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なんだか冴えないこの感じ

何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。

── 芥川龍之介


それは唐突にやって来ます。

気分が沈む。
愚痴っぽくなる。
疲れる。
食べたくない。
苛々する。
ため息が出る。
誘いを断る。
何もしたくないし欲しくない。

つい半日、あるいは数時間ほど前までは、こんな風ではありませんでした。

もっと上機嫌で、目の前のすべきことを難なくこなし、そこにいることにも、自分自身にも満足していました。


それが、今では何もかもが気に入りません。
芥川が言うような“ぼんやりした不安”でいっぱいになり、胸苦しく、悲しく、どこかにさ迷い出たくなる。

いや、自分は幸せ者だ、それなりに恵まれた環境にあり、毎日を何不自由なく送っている。
そう考えてみても、気分の落ち込みはおさまりません。

そう、これは“気分”の問題だとわかっています。
こんな気分はそう遠くないうちにどこかへ去り、再び気力も充実してくるのは承知でも、惨めな感情は消えません。


たとえば、私の友人は長年の臨床経験を積んだ心理カウンセラーですが、そんな人ですらこの状態に陥ります。

そうなると、電話の声だけでもうそれがわかります。
いつもとはまるで違う、ためらいがちな沈んだ声で、何もやる気が起こらないのだと訴え始める前からです。

もう自分は駄目かもしれない、何をしても失敗するような気しかしない、色んなことが怖くなる。

私は友人のそんな言葉や落ち込みぶりには付き合わず、軽い調子で尋ねます。

「昨日、帰るの遅かったんだよね?あんまり寝てないし、今日ずっとだるいまま仕事してた?」
「うん。今もまだ資料の見直ししてる」
友人の声は消え入りそうです。

「だから調子がおかしいんだよ。それで元気いっぱいな方が異常だって。あなたは疲れてるだけ」
私の言葉に、そうなのかな、と友人はまだ疑わしげです。

私は普段それほど断定的なものの言い方はしませんが、こんな時ばかりは強引に断言します。
「それは、みんな疲れと寝不足のせい。資料は明日にして、すぐ寝るのがいいよ」
「自分でも薄々そうは思ってるんだけど」
「だったら、やることみんな放り出して、さっさと寝ちゃえ。起きたら嘘みたいに良くなってるから」
「それならもう寝る。先生、カウンセリングありがとうございました」

弱々しい声ながら、軽口を言えるようになった友人に笑いつつ、私は電話を置きます。


結局、これが一番のはず。原因がないものと、正面から戦っても仕様がありません。
それは力の無駄使いであり、そんなことをしているうちに、そこに取り込まれてしまう方が厄介です。

なので、その暗い気分が一時的なものならば、無視して取り合わないことが最善策だと考えます。

その際、原因は別のところに転嫁するのも忘れずに。
言い訳は何でも構いません。

ホルモンのバランスが崩れているから。
昨日あまり寝ていないから。
満足度の低い食事が続いたから。
気象病だから。
単にそういうバイオリズムだから。


落ち込みの原因を探ったり、対処法を探すのはやめにします。
これは単なる合図のようなものだからです。

私たちは制御の行き届いた機械ではなく、揺らぎを抱えた生身の人間です。
だからこそ時々はこんなゆるみが必要なのだと、心身の不調が教えます。

何ごとにも合理性の追求が良しとされる時代に生きていると、ついあらゆるものをコントロールしたいという欲にかられがちです。
けれどどのようにしても対処不能なことは存在すると、こんな時に身をもって学んでいるのかもしれません。


もしどうしようもない落ち込みが何日も、何週間も続くようならそれは深刻な問題であり、ためらわず専門家の助けを乞うべきですが、そうでないならノンシャランに、気にし過ぎずにいきましょう。

ああ、確かに落ち込んでるけど、これはそんなに大したものじゃないから。
そんな風に独りごちつつ、携帯電話も自分自身の電源も落としてしまい、一分でも早く温かなベッドに潜り込むに限ります。

今日は冴えない低調な一日だったかもしれませんが、ぐっすり眠れば翌日にはきっと調子も戻り、気分だって変わっているはずです。

実は私も、今ちょっとそんな状態に陥っているため、このあたりで失礼をして。
少し早いけれど、おやすみなさい。




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