自分軸の作り方#123 本音を隠した、子供時代を完了するために。


私が小学生の頃、ピアノを習い始めた。
確か2年生くらいの時だったように記憶している。

急に思い出したので、書き留めておきたい。

私の姉たちもピアノは少しの間習っていて、
ある程度弾けるようになったら辞めていた。

姉はピアノが好きで
楽譜を見ながら練習しては

乙女の祈り とか
トルコ行進曲 とかを上手に弾いていた。

姉がピアノを弾くのを見て
私も見様見真似で
簡単な曲なら両手で弾けたけれど

母は、音楽を習った方が
自分の仕事にも何かと役に立つと思ったようで、
私もピアノ教室に通うことになった。

ピアノを習い始めた最初の頃は
音符を書いたり
歌を歌う時間もあって、

ある時、短い曲に歌詞をつける宿題が出た。

その歌詞の宿題に
わたしは

「やさしいおばあさん
いつもわらってくれる
おばあさんがだいすき」

というような内容の歌詞をつけて、
ピアノ教室で、その歌を歌った。

なんであの時わたしは
その歌詞に おばあさんを登場させたのか
不思議だった。

書いてる時も
歌っている時も、
違和感しかなかった。

それはものすごく 気持ち悪い経験で、
忘れられないでいた。


私は、小学生の頃
それまで生きてきた中で一番
苦手な人間が、祖母だったからだ。


私は祖母が嫌いだった。


なぜかというと、被害妄想があり
母親が妄想のターゲットになっていて

うちのものを盗んでいく とか
母がしてもいないことの噂を近所に流し、
母がノイローゼになっていたからだ。

小学生の頃、
私は大家族の買い物係になっていた、
という話を以前記事にしたことがあるけれど

母は、買い物が苦手だった。

苦手と言うより、
外に出ると人の視線が刺さって怖い、
と言っていた。


そんなふうに母を追いつめているのは
祖母だと思っていたし
母も、「辛い」と話していた。

だから私たち兄弟は、みんな
祖母を嫌っていたし
すぐ近くに住んでいたけれど
祖母には寄り付かなかった。


時々、食べ物を届けて欲しいと母に頼まれて
祖母の家に行ったけれど
いつもカーテンを閉め切って暗くて
とにかく居心地が悪く
早く帰りたかった。

食べていきなさい って 
みかんを渡されたことがあったけれど
全然、味がしなかった。

お母さんを泣かせる敵だと思っていた。

でもそんなこと、
思っちゃいけないと思っていたし
さとられてもいけないと思っていた。


神様が空にいて

人を嫌っちゃいけないよ、
そんな汚れた思いを持っていたらダメだよ、と

見張られているような気がしていた。

大人になって子育てに躓き

「ちゃんと泣ける子に育てよう」という本を読んで、
私は不快な感情を閉じ込めていたんだと気づいた。

人を憎んではいけません。

そんな掟が怖かった。


祖母のことが嫌いだという事実を
誰にも知られてはならないと思っていて
それを覆い隠すために

「おばあさんの歌」を 作ったのだと思う。


自分の気持ちに嘘をついたから
すごく気持ち悪かったんだろう。

その時は そうやって自分を守ることしか
できなかった。

いまは 幼い私をそっと抱きしめて、
その時の気持ち悪さを
「気持ち悪かったねー」
「怖かったんだね」と 受け止めている。

あの時ほんとは、
お母さんにそうして欲しかった
その願いを、

抱きしめて
ただ受け止めている。



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