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私のコンサルキャリア振り返り#1 -限界まで働け!早朝オフィスは死屍累々

はじめに-自己紹介

 どうも、YOUNOです。
 外資系総合コンサルティングファームで、経営コンサルタントとして働いています。入社以来、業務改革支援、構想策定、デジタルプラットフォームの導入支援などを担当してきました。専門領域は物流から経理、人事、購買、システムまで、バックオフィス領域をほぼほぼカバーしています。
 私が好きな言葉は「プロフェッショナルであれ」と、「はい、喜んで承りました!」という極めて社畜的なフレーズです。社歴も長くなり、今では自分自身がコンサルタントとして何を考え、どのようにビジネスを見ているのかを書き記すことにしました。これは私自身の思考を整理する一環でもあるため、何卒温かい目で見守っていただければと思います。

 初回投稿として、私が経験してきたコンサルタントキャリアを通して形成された私自身の”価値観”や”人となり”について共有できたらと考えています。書いてみたら全2回となりました。徐々に投稿できたらと思います

1.夢の丸の内デビューから地獄の社内プロジェクトへ

 2018年より以前は、コンサルタントたちが夜通し資料作成に没頭する時代でした。昨今のコンサル業界の本でも触れられるような、一種の神話のような世界です。この時代のコンサルタントたちは、「Up or Out」の精神が求められ、成長しない者はプロジェクトから退くことが求められました。まさに魂を削るようなやり取りが日常的に交わされていました。

 研修中には、小柄なマネージャーが二回りも大きなスタッフを怒鳴りつけ、コーヒーをぶちまける様子を横目で見ながら、自分がとんでもない世界に足を踏み入れたことを痛感しました。
 スーツを着てスタバのコーヒーを片手に丸の内を闊歩し、社長に説得力のある提案をすることを夢見て入社しましたが、現実は厳しく、早い段階で夢が破れてしまいました(今となっては、その時点で夢が破れて良かったとさえ思っています)。

 入社当時、「コンサルxテック」が注目され、TableauやAnaplan、RPAなどが脚光を浴びていました。新人たちはこれらの技術を学び、高級SIerとしてプロジェクトに参加することが求められました。私自身もそういったナウでヤングでファッショナブルな技術から逃げ回った結果、社内プロジェクトにアサインされ、日々Pythonと格闘することになりました。

 ビジーシーズンに忙殺されているプロジェクトマネージャーに「5分だけでもいいからレビューしてほしい」とお願いしたところ、「お前に5分も使う時間はない」と一蹴された絶望感、また、先輩から「YOUNO君はもっとPythonとかプログラミングスキルを学んだ方がいいよ」と分厚いPythonの本を渡された時のやるせなさ、これらは今でも鮮明に覚えています。そして私にプログラミングスキルがないという現実と、それを教えるための時間やリソースが不足していることを理解したプロジェクトマネージャーや先輩からプロジェクトをリリースされたのは、思い返せばそう遠くない過去のことでした。

2.何でもやるのでアサインしてください!

当時は、一度目のプロジェクト途中リリースはイエローカード、二度目はレッドカードという厳しいルールがありました。私はこの状況に非常に焦りを感じ、なんとしてでも成功しなければならないという思いから、散々逃げ回っていたRPAの門を叩くことにしました(ちょうど当時はRPAが全盛期でした)。新しいプロジェクトマネージャーに「YOUNO君はやる気があるの?」と問われ、「何でもやるのでアサインしてください!」と即答しました。幸い、ノンコーディングは私に合っており、また、クライアントやプロジェクトメンバーとも良好な関係を築くことができ、無事にコンサルタントとしてのキャリアを歩むことができました。

振り返ってみても、当時はまさに戦乱の時代で、右も左も分からずにただただプロジェクトに忙殺されていました。しかし、新卒で何も経験がなかった私がビジネスマナーやプログラミングスキル、上層部とのコミュニケーション方法やお酒の飲み方など、今につながる多くの学びを得られたことも確かです。

3.コンサルも働き方改革?!定時退社しちゃうぞ

 入社当初はとんでもない現場に遭遇したYOUNOでしたが、既存の全力マッチョコンサル時代はすでに終焉に向かっていました。そう、働き方改革です。改革の波がコンサル業界にも押し寄せ、深夜残業の是正とスタッフのオフィスの泊まり込みの禁止、みなし残業時間に至っては100時間から50時間程度まで短縮されました。勤怠管理は形式上とはいえ、打刻式となり、ある程度の勤務時間可視化がなされました。これによりプロジェクトマネジャーは積極的な残業を指示できなくなり、(打刻上)定時退社するコンサルタントが続出することとなりました。
 また、この頃から女性役員の登用が本格化し、ダイバーシティが社内で強く推進されるようになりました。時短勤務の社員が増え、育休を取得する男性社員も増えてきました。プロジェクトメンバーも家庭の事情、自身の希望を主張しつつ、プロジェクトに従事するため、プロジェクトマネジャーが調整に苦慮していたことをよく覚えています。

 私はというと、拡大中の業務改革プロジェクトに、都合よく中心メンバーとしてアサインされました。これにより、かねてより念願のコンサルワークに従事することができ、順調に経営コンサルタントとしてのキャリアも成長することとなりました。併せて飲み会も頻繁に開かれるようになり、東京駅から品川駅まで週5回ペースで飲み食いし、知識だけでなく、脂肪も蓄えました。プログラミングスキルは備わりませんでしたが、コミュニケーションは得意のほうだったため、クライアントとよく食べ、よく飲み、よく働く、コンサルタントでした。

次回はコロナ禍に入ったところから投稿できたらと思います。

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