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自分軸の作り方#4〜【不登校】自分のコントローラーを真剣に握る〜

 コンプリメントは本を読む限り簡単そうだったが、実際のトレーニングは、難しかった。本では1日3つだったリソースは、トレーニングでは6つ、伝えなくてはならない。子供に、リソースを笑顔で伝えたいのだが、それまでの習慣で、つい余計なことを言いたくなる。私は、すぐ子供をコントロールしようとする。つまり「過干渉」であることに、初めて気づいた。本には書いてなかったことが他にもある。

1日3つ「これは任せるよ」って子供に自己決定をさせるのだが、これがなかなか思いつかなくて苦労した。本人が何かを決める前に、親がよかれと思う方向に導いていたことにも、トレーニングを始めてから気が付いた。

そして、子供が電子機器類に依存しているとコンプリメントが心に届きにくいということなので、子供と話し合って、電子機器の制限もした。


 長男につられるように、2つ年下の次男が、5年生の6月ごろから登校できなくなってきた。この子も、極度の自信の水不足になっていたのだ。長男が落ち着いてから、次男には集中的にコンプリメントすることになる。次男の不登校生活については、脳神経的な発見の数々が面白かったので、また詳しく書きたいと思っている。次男の不登校がきっかけで、私はその後、ポリヴェーガル理論や、NVCと出会うこととなる。

 私の自律神経失調状態は、波打ちながら半年ほど続いた。動機、不眠、急に襲ってくる不安感などなど。
婦人科に受診して、自律神経失調症の薬を処方してもらったり、
症状を落ち着けるために、マインドフルネス瞑想に取り組んだりもした。でも、いろいろ試した結果、私の自律神経の乱れが落ち着いた最大の要因は、「親の会」という存在だ。共感してくれる仲間が出来たことは、私の人生を一変させた。不安な気持ちを誰かに話して、受け止めてもらう。このことが本当に、私の心を元気にしてくれた。そして、親の会に通っていると、毎月新しいメンバーが加わる。新しく参加したメンバーは、だいたい表情が曇っているので、すぐわかる。私が隣に座った新米さんの不安を受け止める場面も出てきた。自分が誰かの役に立ってるような感覚が得られた。

 孤立感を覚えると、人は不安に襲われる。
霊長類の本能で、群れから離れたら生命が危ない、と、野生の血が騒ぐのだろう。
安全欲求と、所属欲求が満たされる場が親の会なんだと思っている。

 親の会の、先輩ママたちの弾けるような笑顔には、絶対的な安心感を与える、とてつもない力がある。自分も数ヶ月後には、こんな笑顔になれるんだというイメージが描けた。
 だから、コンプリメントでは、「世界一幸せなお母さんの笑顔で、子供に言葉がけをする」って教えているんだと思う。親が不安でいっぱいな状態を、子供は敏感に察知することも、わかってきた。(不安の強い人の表情は、一目瞭然)

生まれた時からずっと一緒にいて、自分の命を預けている存在、もしいなくなれば自分の命も危険にさらされる存在が精神的に不安定になれば、子供だって身の危険を感じるのだろう。
 親がこの世の中を恐れていたら、子供が世の中に飛び出していく勇気が、湧いてこないと思う。
 親は、子供の持っている力を信じて、この子は大丈夫!と、ドーンと構えていたら、子供は安心できるんだ。

 安心感に包まれて、初めて人はリラックスできる。副交感神経が優位になり、血流や免疫力が上がり、誰かとつながりたい、とか、何かやってみよう、頑張ろう、という意欲も湧いてくる。一人でヨガしたり瞑想して自律神経を整えているだけでは、この感覚は得られなかったと思う。やっぱり、霊長類は群れで支え合って生活する生き物なんだ。

 子供が不登校になった時に、親としてできる、一番大事なことって、なんだろう?

「親が子供のコントローラーを手離して、自分のコントローラーを握る」ということだと私は思っている。

 「お母さんが笑顔になることが大切」と頭で理解できても、なかなか実践できないというのは想像できるだろうか。
その難しさがわかったら、子供だって自分自身をコントロールできないで困ってると想像してみよう。
 「学校に行かないといけない」そう焦れば焦るほど、子供は動けなくて困ってる。

 
だから、親として、明るい笑顔で
「自分のことは自分でコントロールできるんだよ!」って、お手本になろう。動かない子供を動かすことより、自分の顔を動かすことと、子供のよいところだけを見つける達人を目指して集中してみる。

手始めに
「どうやったら私は、幸せな笑顔になれる?」から。

 子供が自分の機嫌をとってくれることには期待しない。自分で自分を、ご機嫌な状態にしてみる。
 
 子供が布団にこもって動かないとしても、
声をかけるたびに「うるせえババア」と言われたとしても、子供が壁を殴って穴を開けていても、自分がご機嫌で、幸せな気持ちでいることは、やろうと思えばできる。
 (壁に穴が開いてたら、驚いて一瞬怒りは込み上げるけど、練習したら数分で立て直すことはできる)

 神様は人間のコントローラーを、その人の分しか与えていない。
 なのに、
 私は子供のコントローラーを握って、社会的に認められるような、立派な大人にしようと操作していた。
 そして、子供が立派な大人になることで、自分自身を安心させようとしていた。

 それは違うよ、って子供は体を張って、不登校という形で気づかせてくれた。
そのことに、心から感謝している。
気づかせてくれて、ありがとう、息子たち。

 コンプリメントトレーニングは、親の言葉や表情の大切さ、子供に向かう心構えの、基本中の基本を教えてくれた。

 私は「自分のコントローラー」を、真剣に握りはじめた。自分をコントロールできるのは、自分しかいないとわかったから。

 そして、自分がいかに脆い虚像を土台として立っているのかに、気づくことができたから。

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