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最近の親はしつけができないって意見にショックを受け、子育ては厳しいものだと思う。

日々、身近な人も、遠くの人にも、多くの人に支えられて育児をしていることに感謝している。

でも、たまに、ズキッと胸が痛むことを見聞きすることもある。例えば、義理母が夫に私の母親力がないとボロクソに言っていることを知る時など。

取り分け、先輩にあたる女性からの非難めいた発言には、心が揺さぶられるものである。

年配の男性に対しては、あぁ、この人、子育てを配偶者に丸投げして何もわかってないんだな、という具合に、被害意識の補正を無意識にできる。

こんな記事を見かけた。

車内で泣く子ども「静かにさせろ」怒鳴られる母親を手助けできず…後悔つづった投稿に反響、あなたはどう思いますか?(河北新報ダイジェスト)


バスで2人の子を連れた母親が、子どもがうるさいと年配の男性に怒鳴られたという話。居合わせた乗客が、この母親が降りるべきバス停より早く降りたのではないか?何もできずにいたことを悔やまれる、と記したもののようだ。

いやぁ、これ、あるよねえ…と頭が痛くなる。

先日、夫と子ども2人と新幹線を使って帰省した帰り、自宅へと乗った電車で下の子が盛大に泣き、すかさずあやしたのだが「シー!!」と大きな声をあげる年配男性に睨まれた。隣のマダムが「あらあら、泣きたいのね」と微笑みかけてくれて救われた。マダムが神々しかった。

次の駅で降りる予定だったので傷は浅かったが、もし、隣のマダムに「最近の親はしつけができないから…」なんて捨て台詞を吐かれたら悲しくなってしまっただろう。子育てって辛いと思う。

そもそも、乳幼児が泣いたり、何かを訴えたくなる第一声って、「しつけ」でどうにかなるものではないのでは?と思う。危機を感じて本能で対応しているだけ。

それを、理由を聞いたり、あやしたり、気分を回復させようと親が奮闘するのは別に「しつけがなっていない」訳ではないんではないか?そもそも、子を生かしたまま即座に静かにさせる手段って、飲食除くと催眠術くらいしかない。あれ?催眠術なんて両親学級では教わらなかったなあ?

しつけがなってないとは、言葉を聞き分けられる年齢の子が、故意にうるさくしたり、席を無駄に使っているとか、優先席を譲らない、ってことだと思うのだが…。一般にはしつけというのは3,4歳から成立するそう。

と、話が逸れたので戻すと。
この記事の反応は概ね、乗車を強いられた母親への同情のようだが、年配の女性が、最近の親はしつけができていないので男性も我慢の限界だったのでは?というものがあったようだ。

この女性の言わんとしていることはなんだろう。この女性も常々子どもの声に我慢を強いられているのだろうか?このバス以外の状況下で(病院の待合室とか?)しつけができない親に対する不満が募っているのだろうか?

確かに、「うるさい音」に対してしんどい思いをする人が「小さな子どもの出す音だから我慢しなよ」で済ませれないことがあるだろう。

音に対して敏感な感覚を持つ人や、耳鳴りがする病気だったり、補聴器や聴力の事情で特定の音域だと不快に聞こえる人など…。

子どもがうるさくすることに声を上げたい人もいる可能性は十分にある。配慮しないといけない。

どちらも立たせようとすると「静かにできないならタクシーで移動しなよ!」という意見を子どもに言うのか、「うるさい場所がどうしてもダメならタクシーで移動しなよ!」と言う意見を男性に言うのか、という問題になってしまう。

バスは公共の乗り物で多くの人に役立てたいので、みんななるべく静かに乗りましょうと言う路線でよいのだろうが…

だとしたらやむを得ない子どもの声に対してはなるべく被害が拡大せぬよう、運転手さん始め乗り合わせた人たちが力を合わせてもよいんではないか?と思う。


母親のしつけと結びつけて母子を攻める必要、あるのかなあ…?ないような。
(放置して注意しない親は論外)

そもそも、しつけの意味がわからない人に、しつけがなってないとか言われてしまう世の中。子を引っ叩くのがしつけと思っているのだろうか、それは現代では虐待。

子どもたちは、かつてないほど難しい世の中を生きていくと思う。それに、しつけがなってないとか、言葉が乱れているとか、非認知能力が必要だとか、惣菜買うなとか、冷凍餃子は手抜きとか、親を見る目も厳しくなる一方。

そう思っておけば、ちょっとした優しさに触れた時、ありがたみをより感じられるようになる気がする。

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