#清潔のマイルール

自動車免許の学科を受けていた。
久しぶりに大勢が一つの教室に入る環境で、1時間学ぶ。
ケイタイもパソコンも使えない。
「ケイタイで遊びたい」という訳ではなく、この1時間、仕事の連絡も仕事もすることができない。

お手上げだわ 観念してぼうっとしましょう すごい…こんな何もしない時間なんてどれくらいぶりかしら そうか みんなこの時間を お金を出して買うのね
原田理花(漫画『ハチミツとクローバー』より)
このマンガを読んだときは、「理花さんは仕事し過ぎてんなー」と思っていたが、今はなんとなくこの気持ちが分かる。

仕事をしない、自動車のこと以外、何も考えなくていい。
この時間が少しもどかしく、少し心地よく感じている。

後ろの女の子に、アプリの登録が上手くいかず、「登録できました?」なんて談笑しながら、「なんか大学のときみたいだなー」と思っていた。

そう、僕にも大学生の時代があった。
大学では環境について学んでいた。
「湖の魚を乱獲すると、新しい魚が増えない。
持続可能なラインが大切である。
石油も石炭と同じだ。」
なんてことを教授が言っていたことを、なぜか、今でもよく覚えている。

大学を卒業すると、教員になった。
夢が叶った僕は、担任として、高校生に教室のゴミやら、トイレのスリッパやらの話をする立場になった。
「そんなの、キレイにしてたら、いいやん」と当時は思ってたし、今でも思っている。
基本は適当な性格だ。
人を指導する適性はそんなにない。

ただ、そんな適当さでは、対応できない問題に直面する。
生徒が真面目な顔をして相談してきた。
「街中のゴミを拾ってたら、それだけで1日が終わってしまう。学校に来ることもできない。」
僕も一緒に悩んだ。

無人島に泊まる、という学校行事があった。
プログラムを自発的に作っていく、といったもので、その子が「海岸のゴミを拾いたい!」と勇気を出して、大きな声で大勢の前で言った。

すると、年配の先生が、
「海岸のゴミは拾っても、また流れ着く。拾ってもキレイにはならないんだ。」
と返した。

その子は「それじゃあ、ずっと汚いままじゃん。」と泣きそうな顔をしていた。
僕も泣きそうな顔をしていた。

この2つの体験をどうにか消化したくて、帰ってから、道徳の授業をした。

諦めたくもなければ、無理もさせたくない私は「持続可能」というキーワードを持ち出した。
適切かは分からないが、そのときはこれが分かりやすい気がした。

「気になる部分を少しずつキレイにしていったら、少しずつキレイになっていくんじゃないかな?一気に全部やろうとせず、自分の気になることを少しずつやっていけばいいんじゃなきかな?」とクラスで話した。
その時は名案だと思ったけど、今思うと「抽象的だなー」と思う。
人を教える、ということは適当でゴールがない。
その子が納得できたかは、今も分からないままだ。

でも、この考え方は割と自分の中では腑に落ちている。
#清潔のマイルールとして 、日々意識していたりする。

家でも「汚いなぁ」と思ったら、そこら辺を掃除する。
家全体は掃除しない。

爪切りもそうだ。
一つの爪につき、1パチと勝手にルールを決めている。
「爪を切りたいなぁ」と思ったら、少し整えられたアシンメトリーな爪が出来上がる。
「一気に全てを変えようとするな」と爪が教えてくれるている、気がする。

「一隅を照らす」
* 天台宗の開祖、最澄の言葉で、「一人ひとりが自分のいる場所で、自らが光となり周りを照らしていくことこそ、私たちの本来の役目であり、それが積み重なることで世の中がつくられる」という意味があるそうです。

これぐらいが今の自分には丁度いい気がしている。

時間と余裕があれば、こまめにキレイにしようと思うし、家も爪もキレイだ。

忙しく、気にならない日々が続くと、家も爪も汚い。

汚くなると、時間と余裕を作らないと、と意識するようにしている。
家と爪が一つのバロメーターになっているようだ。

手を洗った後、手を拭くついでに洗面台をキレイにする。
トイレを使った後、ついでに便器を磨く。

ついでにちょっとやるぐらいだが、いつも洗面台とトイレはキレイだ。

時間と心に余裕があれば、持続可能なぐらいでどこもキレイになっていく。

無理せず、諦めず、一隅を照らしていく。

#清潔のマイルールに始まる私のマイルールだ

「あぁ、教え子のあの子の身の回りも心も、持続可能でキレイなままだろうか。」

#清潔のマイルール

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