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ツールとして使っても占いは楽しいという話

前回はカードリーディングについて書いたが、他にも子供の頃から様々な占いに触れてきた。
最初は魔法のようなものへの憧れ。
成長するにつれ、行き場のない悩みの答えを求めて使うようになった。
しかし長年楽しみながらはっきりした事がある。
これは私の思考を整理する為のツールだ、と。
元々、おもちゃ箱をひっくり返したような頭の中だった。
自分の考えを求められても、感じていることを訊かれても上手く答える事ができない。
例えば「子供の頃にあった事」なんて曖昧な質問も答えられなかった。
頭の中でたくさんのものがかき混ぜられるような、クレヨンでぐちゃぐちゃと塗られるような、あるいは靄がかかるような、そんな感覚。
記憶をインプットする事はできるようだけれど、それをアウトプットするのは今でもかなり苦手であると自覚している。

そんな私でも、何か取っ掛かりのようなものがあれば上手く思考をまとめられる事が分かった。
池に石を投げこめば波紋ができるように。
検索ワードを打ち込めば結果がずらりと並ぶように。
その取っ掛かりとして、私にとっては占いがとても役に立つのだ。
だから大なり小なり悩みができた時、そして自力で答えを出しづらい時にはいつも占いを使うようになっていた。
もしかすると大多数の人はそれを人に相談することによって解決するのかもしれない。
しかし私は、相談するという事ができない性質だった。
頼るのが下手なのだろうか。そもそも選択肢になかった。


当たるとか当たらないとか、占いの通りにしないと不吉なことが起こるだとか、そういうものは私にはあまり関係ないのだと思う。
たしかに良い結果が出れば少しは嬉しくなったりもするし、ラッキーアイテムや色、アドバイスなどが出るとその通りにしてみることはある。
気まぐれにゲン担ぎをしてみたりもする。
それでも結果に支配されるような事はしない。
自分がそうしたいと考えればアドバイスとは真逆の行動をする事だって当然あるのだ。
重要なのは、占いの結果を受けて自分が何を感じるか。
自分がどんな答えを出すかである。


未だにタロットの詳しい意味には自信がなく、解説を見ながら読んでいることが多い。
ふんわりと覚えているだけあってカードをめくった時に単語や台詞が浮かんできたりするものの、やはり心もとない。
たまにバシッと決まることもあるけれど。
勿論オラクルカードもルノルマンカードも覚えきれていない。
絵柄から答えを読み取っている占い師さんもいるのだけれど、私にはあまりそういう事はできないようだ。
これも慣れだろうか。


スピリチュアルなものが嫌いなわけではない。むしろロマンがあっていい。
リアルとオカルトの両面からそういう事を見るのが私は好きなのだ。


占いは胡散臭くて抵抗があるという人がいるなら、私のような使い方もあるのだと知ってほしい。
悩みの渦にはまって抜け出せなくなっている人にも知ってほしい。
占いは、思考を助ける為のツールとして使える。
気楽に楽しんで。



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