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迷い子のマコ II


きみが泣く理由なら
僕が数えてもきりがないほどあったのに

きみはなぜ一粒の涙さえこの星に残さず
爪のさきほどの恨みさえ残さず
旅立つことを選んだのだろう



神さま マコを守ってください
無力な僕の代わりにどうか
マコを宇宙に隠してください


マコ もう大丈夫だから
ずっとそこにいていいよ
もう傷つかなくていい
もう誰も傷つけなくて済む

元通りになるだけだから
なにもかも



🌎💫



マコと初めて出会った日
僕は染めたてのピンク色の髪を
機嫌よく風にさらしながら
公園通りを歩いていた


大人になるまであと1年
大人になったら僕は髪を黒く染めなおし
人が変わったようになるだろう


いずれ来たる日々の情景が頭を掠め
僕は少し眉根を寄せた

しかしだ 僕の髪はピンクなのだ
今はまだ


そうして公園を取り巻く石畳を歩いていると
植え込みのあたりから
ふいに「ああ」と声がした


葉っぱの間からぴょんと飛び出してきた黒猫
その姿をなにげなく見送り僕は首を傾げた


「ああ」と力なく吐き出された声が
まだ耳元に残っている


それは消しゴムを落っことしたときのような
忘れ物を思い出したときのような
弱々しくどこか情けない声だった



植え込みの奥から
落ち葉がこすれる音が聞こえる

僕は数歩近づいて
音のするほうをのぞきこみ
ぎょっと目を見開いた


尻もちをついたまま
茫然と地面を見つめている生物

灰色の身体と細長い四肢は
ビニールテープのようにぬめっとして
ところどころが奇妙にてかっていた

ころんと落ちてしまいそうな大きな瞳は
深い泉のように青く


鼻はなく 口は哀れなほど小さく


いやでもわかる
宇宙人だ



僕がじっと見つめていると
宇宙人はふいに顔をこっちに向けた

それはカマキリがゆっくりと
振り向くときの動き方に似ていて
虫嫌いな僕の背筋には
指でなぞられたように鳥肌がたった


僕たちはなにも言わずに見つめあった

宇宙人の目はあまりにも大きく
白目と黒目もないために
ずっとそうしていると
本当に目線が合っているのか
だんだんわからなくなってくる



宇宙人の頬には傷があった


細い四本線がざっくりと目の下を走り
そこから銀色の液体が滲み出ている


「あ、大丈夫?」




思わずそう聞いてしまい
僕はすぐに後悔した


まったくの偶然ではあるが僕は昨日の夜
人間が何らかの方法で宇宙人から
個人的にメッセージを受け取ってしまった場合
その対処法が国際天文学連合によって
定められているということを
本で知ったばかりだった

まずむやみに返信してはならない

地球人の代表だと思われたら
個人では対処しきれない大問題に
発展する可能性がある ということだった



しかし僕はその規定に従うどころか
自分から話しかけてしまったのだ


なにも答えないでくれと僕は祈った


なにも知りたくないんだ
だからなにも言わないでくれ



幸いにも宇宙人は一言も言葉を発さずに
小さな口を半開きにしたまま

やはり茫然自失したようすで
僕を見つめているだけだった


まだ見て見ぬふりはできる

僕は自分に言い聞かせ
その場を立ち去ることにした


しかし十歩ほど歩いて
角を曲がりかけたところで僕は思い直し
元いた場所へ戻った


好奇心でもなく 怖いもの見たさでもなく
傷が痛々しかったから
どこにも行き場がないように見えたから


宇宙人は植え込みの奥に尻もちをついたまま
こっちを見てぼうっとしていた

僕が一度立ち去ってからも
おそらく1ミリも動くことなく

異様な姿をしながら
どこにでもいる生き物ように
ぼうっとしていた




「おいで」


僕は手を差し伸べた

放心状態で僕を見上げる小柄な宇宙人は
迷子の幼い子どものようにも見える

僕は上着を脱いで
宇宙人の上半身をくるむと胸に抱いた


発泡スチロールのように軽い身体
僕が歩くと灰色の足がぶらぶらと揺れる


僕はその無防備な二本の足を
できるだけ自分の腕で隠しながら道を急いだ


本に書いてあったとおり
国立天文台に連絡するべきだろうかと
一瞬そんな考えが浮かんだけれど

それより隠してやらなくてはと

僕はなぜかそう思った


この異様な身体を
大きすぎる目を
小さすぎる口を

僕は隠してやらなくてはならないのだ

そう考えながら歩き続ける僕の顔を
宇宙人は上着の生地の隙間から
青い瞳でじっと見つめていた




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