今はもう無くなった不思議な感覚の話
子どもの頃の私は、風が吹けば心が騒ぐような感受性の持ち主だった。
青空を見ても、雨が降っても、夕焼けを見ても星空を見ても、木に囲まれたり自然の水に触れても、風の匂いを嗅いでも私の心はざわざわと動いた。
心地良くもあり、なんとなく気持ちの悪さもあるような。
心がどこかへ連れていかれるようだった。
周りからは何をぼーっとしているのだろうと思われていたかもしれない。
特に思春期、この感覚は強く出た。
夏休みに家族で祖母の家に行った時、近くの川で遊んだことがある。
たしかそれは中学生の頃。
あまり詳しく覚えていないけれど、その川には水の溜まったような広い場所があり、みんながそこで遊べるようになっていたと思う。
水に触れているうちに私は何故か騒ぐ気分ではなくなったので、仰向けに浮かんでじっとしていた。
そうしていると、だんだんと水に溶けて一つになるようだった。
何もなくなるような。静かに流れていく時間。
なんだか不思議な気分でぷかぷか浮いていると、溺れたと勘違いした叔父が慌てて寄ってきた。
当時は何故なのか分からなかったけれど、今ならまぁ当然だろうなと思う。
仰向けに浮いて動かない子どもがいたら私だって慌てる。
大学生になってから杖を作りたくなったことがあった。
西洋の魔術では道具を手作りする人が多いそうで、ハマっていた私はそれを真似たくなったのだ。
近所の小さな神社に隣接する林があり、そこに落ちている丁度良い太さの枝を一ついただいてきた。
その日はよく晴れていた。
たった一人歩いていると吹く風が心地良く、心がざわつくような、それでいて凪ぐような妙な気分になったのを覚えている。
風で葉が擦れ、木々の囁きが聞こえてくるような気がした。
何を言っているのかはさっぱり分からないけれど。
そうして持ち帰った枝は皮むき処理をして、ミネラルショーで買っておいた石などと組み合わせて杖にした。
枝部分は蜜蝋で磨いて滑らかなツヤ出しをしてある。
今思えばこれはシャーマンワンドの形だ。
作った杖は、もう使いもしないし大事に保管するわけでもないくせに、10年経った今も何故か手放せないでいる。
なんとなく恥ずかしいので写真は載せられない。
思春期を抜けて歳を重ねていくにつれ、この不思議な感覚は消えていった。
今も自然に触れるのは好きだし、むしろ呼ばれているかのように求めてしまう事があるけれど。
スピリチュアル的に言えば多分、自然との相性が良いのだと思う。
その気配を受け取る力を持っているというような。
文章として書けるほど覚えているのは先程の二つの出来事のみだけれど、その頃の自分は正直言ってこの感覚がしんどいと感じることが多かった。
かなり面倒だと思っていた。
しかし無くなった今となっては少し寂しさがある。
失くしてはいけないような大事なものだったような気もしている。
使いこなせれば上手に付き合えたのだろうか。
今はもう、分からない。
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