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砂の舞う惑星

少し前に、私にはこんな口ぐせがあり、という話(『そんな口ぐせがあったとは』)を書いたことがあるのですが、やや趣旨から外れてしまうため、そこにはあげなかったものがあります。

それは、自然現象に対して突っ込みを入れてしまうこと。
「わー、晴れすぎじゃない?」
「ここで降ってくる!?」
「この強風って何」
「いや、凍りすぎでしょう」

長いこと、他の人も同じだと思っていたのですが
「ううん。特殊」
との友人の指摘により、どうやら他の人はあまり天気に向かって話しかけないのだ、と最近になって知りました。


けれど、これは決して自然現象に何らかの文句を言いたいためでなく、ただ思ったままを口にしているだけです。

そして、もし今あえて何かを言うとするなら
「もやってるなあ」
といでもいったところでしょうか。
もちろん、黄砂についてです。

窓から外に目をやっても、いかにも不自然な曇り具合で、外出もあまり気乗りがしません。
けれども、更なる繰り言を続けようという気にならないのは、この自然現象がマイナス面のみにとどまらないことを承知しているからです。

それがどういうことなのか、柄にもなく、ちょっと理科の授業めいた話をしたいと思います。


黄砂が中国大陸内陸部の砂漠で発生し、海を越えて日本に到達するまでの間、様々な大気汚染物質を取り込むことは事実です。

それが呼吸器の疾患をはじめとする健康被害や、数多くの困りごとにもつながるのですが、それは黄砂の持つ、ネガティブな一面に過ぎません。

では他にどんな一面が、それもポジティブな側面などあるのかというと、もちろんあります。
海の向こうから大量に飛来する黄砂は、実は、古
来より日本の土地と海を豊かにする役割を担ってきました。

黄砂の土壌はアルカリ性で、リン等、多くのミネラル分を含んでいます。これが土地に堆積し、土を肥やす栄養素となるわけです。
海洋へ降下した際には、ケイ酸が溶け出して、プランクトンの生育に必要な栄養を与えます。そうして繁殖した植物性プランクトンやその排泄物は、一帯の生態系を豊かにします。

また、黄砂は環境汚染の原因となるだけでなく、その逆に、汚染を防いでいることもわかってきました。
含有するアルカリ成分によって、大気中の硫黄酸化物(SOx)窒素酸化物(NOx)などの酸性物質を中和・吸収し、高化学スモッグや、酸性雨の発生を防ぎます。
このため、黄砂を“空飛ぶ化学工場”と呼ぶ専門家までいるほどです。


いや、そうは言われても。アレルギーは悪化するし、肌荒れが、洗濯物が、車の汚れが。こんな悩みには私も心から賛同しますが、一方で、自然にとっては
「いや、そんなの知ったこっちゃないし」
とでもいったところでしょうか。

なにせ、毎年この時期に、海の向こうから偏西風に乗って大量の砂が押し寄せる現象は、今に始まったことではないからです。

以前行われた堆積物などの解析調査により、黄砂はなんと約7000万年前にはすでに発生していたことがわかっています。
7000万年前。恐竜たちが地上の王だった白亜紀です。
そんな遥か彼方の時代の地表にも、春が来れば、砂嵐が舞っていました。

そこからかなり遅れて登場した人間が、そのような自然のサイクルに不平不満を唱えることは、いかにも不遜に思えます。
それは、太陽が東から昇るのが気に入らないとか、なぜ雨の日があるのだ、と憤るのと同じです。

黄砂によって起こる問題の多くは、人間自身が直接の原因となっています。そのため、この自然現象自体と、そこからもたらされる数々の弊害は、分けて考えなければならない部分があるはずです。

人為的に取り除ける原因には手を尽くし、そうでない部分は受け入れて、うまくこの現象と共存していくほかはありません。

イギリス人科学者ジェームズ・ラブロックが唱えた『ガイア仮説』のように、地球が自己調整能力を持った惑星であるかどうかは私にはわかりませんが、黄砂という現象が、地球にとって重要な営みのひとつであるのは確かです。

であれば、もやってるな等とひとりごとをつぶやき、精一杯の対策はしながらも、あまり悪し様に罵ったり、恨みがましい気持ちを持つのはやめにしたいと思います。
私たちは、生あるつかの間、この星に間借りしているだけの存在に過ぎないのですから。


日と夜、季節、星、太陽。
その移ろいを見れば、人より偉大な何かの存在を思わずにはいられない


自分よりも偉大なものには、常に畏敬の念を持っていること

── ネイティブ・アメリカンの言葉より

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