これってイタい?イタくない?
活字中毒の私は、本だけでなくウェブ上の文章、たとえばツイッターなども、油断すると延々と読みふけってしまうのですが、つい最近、こんなつぶやきが目に止まりました。
「30歳を過ぎてするとイタいこと」
そこには箇条書きで、30代以上の女性の外見に関する、いくつもの“アウト”があげられています。
内容はほとんどありふれた“べからず”集で、たとえば膝上のミニスカート、シルバーアクセサリー、ある種のメイクに持ちものなど。それらを“ありえない”ことだと、ツイート主は断言しています。
そこについたコメントも、自分もそう思う、ダサい、身の程知らず、といったものばかりでした。
けれども、引用リツイートとなると話が違い、一言で言うと、とにかくカラフルで元気です。
ほとんどが元ツイートを否定しているのが特徴的で、思い思いに自分の考えが語られています。
「値段に関わらずシルバーの指輪が大好き」
「メイクは全くしない日もキメて出かける日もあっていい」
「リボンづくしのミニドレスでガラ・パーティに参加したけど何か?」
皆、反論にかこつけて自分のクールさをアピールしたいだけなのでは、と思わせるほどの盛り上がりぶりです。
なかでも、イタリア在住の方が書いていた、秀逸きわまる一文といったら。
「ねえ、いっぺんイタリアに来てみたら?社会的なルールはもちろんあるけど、誰も、年だからこうしなきゃ、なんて思ってないよ。好きならどんな格好しようが勝手だし、人の目ばっかり気にしてるより、よっぽど人生楽しいよ!」
思わず握手を求めたくなるような、風通しの良さと格好良さです。
元ツイートの方にないのはそれで、なんとも窮屈で息苦しい感じがするのです。
これは駄目、これは無いとあげていきながら、どんどん可能性をつぶし、自由のない状態に追い込まれているような。
それって何が楽しいんだろう、それで誰が得をして、この人の目指している場所はどこなのだろうと思わされます。
私はこのツイート主を、てっきり40代以上の女性かと思っていたのですが、まだ20代の、さる局のアナウンサーだと知って驚きました。
そんな女性が、自分より人生経験もキャリアも上の女性たちを小馬鹿にし、斬り捨てるのは一体どんな心理なのか。
それがさっぱりわからず混乱しますし、自分が抱える、絶対にこうであらねばならない、という強固な理想から外れることが、たとえ他人であれ、それほど許せないものなのでしょうか。
そうでもなければ、公然と人をあげつらい、笑い者にしようとはしないでしょう。
だとしたら、攻撃的で歪んでいるというよりも、ひどく想像力を欠いた人なのだなと思います。
若いから、人生経験が少ないからという庇護もできるでしょうが、自分の属する狭い世界の価値観以外のものを想像できず、自らの信念を至上とし、それによって人を裁けると信じる精神的な幼さは驚嘆に値します。
そして、この人の“イタくたない”理想の女性とは、つまるところ“ステキなミセス”的な人であり、20代で超がつくこのコンサバティブな価値観はなんなのだろう、とその思考にかえって興味が湧きます。
この人が、お仲間と同じ価値観を共有して暮らすことには何の問題もないものの、異なる規範で生きる人たちを嘲笑する感性は、はっきり言って醜悪きわまりないものです。
古式ゆかしい価値観を大切に守るのは結構ですが、それを堂々と振りかざすのはいかがなものかで、そんな暇があるならば、独自の世界観の規範に嵌るべく、たゆまぬ精進を重ねられるのが良い気がします。
私はそのような世界はごめんなため、正反対の価値観を持つ人たちと同じく、もっと制限のない年の重ね方を選びたいと思います。
「水着が似合うって男友達も言ってくれるし、還暦を過ぎてもビキニで海へ出かけます!」
こんな勢いの良いツイートをしていたお姉様は素敵ですし、私自身も、40歳や50歳、70歳でも、水玉模様やローズ色のブラウスに洒落たアクセサリーをじゃらじゃらつけて、気分良く外出したい。
だって、単純にそちらの方が楽しいですし。
せねばらない、べきである、といったことから解放され、自分の好みや感覚に従って生きることは、とても強く爽やかなあり方であると感じます。
そうなると、時に“お騒がせセレブ”として取り沙汰されもするパリス・ヒルトンの、しごく真っ当な、こんな名言を引いておかなければなりません。
「あなたが守るべきルールはたったひとつ。
どこに行こうが退屈な人にはならず、素敵でいること。
周囲に合わせて無難に生きるには、人生は短すぎる」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?