奇跡体験の話
ごめんなさい。長いです。
23歳。
大学に友達がほぼ居なかったわたしは、1人卒業旅行を決行することにした。
その旅行は、10日間でベトナム→カンボジア→ラオスを横断するというもの。
ベトナムからカンボジアの国境を越えるバスで、わざとめちゃめちゃ遠回りされて屈強なフランス人男性3人と共に辺鄙な町の宿に泊まらされたり、
カンボジアで予約していたガイドになりすました知らんおっさんにアンコールワットに連れて行かれそうになったり、
なんやかんやあったのでその話はまた別の機会にしたい。
今回の話は最後に行ったラオスでのこと。
ラオスは商業施設こそ少ないものの、寺院があちこちにあり、それを国民が大切に思っているのがわかった。
当時の話だけど、舗装されていない道路沿いに住宅が並んでいて、それぞれかわいいお花が飾ってあったり、手作りっぽい外装が施されていて、工夫して豊かに暮らしている感じがとても素敵だと思った。
夕方前に中心街近くの安宿にチェックインした。
貧乏旅行だったので、男女混合のドミトリー。確か、二段ベッドの上部分だったと思う。同じ部屋には白人の男女数人グループがいた。
お散歩して夕ご飯でも食べに行こうかと、ベッドの上で荷物を整理していると、違和感を感じた。
部屋中でやりとりされる英語の中に、聞き覚えのある抑揚…
間違いない。鹿児島弁だった。
九州出身のわたしはブチ上がり、身を乗り出して声のする方を見た。
20代前半のチリチリ頭の青年。そいつは初対面と思われる欧米人と、ハッキリと鹿児島弁で話していた。
話していたというと少し語弊があるかもしれない。相手は容赦なきドイツ語、鹿児島のわけもんは容赦なき鹿児島弁だった。
会話は成り立っているのか?
どちらも何を言っているのか?
何も分からなかったが、とにかく2人は通じ合っている様子だった。
欧米人が部屋を出ていき、チリチリ青年は1人になった。
ラオスで日本人に会うなんて珍しいことだし、何より彼に興味が沸いていたわたしは、チリ青を夕飯に誘った。
彼もやはり、異国で日本人に遭遇したことが嬉しかったようで快諾してくれた。
ホステルから歩いて1,2分のレストランに入って、いろんな話をした。
彼は鹿児島で通信の会社で働いていたが最近辞めた。長く続いた彼女と別れ一人旅でもしてみようとラオスにやってきた、という話をしていた気がする。
鹿児島弁はきつかったけどまあまあ聞き取れた、気がする。
とにかく10年ほど前のことで記憶があやふやだ。だけど明らかに、男女のしっとりした雰囲気がなかったのは覚えている。
お互い、この場限りのいい話し相手になりそうだくらいに思っていたんじゃないかなぁ。わたしは当時里芋の煮っ転がしみたいだったし、彼はウブな感じだったし。
それで、話してるうちに、チリ青がラオス→カンボジア→ベトナム と、わたしが縦断したルートのそっくり逆をこれから辿ろうとしていることが判明した。
わたしたちはまたすごいすごいと大興奮。
わたしは出会った記念に、ベトナムの地図を彼にあげた。これから使えるだろうし。
チリ青は、何かあげれるもんないかなぁとゴソゴソやり、財布から中国の小銭3元を取り出した。
トランジットで使った小銭の残りだと言っていたと思う。
3元って当時、日本円にすると50円くらい?
いらねーわと笑いながらそれを受け取った。
それから、何を食べたか覚えてないけど食事を終え、わたしはナイトマーケットへ、チリ青は飲みに行くために別れた。
翌日彼と会ったのか、もう覚えていない。とにかくちゃんと喋ったのはそれきりで、連絡先も交換しなかった。
わたしは島に移動して数日過ごし、ラオスを後にした。
安く移動しようと思うと、ラオスを発ち1度中国の空港で乗り換えのために降りて、長時間過ごしてからまた飛行機に乗り、日本を目指さなければならない。
チリ青も逆ルートで同じように移動してきたのだろう。
このトランジットが疲れるので、わたしは中国の空港近くにあらかじめホテルを取っていた。このトランジットの時間を利用して、疲れをとって翌朝ゆっくり搭乗しようと思っていたのだ。
しかし中国に着いてから最初の誤算が。
到着時間が遅すぎて、換金所が開いていなかったのだ。
中国のお金といったらチリ青にもらった3元しか持っていない。むしろその時はその3元のことも忘れていた。
おまけに日本では空港から近いと思っていたホテルが、なぜか現地で地図を見るとクッソ遠い。
歩いて2時間とかかかった気がする。
知らない土地で夜中にそんな冒険はできない。タクシーに乗るお金も持ってない。
貧乏学生で確かクレジットカードも持っていなかった気がする(今思えば無謀すぎる海外旅行だ。向こう見ずすぎてイライラしますね)。
仕方なく空港の待機スペースで寝ることにした。空港の床は硬く冷たく、薄着のわたしにはめちゃくちゃ寒くて、寝付くまで時間がかかった。
起きたら結構搭乗時間ギリギリだった。
え待って待って待って待ってやばいやばいやばいやばいやばい
慌てて電子掲示板?あの、直近の搭乗時間と場所が全て表示されている大きなボードのところへ走った。
ない。
わたしが乗るはずの便名がないのだ。
必死に落ち着いて、チケットを確認する。確かに空港の名前も日にちも合っている。
半ばパニックになりながら、近くにいた空港職員ぽいおばちゃんに声を掛ける。
おばちゃんが爆音の中国語と、ほぼジェスチャーの英語で教えてくれたのは「この空港には第1ターミナルと第2ターミナルがある。お前が乗る飛行機は第2ターミナルからの出発で、ここは第1ターミナルだ!」ということ。
空港内のターミナルを間違えていたということだ。無知で下調べもろくにしてなかったわたしは、その空港のターミナルが2つあることを知らなかった。
記憶が定かではないが、搭乗時間まであと1〜2時間というレベルに差し迫っていたと思う。
おばちゃんが指差す方に第2ターミナルに導いてくれるっぽい看板が。全身全霊のサンキューを叫んで、わたしは看板の案内通りに走った。
ターミナルが違うとはいえ、同じ空港だ。走れば間に合うかもしれない。
空港から地下へつづくエスカレーターに乗った記憶がある。
そこは地下鉄の乗り場だった。
そう、わたしの居た第1ターミナルから第2ターミナルまでは地下鉄で行く必要があったのだ。
絶望した。
歩いたり走ったりして行ける距離じゃないことがわかったのと、地下鉄に乗るにしてもお金を持っていなかったからだ。
3元しか。
半ベソで料金表を見る。
第1ターミナルから第2ターミナルまではひと駅で、料金は3元だった。
わたしはその3元の文字を見た瞬間、チリ青がくれた3つの硬貨のことを思い出した。
これは夢か??と思いながらその3元で切符を買うとすぐに地下鉄がやってきた。第2ターミナルに行けて、そんでギリギリ飛行機に間に合った。
夢の中みたいに全部、スムーズに進んだ。
わたしは超常現象や心霊の類を信じていない。でもいつか聞いたことのある「偶然がいくつもいくつも重なると、いわゆる奇跡になる」という言葉は信じている。
この体験があったから。
わたしの無鉄砲さやズボラさが引き起こしたトラブルだったので、わたしがもっと用意周到に準備しておけばよかっただけの話だけど。
でもすごくないですか??
思いもよらないところで、奇跡は起こるっていう、わたしにとっては宝物のような体験の話。
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