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自分軸の作り方#17 ~【不登校】父と子の間にある壁を壊す~

夏休みの初めから最後まで、子供たちと私は転居前の自宅に戻った。隣に住む祖父母のもとで、子供たちは、父親がいないこともあり、気楽にのんびりと過ごしていた。

 その年の春、姑は病気で入退院をしていて、夏休み中も治療のため週に何度か通院していた。私自身が通院介助と家事全般に忙しく、気持ちの余裕がなかったので、コンプリメントトレーニングのノート提出が難しくなり、通信教育のトレーニングは90日で一旦区切りをつけ、自力で続けることにした。

 ふたりの息子たちについては、宿題を少しずつすすめ、新学期の準備を一緒にしていった。夏休み中は、宿題と運動をしてから、ゲームを60分、解禁した。姑には不登校のことを言っていなかったし、心配させたくもなかった。自宅ではテレビをつけていなかったが、姑の家は一日中テレビをつけている家なので、制限はできなかった。夜には恒例の一家団欒で、トランプ以外にも、おばあちゃんの脳トレになりそうなボードゲームを購入して、一緒に遊び、洗濯物の取り込みや、食器洗いなどのお手伝いを子供たちにしてもらった。夏休みの宿題は、だいぶ手伝ったが、全部やり遂げた。

九月。

夏休みが終わっても長男は学校に足が向かなかったが、十月に合唱コンクールがあるので、私が音楽の先生に楽譜をもらいに行き、日中は課題曲と自由曲のパート練習を行った。
今時はYouTubeで、パートごとの動画もアップされてるので超便利❗️私も、テノールパートを見ないで歌えるまでになった(笑)

そして九月は、私の誕生日があった。

 トランプで一緒に遊ぶようになり、私も夫との距離を縮める努力をして、少しずつ夫と長男は話しができるようになってきていた。

夫がケーキを買ってきてくれて、和やかな雰囲気の中、ハッピーバースデイを歌ってくれた家族みんなに、わたしはありがとうのハグをした。

そして・・・私は夫にひとつ、お願いをした。

「じゃ、お父さんも、お兄ちゃんにハグしてあげてね」

えっ

という表情を見せる2人。でも、私は、よくいる世話好きな、おせっかいな上司?のように、「ほらほら、ハグして、ほれほれ!」と、ハグを促した。

そして、夫が長男を抱きしめて、

急に、泣きだした。

「お父さんは、本当は、君たちに、もっといろいろなことをしてあげたい。でもできないから、悔しい。」

長男も、ぽろぽろ涙をこぼし、泣きじゃくった。

しばらく男2人が抱き合って泣く姿を、私は目が潤んでしまい、ちゃんと見えなかった。でもその時、2人の間にあった、高い壁のようなものが壊れたように感じた。

 そのあと長男は、しばらく中断していた別室への登校を、週に一回程度から始めた。のろまなカメの歩みに私はしびれをきらして、何度か長男の肩をつかみ、「思い切って行きなよ!大丈夫だよ!家の中にこもって、君の力が発揮できないのはもったいなさすぎるよ!!」と、説得してしまったこともある。動かない長男を見て、うっかり目の前で泣いてしまったことも。

正直、そんなに簡単に、ドンと構えるお母さんになんて、なれなかった。

 当時 次男の五月雨登校も続いていた。毎日のように遅刻で小学校に送っていった。その帰り道に、人通りのない路地に座り込んで、ひとり「いったい、これはいつまで続くのぉぉぉ~」と、号泣した日もある。「ふつうの生活がしたいよ、神様ぁぁぁ」と天を仰いで泣いた日もある。買い物のため自転車に乗ると涙が込み上げてきて、うわあああって泣きながら全力で自転車を走らせた日もある。長男が全く登校していなかった時より、ちょっと行き始めてからの方が、期待が大きい分、休んだ日の失望感も大きかった。

 そんな私の心の支えになってくれたのが、コンプリメントで子育てする親の会の方々だった。「みんな、そこを通って今があるんだよ、もうすぐドミノが倒れるよ、大丈夫、大丈夫。」いつも笑顔で励ましてくれた。

 外では泣いても、家に帰ると世界一幸せなお母さんの笑顔を鏡の前で練習して、子供のいいところを探して声をかけた。やるべきことが決まっているって、ありがたいことだなと思う。月一回の親の会に通っていなければ、私は絶対に挫折していた自信がある。

 ちゃんとコンプリメントができていない日もあった私だけれど、            少しずつ、少しずつ、長男の心に自信の水がたまっていった。

10月。

 合唱コンクールの2日前、長男は突然、朝から教室に登校し始めた。思い当たるきっかけはなかったけれど、急に動き出したのだ。

 合唱の課題曲も自由曲も、テノールパートを完璧に歌い、クラスメイトと先生を驚かせたらしい。

合唱コンクールで歌う長男の姿は、またもや涙でうるんで、よく見えなかった。
長男の魂が抜けたような日々、甘えてきた頃、暴れた日、沈んだ日、私が道端で泣き崩れた日。次々浮かんでくる。

私も、完璧に覚えたテノールパートを、鼻声で口ずさんでいた。

クラスメイトは、それまで休んでいたことなんか、なかったかのように接してくれたそうだ。

 それから長男は、ほとんど休まずに登校するようになったのだ。




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