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これもまた、過ぎる

本を焼く者は、やがて人も焼くようになる

この鋭い警句を発したのは、ドイツの詩人ハインリッヒ・ハイネです。

不吉な予言が成就するかのように、1933年を皮切りに、ヨーロッパ各地で本、ほどなく人間にまで火が放たれる事態が起こりました。

それから20年後の1953年、今度は空想世界の中で、本と人に火がつけられました。
レイ・ブラッドベリ作『華氏451度』においてです。



このディストピアで人々は読書を禁じられ、もしただ一冊でも本を所持していることが知られれば、その人に未来はありません。
本は一冊残らず、時には家ごと焼き払われ、持ち主は即刻逮捕されます。

“ファイヤマン”といえば私たちの世界では火を消す職業を指しますが、この世界では火を放つ人を意味します。
物語の主人公モンターグもこのファイヤマンで、仕事として淡々と本を焼き続ける日々の中、ある出会いと罪のために森へ逃れ、“本の人々”と呼ばれるグループと対面します。

この“本の人々”は、一人一人が一冊の“”であり、一語一句違わず本の内容を記憶し語ることで、生身の人間のまま本そのものになりきります。



これは、世界中の民話や説話、神話などありとあらゆる歴史を伝えるために、人々が取り続けてきた方法とも似ています。

特に文字を持たない人々は、文字通り口づてに語ることで、さまざまな物語を後世に残してきました。
それらの話は、暗闇で、火の側で、食卓で、寝所で、旅の途中で、宴席で、風の中で、幾度となく繰り返し語られ、やがて聴き手もまた語り手となるほどに、人から人へと申し送られてきました。



その話が時に正確ではなく、誤解や曲解、記憶の混同など多くの不正確さも併せ持っても、大事なのは物語ることそのものです。

多少の枝葉が落ち、あるいは反対に余計な装飾がついたとしても、大筋に変わりがなければ、さほど問題はありません。
物語の核の部分が伝わっていくことが、最も大切なことなのですから。

なぜこんなに長々と、話の正確さの欠如について触れるかというと、私が今から語りたいお話も、おそらく全てが正確というわけではないからです。



私がこの物語を読んだのは今から10年ほども前であり、それが何という人の書いた、どんな題の話かも、今ではもう定かではありません。

けれども、私は折に触れ自分を支えるこの物語を、不正確ながら何度も思い返してきました。
それをそのままここに記そうと思うのは、もしかして私のように、この物語の持つ知恵を必要としている人がいるかもしれないと思うからです。



ままならないことや苦しみが多く、そこに呑まれそうになった時、この物語が細い救助綱のような役割を果たしたならば、こんなに嬉しいことはありません。

細かな設定などはともかく、大筋は外していないという自信はあるため、どうぞ、古い絵本や童話を読むように、ほんの一時、この短い物語にお目通しくだされば幸いです。


◇◇◇



昔々、あるところに、とても幸せな国がありました。
美しく穏やかな自然、豊かな食べ物に恵まれ、王さまにお妃さま、お姫さまはもちろんのこと、国中の誰もが満ち足りて幸福でした。

ところが、ある日のこと。お姫さまが笑わなくなりました。
王さまやお妃さまが何を聞いても理由を話さず、沈み込んでにこりともしません。
実は、お姫さま自身にも、なぜそんなに気分が落ち込むのかわからなかったのです。

王さまとお妃さまは心配でいっぱいになり、国中からお姫さまのためにたくさんの人たちが集められました。

初めに何人もの医者が訪れ、お姫さまにどこか悪いところがないか診察しました。
次に国中の賢者が招かれ、あれこれと知恵を出し合いました。
腕に覚えのある芸人たちが、お姫さまの前で渾身の芸を披露しました。
動物好きのお姫さまのため、生まれたての仔馬や仔羊、仔犬に仔猫がかわるがわるやって来ました。

けれども、お姫さまは少しも笑いませんでした。
どんな場合もちらりと目をあげただけですぐにうつむき、元のようにふさぎ込んでしまうだけです。
憂鬱に取り憑かれたお姫さまは、いつも深いため息をもらしました。

王さまとお妃さまには、もう何もできることがありません。
二人は涙を流して遠くからお姫さまを見守るしかなく、他のみんなも自分たちのお姫さまが心配で肩を落としました。

幸せな国の人たちは、もう幸せではありませんでした。

それからしばらくしたある日のこと。
お姫さまは久しぶりに部屋から出てみようと思い立ち、一人で庭に降りました。

すると向こうから年取った庭師が近づいてきて、帽子を脱いでお姫さまに丁寧に挨拶しました。
「ようやく庭に来てくださいましたね、お姫さま。ぜひともお目にかけたいものがあります。どうか私と一緒にいらしてください」

お姫さまは迷ったものの、庭師が何を見せようとしているのか確かめるため、あとをついて行くことにしました。

庭師は花壇や木立の間を抜け、お姫さまを庭の奥の開けた場所へと案内しました。

そこには古びた真鍮の日時計があり、庭師はお姫さまに、そこに書かれた文字を読むようにと促しました。長い年月が経ち、今では文字もずいぶんかすれていますが、まだ十分に読みとれます。

そうして、庭師は静かに話しました。

「自然と変わらず、人の中にも四季があります。一人の人の中にも、春や夏だけでなく、秋や冬があるのです。それはお姫さまのような、高貴なお方でも変わりません。
お姫さまは、いま秋や冬のさなかにおいでになるが、それは永遠ではありません。気の滅入る厳しく暗い季節の後は、必ずまた光に満ちた季節が巡ってきます。
そのことをどうぞお忘れになりませんように。全てはそこに書かれている通りです」

お姫さまは庭師の話を聞きながら日時計を見つめていましたが、顔を上げた時、その口元には笑みが広がっていました。

日時計に刻まれていたのは、こんな言葉でした。

──これもまた、過ぎる──


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