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いちばんのおもてなし

どなたのエッセイだったか、年輩の男性作家が、自宅にお客を迎える際はまず押入れから片付ける、という話を書いていました。


その習慣は子どもの頃にさかのぼり、あるとき母親から
「お客さまが見えるので、部屋をきれいにするように」
と言われたことがあったそうです。

言いつけを守り、さっさと掃除を終えて遊んでいると、母親が様子を見に来ました。
ひと通り部屋を見渡した後、母親は押入れのふすまを開き、眉をひそめます。
「どういうこと?少しも片付いていないじゃない」

よく言いつけを守った、良い子だと褒められるかと思いきや、あまりに意外な苦言です。
どのみち押入れは閉まっていますし、まさかお客が無断で襖を開け、中をのぞくわけもありません。
たとえ少しばかり乱雑であったとしても、外見そとみからは何もわからないのです。


けれど、母親の考えは違ったようです。

目に見える外側だけを整えても、内側の乱れと後ろめたさは、えも言われぬ雰囲気となって必ず伝わる。
それで双方とも居心地が良いはずがない。
きれいに掃除をする、というのは外から見えない部分までも、もれなく整えることなのだ。

そんな風に諭されたとて、子ども心になんて細かいことをと感じただけです。
それでも母親の言葉には逆らえないため、結局は押入れの中も、お客が来る前にきれいに片付けました。

母親の厳しさをわずらわしく思った反面、来客を迎えるにあたり、目につかない場所まで整頓する習慣は今でも身に沁みついている。
それは、誠意を持って人を迎えるとはどういうことかという教えそのものだった。
そんなお話でした。


人によってはあまりに生真面目で窮屈だと感じるかもしれませんが、私はこのお母様を素晴らしい人だと思います。

大切な客人を迎える際に、表面だけをつくろうのと、裏側までも整えるのと。
そこに流れる空気と気持ちは、全くの別物であることが分かるからです。

誰かをもてなしたり迎えることが、おしなべて細やかな神経を要するものであるのは、そこにその人の心と人間性が反映されるからでもあります。
歓待の裏に透ける本音を気取られた時、悪くすると全てが無に帰すほどに。

私はそんな最悪の例を知っており、それももう数年前のお話ですし、ここに書いて差し支えはないでしょう。


その人は有名な美術作家で、忙しい日々のかたわら、数ヶ月に一度、同業者の友人の開く講習会に参加していました。
講習会の主催者は友人であり、その人はゲスト講師の立ち位置です。

自宅から会場までは新幹線の距離ながら、熱心に学んでくれる生徒さんを前にすると、それも苦ではなかったそうです。
その世界で、その人は名前で人を呼べる数少ない存在のため、友人からも大いに有難がられていました。


けれど講習会も回を重ねるにつれ、友人の態度が変わってきました。

見るからに独善的な姿勢が目立ち、会の主催者はあくまでも自分である、という自負を前面に押し出すようになったのです。
講座の内容についての意見も合わず、当然、お互いの仲もぎくしゃくします。

その人は何度か対話を試みようとしたものの、その都度やんわりとかわされました。
友人は明らかに直接的な話し合いを避けたがっており、それでいて実入りの良い講習会は続けたいようでした。


そんな状況に終わりが来たのは、ある時の講習会の休憩時間です。

講座が昼をまたぐ際、その人には食事が用意されるのが決まりでしたが、その日、控え室のテーブルの上に置かれていたのは、近所で見繕ってきたとおぼしき格安のお弁当でした。

それで長年の友人関係と講習会が消滅しました。


その人は相手に対し、身の丈に合わない無理なもてなしを期待していたわけではありません。
もし友人が普段から切り詰めた生活をし、格安弁当を食べて暮らす人なら、自分も有り難くそれを戴いただろう、と話してもいます。

けれど実際の友人は、身内のスタッフを引き連れて高級レストランに通い、それを周囲に隠してもいませんでした。

にもかかわらず、自らの友人でもあるゲスト講師のためには、おざなりな昼食しか用意しなかったのです。


そこにどんな真意がうかがえるかは、言うまでもありません。

大切なのは価格ではなく、そこに込められた気持ちです。
冷えた安価な昼食は、あなたはこの程度の対応で十分な人だという、友人の内心の声の現れでした。

そのせいで、手放したくはない相手を失ってしまったことを、本人はどう考えているのでしょうか。
よもや何が原因か気づいてもいない、ということはあるまいと思いますが。


こんな話を知るにつけ、ますますお客を迎えることが緊張を強いる億劫おっくうなものになりそうですが、それほど難しく考える必要もなさそうです。

もてなしに心が現れるというのが本当ならば、ことさらに気負うことなく、相手への敬意や好意を、素直に形にすれば良いだけです。
そうして相手に喜ばれ、共に愉しい時間を過ごせることが、何よりのもてなしなのですから。

これらの話を忘れずに、慢心から大切な人を傷つけることのないよう、ゆめゆめ気をつけなければと思います。







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