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自分に慣れる

最近、写真を撮ってもらうと、そこに写る自分に違和感を覚えます。
大変厚かましい話ですが、「え? わたし、こんなに老けてない」と思ってしまうのです。

そこで「これはたまたま写りが悪かっただけ」と判断し、撮り直しを要求します。撮影者はだいたい夫なので、何度も撮り直しさせると「しつこい! どのカットもいつものあなただよ! こんなもんだって! いいかげん受け入れろ」とキレられます。
しょんぼり。

どうやら、わたしの脳内では20年前くらいの自分の外見をイメージしたままストップしているらしい。さすがに厚かましいです。承知しておりますとも。現実の己の姿になかなか慣れることができない自分が、恥ずかしいというより、心底恐ろしい。

見た目だけでなく、自分自身に慣れるというのは、意外に難しいことなのです。
どこまでやれば、自分は満足できるのか。
どこまでなら、体調を崩さないでいられるのか。
どんなことで自分は喜びを感じて、どんなことで自分は苦痛や怒りを感じるのか。
何に好感を抱いて、何に嫌悪感を抱くのか。
どれを我慢できて、どれを手離せるのか。

悩み傷つき迷い失敗を繰り返す中で、そういう自分のいろんな「あんばい」を生まれてこのかたずっと学んでいる気がします。
自分という乗り物を、長い時間をかけて乗りこなしながら必死でバランスを取って操縦の仕方を掴もうとしているような。休ませたり修理したりして調子が良くなることもあれば、致命的欠陥と思われる箇所もあって落ち込むけれど、それはもう覚悟を決めて抱えていくしかない。

そうやって、ようやく自分に慣れてきたかなーというところで、今度は「老い」という新たなる変化が始まります。
心も体もベストな状態をキープするには、常に変わり続ける自分と向き合い観察して、微調整しなくてはなりません。
若い頃よりは多少コントロールできるようになったとはいえ、人生後半に入っても自分に慣れるのは難しい。「ああ、またやってしまった」と思うことの連続です。

自分自身との付き合いだってそうなんだから、他人との人間関係なんてそりゃ大変なわけです。
でも他人を変えることはできないので、自分の諸々を受け入れて向き合い、変化に合わせて調節しながら乗り切りたいと思うこのごろです。


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