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光と闇の極まる日

僕らは、深く、もっと深くまで降りていかなければならない

作家ハーマン・メルヴィルは『ピエール』の中でそう書きました。
物語の主人公ピエールは、謎めいた姉イザベラと共に人間の精神世界の闇へと下って行きますが、いま私たちもこの現実世界の闇の底にいます。

冬至のこの日は、一年で最も太陽が輝く時間が短く、闇の時間が長い日だからです。

天文の知識を持たない古代の人々はとりわけこの日を恐れ、多種多様な宗教的儀礼や芸術表現を通じて太陽を崇め、その光の甦りを乞い願ってきました。


ギリシア神話で最も有名な太陽神といえばアポロンですが、もっと歴史が古く、本来の太陽神といえるのは、ティタン族のヘリオスです。
ヘリオスは四頭立ての馬車で大空を駆け、太陽を運んで来る尊い神として、広く人々の信仰を集めました。

けれども、ギリシアよりもさらに深く濃い闇の時間の続く北欧では、太陽は御者たる神ヘリオスの助けを得ず、もっと超自然的な存在の介在によって出現します。

太陽を人々の頭上に運ぶ役目をになうのは天駆ける巨大な馬で、デンマークの博物館には、燃え盛る太陽をく馬をかたどった紀元前の像『太陽の戦車サン・チャリオット』が収蔵されています。

人間の近くで暮らしながらも、馬は偉大な力を持つ動物として崇拝され、だからこそそんな存在が冬の闇に閉ざされた世界に再び光をもたらしてくれることを、人々は切に願ったのかもしれません。


冬でも陽光の輝く日本に暮らす者には実感が沸き辛いものながら、緯度の高い国に住む人々にとって冬はことさらに厳しく、冷たく暗い世界で身を縮こまらせながら、どうにか耐え忍ぶ季節だとも言えたようです。

実際に私が読んだ19世紀の英国小説には、病に侵された主人公が冬の寒さと荒天に苦しみ抜き、ようやく南方での転地療養に発とうかという間際、「あまりにも遅すぎた」と呟きながら絶命する、という救いのないシーンがありました。

そのような過酷な土地に生きる人々にとって、冬の底にようやく薄っすらと陽が射し込み、闇の時間がわずかずつでも短くなってゆく目安のこの日は、心底から待ち遠しいものだったに違いありません。


実際にこの日をきっかけにして、翌日からは地上に光が戻り始め、世界は徐々に明るさと平穏を取り戻します。

その歓びと太陽崇拝を絡め合わせ、神の子・光の子たるイエス・キリストの生誕は12月24日となった、という研究者の説はさもありなんと思わせますし、私はイエスが馬小屋に降誕したことも見逃せないことのように考えます。

馬が太陽と火の力を司り、光と救いをもたらす存在とされていたことは『太陽の戦車サン・チャリオット』でも明らかであり、それを念頭に置いた場合、イエスが降誕した場所が馬小屋であったことは、極めて重要な意味を帯びてきます。

闇の支配するこの世界をあまねく照らす、救い主としての光の子イエス・キリスト。
古代のキリスト教はそのイメージを太陽崇拝や冬至の暦日に重ね、イエスを神格化し、クリスマスの起源としていったのではないでしょうか。


どちらにせよ確実なのは、冬至やクリスマスは光の甦り、誕生と再生を祝う祭りだということです。
これは冬至の別名"太陽の誕生日"という表現をもってしても明らかです。

クリスマスツリーを光で飾るだけでなく、この時期にはあらゆる国の街という街で一斉にまばゆいイルミネーションが瞬き始めるのは、ただ目にあでやかな冬の景色を喜びとしているからという理由だけではありません。
そこにはもっと旧い、人間の心の最奥の、根源的な願いと欲求から湧き上がるものがあるように思えます。


それはおそらく、人間が古代から持ち続けてきた、冬の闇の中に光を求め、太陽の恩恵を得て生き永らえたいという願望を、無意識、あるいは集合意識の領域で感じているからに他なりません。

そうでなければ、人々が冬の夜に灯る人工の光の眩さに魅了され、心の奥底からの、曰く言い難い感嘆を込めて眼前の光景を見つめる理由がありません。

それらの光を目にし、光の粒子を全身に浴びる時、私たちは、今よりも過酷な冬を耐え忍び、ひたすらに光の蘇りを待ち望んだいにしえの人々とどこかでつながり合い響き合っているのではないでしょうか。


北極圏を旅した人によると、現地ではこの日の朝日を明け方から村人総出で待ち、夜明けの光が地上を照らした瞬間、歓声を上げ、皆で抱き合って歓びを分かち合うのだそうです。

私もそんな風に心からの感慨を込め、この日の特別な太陽を祝いたいと思います。
世界を照らす陽の光とぬくもりがなければ、私たちの誰も、この世で生きることは叶わないのですから。




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