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ヌートリアとシロクマの毛皮

香水が有名になったり、アジアのとある国で不買運動が巻き起こったり。何かと話題に上ることの多いイタリアンブランドの店舗に、つい先日、友人とともに立ち寄りました。
とても美しいけれど私には着こなせない洋服も、少し年上のお洒落な友人には自然に似合ってしまいます。彼女はラックに掛けられた一着のコートに目を止め、まずは羽織るだけでも、と店の方に試着をお願いしました。
表面が光沢のある滑らかな毛で覆われた、いかにも仕立ての良いロングコートです。

「いかがですか?」
にこやかに尋ねる店員さんに、嬉しげな顔をした友人。傍目にもよく似合っていますし、かなり気に入った様子で、店員さんとのやり取りにも熱がこもります。
残念ながらサイズの問題で購入には至らずでしたが、お店を出てもなお、友人はもう少し小さいサイズがあったら、としきりにため息。
「そんなに欲しかった?」
私の問いにも意気込んでうなずき、次々にその理由をあげます。デザインが好き、大幅な割引き価格になっていた、そして何より、これまでに着たどのコートよりも暖かかった。
「ほんとにすごかったんだよ。一回着てみたらわかるけど、すっぽり毛皮にくるまれたみたいで最高だった」
「だって、毛皮だったしね」
「何の?」
「ヌートリア」
「…って、何?」
鏡でのチェックに夢中だった友人は、店員さんの説明をよく聞いていなかったのかもしれません。
そのコートに使われていたのは、ヌートリアの毛皮でした。
ヌートリアは水辺に住む外来種の齧歯類で、ネズミの仲間にしてはかなり大きく、体重は最高で10キロ近く。可愛らしい目鼻立ちもあり、なかなかの人気者です。ビーバーに似た感じ、といえばわかりやすいでしょうか。

ヌートリアには、濡れても保温が効く毛皮を目的として、人の手によって飼育されてきた歴史があります。けれどそれはほぼ欧米に限った話で、私もヌートリアの毛皮で仕立てられた洋服というものをその時に初めて見ました。
私にとってのヌートリアは、近くの自然公園で泳ぎながら水の上に顔を出したり、草地でのんびりと日光浴をしていたりという牧歌的なイメージです。なのでヌートリア皮のコートとの出会いには、正直に言って驚くと同時に、少し気分が沈んでしまいました。
ヌートリアという生き物自体を知らなかった友人は、検索して見つけた写真や動画にかわいいと声を上げつつ、ふと私につぶやきました。
「サイズがなくて良かった」
「似合ってたし暖かかったけど?」
「そうだけども。他にもコートはあるし」

それにしても、あの暖かさはすごかったけどね、と付け加えた友人の言葉はもっともでもあります。
以前、北極探検家の方にうかがったのですが、その方がしょっちゅうされる質問に、こんなものがあるそうです。
「北極ではシロクマの毛皮も着るんですよね?動物の毛皮と最新テクノロジーの防寒具、どちらがより暖かいですか?」
その方の返答は決まっています。
「毛皮です。最近の防寒具はみんな軽くて暖かいんですが、シロクマの毛皮の、着た瞬間から暑いくらいの保温性にはとうてい敵いません」
氷点下が当たり前の世界で、30年以上も活動を続ける方がおっしゃるのですから、間違いはありません。
グリーンランドで撮られた写真でも、村の人々とその方は、雪と氷で真っ白な景色を背景に、シロクマの毛皮で作った帽子やコートを身につけていました。

とはいえ、その村や周辺の地域でも、国際的な動物保護の流れにより、毛皮の輸出や販売は急速に下火になっているそうです。
もちろん、土地の人々が文化と伝統として受け継ぎ、極寒の地を生き抜くために鞣したシロクマの毛皮を否定するつもりはありません。私もそこに生まれ育てば、感謝を込めてそれらを身につけると思います。
けれどもそこから遠く離れた場所に住み、他に選択肢があるのであれば、シロクマの毛皮は考慮の対象になり得ません。
ヌートリアも然りです。友人がコートの購入に至らなかったこと、友人自身も私と似た考えらしいことにも心から安堵しました。
「とりあえず、暖かいものでも飲みに行きますか」
話しつつ歩く寒風の中、指先でエコファーのマフラーに触れ、私にはこれで十分だと思います。

今日から小寒で寒さも本番。冷えから身を守る術を上手に見つけ、どうぞ暖かくお過ごしくださいますように。

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