人のやる気がない分野に対しての働きかけは空振りばかり。やるだけやって時が満つるのを待つだけだった。

いつの間に?なぜ?問題が次々と解消。

たまにクセが強いけれどできることも増えて、弟が産まれるとますます頼もしく成長した。なぜか弟誕生の少し前、年長の夏にあたりから心配ごとが解消された。

要因と思われるひとつが小学校受験。
小学校受験は学力運動テストもあるけれど、それ以上に、指示を聞いて実施するとか、聞かれたことに答えるとか、協調して取り組むとか、「当たり前のことができる」を徹底する。教室の先生や周りのお友達に良い影響を与えていただいたことは間違いないと思う。

もう一つは、保育園の先生や仲間たちにも恵まれたこと。
息子が不得手なことを温かく見守り、出来たらみんなで喜んでくれる。迎えに行くと、お友達が私のところに駆け寄ってきて「今日、○○くん、✖️✖️ができたよ」と教えてくれる。「✖✖️ができたら△△をしてあげる」とお友達が書いてくれた手書きのスタンプカードを見つけたときは涙が出そうだった。先生の手腕もすごいし、皆さんどうやって育てたらそんな素敵な子どもたちが育ったのでしょうか?

保育園でもお友達や先生、お友達のママ達と楽しくコミュニケーションを取り、先生からも懸念を示されることがほとんどなくなり、小学校に入ったら友達をいっぱい作りたいと言う。年少のときには考えられないほど息子は変わった。何が決定的に良かったのか正直分からなかった。親から見えない、息子の世界が生まれ育つのを実感する。

うちでやったことは特別なことはなかった。
失敗してもいいよ、練習したらできるよ、と励ますこと。目標を決めてできれば褒めること。ただ、その繰り返し。やりたいことはとことんやらせる。0歳の時から何も変わっていない。あなたは世界でただ1人の大切な存在で、愛されてると伝え続けているだけだった。

できた!という発見が本人の中にあったら前に進むのか、親の意図と関係なく成長した気がする。もともと、やりたいことなら親に教えられなくても勝手にやっていたのだ。

今の状況

今でも、心配の種がなくなったわけではないと思う。やることにムラっけがあるし、苦手な動作はなくなっていない。逆に、繊細な性質を持ち合わせていて、気を遣わないといけないと判明した部分もある。まだまだ、いや、これからがむしろ心配だ。

過去を振り返ると、変わったと特に感じるのはこんなところだ。

人の話を目を見て聞くようになった
人に挨拶をしたり、話しかけるようになった
人と一緒にする遊びをするようになった
嫌なことでも、やらないといけないことは理解してやるようになった

社会性が出てきた、ということだろうか?
他人を意識して行動する、自分を律する、ということを学びつつあると思う。

できる子はもっと幼い頃から自然にできているけれど、息子にとってはちょうど発芽するタイミングが年長あたりだったようだ。今も、できたことをほめて続けるよう促すことを続けている。しっかり保育園での様子を聞いたり、習い事や家で他人への接し方を見ていないとできないので大変ではある。

まとめ

今思えば、心配なときはとっとと発達相談窓口に相談だけでもしてみたら良かったのかなと思う。別に、結果はどうあれ、聞いたことを実施するかは自分で決めれば良かったのだと思う。

きっと、その当時に私に、助けを求め、他人の話を聞き入れ、噛み砕き、選択する心の余裕がなかったのだと思う。夫婦で話して、納得して進んでいたものの、心のどこかで相談しようかな、したいな、と思っている自分もいたから。

もちろん、ちゃんと調べて考えた上で相談もしない、という方もいるし、逆も然りで、良いも悪いもなく、人それぞれだと思う。

子どもはひとりひとりみんな違う。
現に弟は性質や行動が全然違っている。
環境や周りの人たちもその時々で様々だ。

これから、心の中に少しばかりの余白を作っておいて、「もっと他にも道があるかも」と探索できるようになりたい。

気づけば、若い頃からずっとそう思っている。視野の広い人になりたくてなれなくてそんな弱点を引きずっている。

子どもは光の速さで成長する。
成長を見逃がしたくない、そう思って私も変わりたい。

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