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  A weed is but an unloved flower. 愛されない花


ご無沙汰しております

こちらのアカウントでは、記事の更新をやめるつもりでいましたが

冒頭に紹介させて頂いた記事について、改めて
新たな気づきがあり、
そのことを書きたくなりました


その前に、一時 noteに不具合があり、実験のつぶやき等を投稿したのですが
そのつぶやきや、過去の記事を今でも読んで下さる方が
いらっしゃいます

ありがとうございます


 * * *


さて、

   A weed is but an unloved flower.

直訳すれば、
雑草は愛されない花に過ぎない


はじめは、この詩は なんだか 悲しいものだと
感じました

愛されない、という言葉に過敏に反応してしまったのかも知れません

そこで、この記事を書いて下さった福田さまにもう一度
この英文の訳について、お伺いしてみました

すると

雑草は愛されない、としながらも、「それでも花なのだ」という賛美が隠されている詩だと思うので 、
雑草を卑下するような詩をウィルコックスに限らず詩人が書くわけがなく、、
逆説的に賞賛しているのですね


という、お返事を頂き、
ハッとしました

自分は 愛されないという言葉に囚われてしまっていたので
本当に大切なことを見失っていたのです

幼少期に実母が警察沙汰を起こし、両親は離婚
その後、新しい継母とは 上手く親子関係を築くことが叶わず、
常に
肉親からの愛情に飢餓を感じているような毎日でした

その反動なのか、誰かから 「愛されたい」との想いばかりを
抱えて
沢山の恋愛を重ねてきた人生でもあります


花や雑草について、もう一度考えてみると
彼ら(という呼び方が正しいのかはわかりませんが)は

そもそも、愛されたくて咲いたり、芽吹いている訳ではない
はずです

(ウィルコックスなりの雑草への賛美は、もちろん
素晴らしいと思います)


そもそも、誰かに愛されている、愛されていない
という観念さえも
その実態は 不確かなもので
幼かった わたしが 気づけずにいただけで 両親はきっと
自分が感じる以上に愛していてくれたのかも知れない

愛、について考えると
未だに はっきりとは 定義などできずに 生涯を通して
考え続けるのでしょう


愛されない、愛される

それを、人間で考えてみても、仮に 愛されない ことは
悪ではない

もっと、言えば 愛されない自由、というものを心に抱いている
人もいるかも知れない

わたしたち人間も、雑草や花のように
ただ、生きている

そうありたい

そして、もし
愛されたいと願う自分のような者が、誰かを愛したり
誰かから 愛されている

そう感じることができたなら
それは それで とても しあわせなこと


We just live, and if you love someone or feel loved, that's happiness





改めて、記事を書いて下さり、英文の解釈について
教えて頂き、福田さま
ありがとうございます



* * *









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