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夢を読む

まだ松の内とはいえ三が日も過ぎ、お正月気分にもぐっと日常の空気感が増してきたように感じます。
そうなると年初めにしそびれたことなどが頭をよぎるのですが、幸いにもまだ間に合うもののひとつが初夢です。

初夢がいつの夢を指すのかは解釈が分かれるところのようで、年の終わりの31日に見るものだ、いや、1日に決まっている、2日が本当だ、といろいろな説があります。私も気になって調べたところ、暦を研究している方によると、はっきりとした決まりはないそうです。
夢を見る、見ないにも個人差があり、都合よくこの日、という日に夢を見て、それを朝まで覚えているとは限りません。そのため出来るだけ間口を広げ、松の内の間に見た夢はどの日のものでも初夢とする、というのがその方の鷹揚な考え方です。
ある一日に夢を見そびれたため、その年の初夢はあきらめましょう、は残念すぎるし、ほっとするお話です。しかもその期間のうち、どの日を自分の初夢としても良いのですから、なるべく縁起の良い夢を選び、幸先よく一年のスタートを切ることもできそうです。

夢といえば『百年の孤独』で有名な作家マルシア・ガルケスの作品に、南米の不思議な慣習の記述がありました。
今から数世紀前のある地方には、人々の家のドアをノックし、昨晩見た夢を聞いて回る女性たちがいたそうです。彼女らは占い師とカウンセラーを掛け合わせたような存在で、あらゆる悩みの相談に乗り、夢の話から問題の解決法を見抜くほか、未来を予言し、人をより良い人生に導くなど、夢読みの技術を生業にしていました。
なかでも特にその能力を見込まれた女性たちは、裕福な家庭に召し抱えられ、毎朝一家全員の夢に耳を傾け、こと細かにその意味を伝えました。それは人智を超えた知恵として、真剣に受け止められたといいます。

これらは物語の中心から離れたエピソードのためさほど詳細には語られず、おそらく検証は困難であり、マルケスによる全くの創作の可能性すらあります。
けれども、人々がまだ近代以前の価値観で生きていた時代、闇に説明不明の不可思議さが宿っていたような土地でなら、それもあり得たようにも思えます。

現代でもたとえば「夢占い」のワードだけで、無限ともいえる情報にアクセスでき、玉石混交ながら、お告げや予知夢の話もあちこちで耳にします。
フロイトやユングの著作をいくらかかじっただけの私も、自分や人の夢について、自由に想像を膨らませたり、時にそれらしく分析してみたりで遊んでいます。

『夢は魂があなたについて描いている本の挿し絵である』
という言葉もあります。
目を覚まして見る現実の世界だけでなく、夜、あるいは午後のまどろみのうちに出会うもうひとつの世界に注意を向けてみるのも良いものです。

本当は初夢だけが特別でなく、全ての夢が特別であり、何らかのメッセージを含んでいるのかもしれません。夢とはただ脳の中を整理するための現象に過ぎない、と断じてしまうより、そう考える方がずっと面白いのは確かですし。

今夜、あなたに良い眠りと夢が訪れますように。

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