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ワーママのキャリア。仕事の線引きどうする?十人十色の私の場合。

ありがたいことに、noteでコメントをいただいて新たな問いについて考えてみる機会があった。

仕事の線引きに対するマインドセットは?との問い

その問いとは。

仕事でやらなければならないと考えていることに対して、それより狭い範囲、あるいは低い水準で「今は、ここまでしかできない」と線を引く時の心の持ちようをどうしたらよいか?

というものだと思う。

最初の感想は、「いやあ〜。そんな、高度な頭の使い方、出来てたことないなあ!あはは。テヘペロ」というものだった。私の頭のスペックがこのステキな問いかけについていってないのであった。

仕事に真摯に向き合い、自分の能力や課題を常に意識して努力して、周りの方々との信頼関係を築いてきているからこそ、この問いが出てくるのだなあと、感嘆した。

そう、この問いが出てくる時点で、この方はめちゃめちゃ仕事ができて、活躍されていること間違いなしである。

「子育て中で出来ないことがあってごめんなさい」と言っても言わなくても、「応援してるよ」「時が経てば今の苦労が報われるよ」「それでもあなたがいてくれるだけで百人力だから!」などと声をかけてもらっているのではないかと思ってしまう。きっとそう。

私的「仕事の線引き」をしてるとき

じわじわと時間をかけて、仕事に対する線引きについて、私もそう言えばあんなことがあったなあ、と思い起こしてみた。

線を引かざるを得ない時ってどんな時だろうか。つまり、仕方ない、とか、諦めざるを得ない、と思う瞬間のことだろうか。考えたらほいほい出てきた。

出張に行けない
気になるポジションに応募を躊躇する
予定していた会議に出られない
終わらせる予定だった仕事が終わらない
約束した返事をしていない
質の悪い出来のまま資料を提出した
あれどうなってる?と催促されてしまう
誰かに代わりに仕事を片付けてもらう

でも、気づいたら、いまの私はこれらについて「線を引いた」とは思っていないようだ。かつては、思っていたと思う。もちろん、前はかつても今も引きまくっている。

仕事の線引きを意識していた時の考え方

かつてと今では、仕事の線引きに対する考え方が違うようだと気づいて、このビフォーアフターにどんな違いがあるか気になった。

第一子の育休復帰後は仕事の線引きをするときに、引き裂かれるような思いに苦悩したものだ。

子どもがいなかったら出来るのに。

片方ではそんな思いに引きずられて、もう片方には、子どものため家族のためにやらなければという思いに引きずられて、どちらも中途半端な自分を責めていた。

どんなに仕事を前倒しに進めて用意したり、周囲と情報共有して協力を得やすいようにしたり、時間を上手に使って効率化を進めたところで、引き裂かれることには変わりがない。

私が退社した後に残った人でした仕事の話を聞くたびに胸が痛んだし、大切な仕事の本番に夫が入院して早退したときも悲しい気持ちを抱いた自分への罪悪感で落胆した。

今思えば、仕事を自分が思うようにやりたいという気持ちがどこかにあったのだと思う。そのマインドセットは、仕事での人付き合いにも現れていて「他の人の意見を聞き入れない」「自分の仕事の成果に注意が偏りすぎ」といったネガティブな人事評価を受けた。

時短でも仕事上の成果は結構上げて賞もたくさんもらったが、その割に、自分が成長できた実感は小さかった。

仕事に対する線引きに対するいまのマインドは

第二子の育休復帰から半年以上が経った。シンプルに言えば、第一子の時との違いとして「焦っても仕方ない」という諦めが確立した気がする。子どもの調子が悪ければ、「来週は最小限で進むしかない、覚悟しよう」と思う。以前なら、なんで今?!などと焦っていたと思う。

それは、仕事のレベルを下げてしまったことになるのだろうか。

第二子の育休前に異動して仕事が変わっているのでなんとも比較は難しいのだけど、単純に仕事の量やスピードだけを見たらレベルは下がっているのかもしれないとは思う。

ただ、代わりに得られたものもある。

以前より仕事を俯瞰して進めている気がするのだった。

例えば、ある締め切りが迫っていて以前なら完璧にやって納品しようとするところ、今なら締め切り少し前に、期待値を再確認して微妙に内容を調整して仕上げたり。周りの人の状況を確認して、一緒にやろうなどと持ちかけて負担を分け合ったり。

言ってみるなら自分の欠けや不足を自分でなんとかしようとしない、そんなふうになった。周りの中に自分を置いている。

よく思うのは、以前は誰かに何かをやってもらえないのは、その人の怠慢とか、依頼の仕方やリマインドが良くないなどと硬直的な捉え方をしていたということ。今なら、もう少し、依頼先に責任をとってもらうようなやり方にするかもな、とか、依頼内容が悪ければ無理に完成させても意味がないからそもそも進まないのであれば内容を見直すかもな、とより立体的に考えると思う。

今は、自分の資源、家族の状態、仕事相手の資源、会社の資源、いろんなことを総合して考えるようになった気がする。だから、線引きをするということに「だめ」とか「いや」とか感情が湧くことはなくて、線引きをするのも仕事の一部と捉えるようになった気がする。

そういえば、かつては、仕事の出来がいまいちだったり遅い人に対して「なんでこんなことができないんだろう」などと考えていたけど今ならその背景や理由や事情を考えられるようになったし、人間関係も良好になった。

なにより、私自身がとてもハッピーに仕事が出来るようになった。

線を引かざるを得ない自分を認めることができるようになったのだと思う。できないことよりできることに集中している。

仕事の線引きする瞬間はなくならないけど

それでも、やっぱり、もっと時間があったらとか、全て休んでリフレッシュしたいなとか、思うことはある。

夫も、在宅勤務の日に上の子の宿題を見たり下の子を小児科に連れていくくらいはしてくれるが、週に2回でヒーヒー言っていた。

夫とはよく、綱渡りの毎日に疲弊して、子どもたちふたりをじいじばあばにお願いして、一泊旅行にでもいけたらいいのにねと言っている。

例えば明日は、下の子は風邪で芳しくないから保育園に行けないかもしれない。もうそうなったら、私はふたつ会議があるから、リスケできればして、できなかったらなんとか一歳児をみながら乗り切らないといけない。たんまりやり残した仕事も、もう1日やり残したままにする可能性もある。最も、被害の少ない方法を考えて乗り切らないといけない。延期する、質を下げて終わりにする、上司や同僚に頭を下げる、何か活路を見いださないといけない。

もしかして、こうした、生きるか死ぬかの判断を重ねるうちに仕事にも使える度胸がついたかもしれない。他の人のピンチを救う時にこれは結構役立っている。

終わらせる、乗り切る、そのためにできることを考える、これの繰り返しだ。できる方向に考えれば、どこかしらに線が引ける。引けたら儲け物。もうだめだ、となったらそれはそれで、次に進むしかない。

その結果、仕事を続けられなくなっても、また、違う道がひらけるだろう、そう考えるしかない。

私という人間は、どうやら、かなり柔らかくなったようだ。

これは弱体化か、進化か。
よくわからないけど、かつてより、よりハッピーに生きていることは間違いない。

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