百花

親子というのは子が成熟してからは大人同士であり、それまでにあったような絶対的存在としての親の姿は子供の認識から消え去る。子は親が老化の一途を辿っているという事実に対し、感情を理性で包んで接しなければならない。言うのは簡単だが実践するのは非常に難しい。幼い頃から感情のみで接することのできた最も身近な存在が親である場合が多いからである。人は自分以外の家庭の姿を殆ど知らない。家族の一員から聞いた話もしくは外出で出会った時の家族の表面にしか触れられない。ゆえに家族論というのは難しい。皆が自分の家という異なる基準に基づいて善し悪しを判断するためである。映画やドラマで映像として家族の姿の1パターンを体験できるのは自分の認識を相対化できる点で非常に価値がある。

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