ときめきが生まれる瞬間 〜嗚呼、職人の絶望日記〜
銭湯の入り口で靴を脱ぎ、すりガラスの引き戸をガラガラッと開けた時、番台に若い女性がいると、意表を突かれてドキッとする。
最近よく行く銭湯の話である。
どういうシステムになっているのかわからないが、行くたびに人が変わっている。
「番台には年配の人しかいない」という経験にもとづく思い込みがある。
祖父母に会うような気分で、よそ行きとは無縁の表情でのれんをくぐる。
そんな時、突如としてうら若き女性が目の前に現れるとどうだろう。
晴天の霹靂とはまさにこの事である。
完全にゆるみきった顔だったにもかかわらず、「よく見られたい」という下心が無意識に働くのだろうか。
よそ行きスイッチをオンにしようとしても、突然の事でその在り処を見失っており、「えへはぁ、どうもこんばんは」としどろもどろになってしまう。
職人仕事をしていると、若い女性に合うことはまずないので、余計に緊張してしまう。
番台で入浴料の420円を支払って脱衣所に向かうと、少しニヤけている自分に気が付く。
我が名誉のために言っておくが、その銭湯の番台から脱衣所は見えない。
私は決して露出狂ではない。
おそらく、仕事などで同じ人と会ったとしてもなんとも思わないであろう。
(たぶん)
しかし、不意をつかれて顔を合わせるとトキメキらしきものが生まれるようだ。
風呂上がりに牛乳を買う時ですら、心が高鳴っていないと言えば嘘になる。
いいや、ドキドキしている。
番台で牛乳を買うのが楽しみで仕方ないというのが素直な気持ちだ。
「番台に女子」ということわざを作ってもいいと思う。
「想像すらしていない場面で異性に出くわした時にだけ感じるときめき」の意。
私がその銭湯によく行くのは、決して若い女性目当てではない。
そんなことは、断じてない。
しかし、友人から「銭湯行こう」と連絡があれば私は迷いなく○○湯に行こうと言っている自分がいる。
みなさまのご支援で伝統の技が未来に、いや、僕の生活に希望が生まれます。