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文楽劇場の夏

 大学を卒業した夏、文楽劇場の夏休み公演時期のアルバイトに行きました。仕事の内容などの条件は私にとっては何でもよくて、単純に、舞台関係何でも興味津々なので、楽屋の出入口から出入り出来る、ということだけでもワクワクしていました。
私が携わったのは、チケットの予約受付や販売、その他雑務。
当時は、スマートフォンはおろか、携帯電話も一部の人しか持っていない頃。当然、チケットは、お電話か劇場へ来て頂いて購入が当たり前の時代なので、文楽劇場の座席表を見せながら、”ここの赤枠の中からお選び下さい”などと、ご案内していました。

今でこそ、知らない方と話すことが平気になりましたが、元々知らない人と話すのは不得手で、大学を卒業した頃でも、劇場の方やお客様と、どう接したら良いかわからず、悩ましい頃でした。何だか細かいことがミョーに気になったりして、内心はアワアワしながら慣れない仕事に、京都から大阪の日本橋まで通っていました。

が、やはり好きなことは、そういう気持ちも取り払ってくれるものです。
チケットブースの裏の事務室にいると、技芸員(文楽の太夫・三味線・人形遣いの方をこう呼びます)さんがチケットを購入しに来られることもあったので、”あの人は○○さんというのか”と、後で技芸員が全員掲載されている名鑑を見ながら、確認していました。
今は、ちょっと素敵な装丁になっているようですが、当時は、愛想なしのフツーに写真と名前、太夫・三味線・人形遣いのベテランから若手まで、ずらっと並んでいるだけのものでした。

技芸員さんのお名前の漢字を把握出来ていない頃は、かなり手厳しく文楽協会の方に指摘を受け、内心アワアワしながら伝票を書いたことも。。。例外はありますが、苗字の部分は師事している師匠と同じ方が多く(文楽の場合は、竹本、鶴澤、吉田など)、下のお名前で呼ぶのが普通なので、下の名前を間違ってはどうしようもないな、と今なら理解できますが(苦笑)。

ある日、先輩スタッフさんと劇場内の廊下を歩いていたら、小柄な男性が食堂から出てこられ、二人で「おはようございます」とご挨拶。静かにその方は会釈をして通り過ぎました。先輩スタッフさんは小声で、「今の人、人間国宝やで。」と教えてくれました。そっと振り返ったら、落ち着いた佇まいで、スキッとした背中が遠ざかっていきました。
私;人間国宝って毎日お重のお弁当じゃないんですか?
先輩スタッフ;歌舞伎と違うし、そんなワケないやろ~
と、笑われました。
莫迦言ってますが、伝統芸能の人間国宝と聞いたら、素人はそう思ってしまいせんか(笑)。
ちなみに、その小柄な男性は、鶴澤燕三(※1)という、三味線の方でした。

夏休み公演も始まり、日々の仕事に少しだけ慣れてきた頃、郵便物を出して劇場に戻ってきたら、楽屋口前に、救急車が止まっていました。
あら、誰か倒れたのかな?と入っていくと、出演していない技芸員さんがずらっと立っていらっしゃって、救急隊員が担架を運んでいくところでした。
担架に寝ていらっしゃる方を見て、私は”えっっ‼”と驚き、急いで事務室に戻り、名鑑を確認。傍にいたスタッフさんに「今、燕三さん、運ばれて行きました!」とお伝えすると、俄かに事務室が騒然となりました。

モニターを舞台の方に切り替えられ、”今、出ている時間やで” ”舞台中断してないよな…”など、口々に言いながら皆モニターを見つめました。
本来ならば、燕三さんは出演している時間帯で、同じく人間国宝の竹本住太夫さん(※2)との場面なのです。よく見たら、お弟子さんの燕二郎さん(※3)が、裃つけない状態で、演奏されていました。後から聞いた話ですが、燕三さんはご自身の体調に異常を感じ、自ら舞台を降り、弟子の燕二郎さんに交代されたそうです。

燕三さんは、命に別条はなかったものの、その後舞台に復帰されることはありませんでした。
おそらくですが、もし燕三さんが一分でも30秒でも舞台を降りる判断が遅かったら、上演中の芝居は中断、ましてや人間国宝が本番中に倒れたとなると、メディアもかなり大きく取り上げたのでは、と思うのです(実際の報道は覚えていませんが)。
燕三さんの異変を感じながら語り続けたであろう住太夫さん、そして、舞台を降りた師匠の後に床に出て、代わりに演奏をした弟子の燕二郎さん。観劇中のお客様も、その様子を静かに見守っていたのでしょう。
それぞれの冷静な判断で、上演の大きな中断もなく、その公演を終えたことの凄さを思わずにはいられません。
プロの仕事というのはこういうことなのか、と思う印象的な出来事でした。

…続く

※1)鶴澤燕三(五代目)つるざわえんざ 1914年生ー2001年没
※3)竹本住太夫(七代目) たけもとすみたゆう 1924年ー2018年没
※2)鶴澤燕二郎 つるざわえんじろう 2006年に六代目鶴澤燕三を襲名

補足;当時は、語りの太夫の字を表記を、”大夫”と表記されていました。今回は、現在の表記に合わせています。



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