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ゆめまぼろしでも



身体の性別に関係なく、誰であれ女性性と男性性を持ち合わせているものですが、女性性の愛を求める男性性の強い思いや、精神的な飢え渇きは、特に切実なものであるような気がします。

自分自身の中であまりにも男性性や父性が強いと、前進、向上することや、規範、厳しさなどが重視され、内面生活がちょっと苦しいものになりそうです。女性性も男性性も、社会で生きていく上ではもちろん両方が大切な性質ではあるけれども、生き物にはまず、女性性・母性的な愛情が何においても必要不可欠なのかもしれないなあと思います。


…というのはちょっとした前置きで、わたしは映画や小説の中で、女性の愛を求めては散っていく(?)男性の姿を見ていて、切ねえ〜〜と思うことが多々あるので、その気持ちについてちょっとここらで発散しておきたいのです…。

私もどちらかといえば女性的な愛情を求める気持ちのほうが強く、一向にそれが満たされないまま時間が過ぎていくと、なんだかわからないけど切なくて心許なく、帰る場所がないように思えて寂しく感じます。そのせいか、女性的な愛を求めて彷徨ったり、それが得られなかったりする男性たちの悲哀の深さは、とてもよくわかるような気がするのです。


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ここから先は映画のネタバレ的な内容になります。不快に思われる方はご注意ください。でも、実際に鑑賞する楽しみは失われない程度に書いたつもりなので、映画も見てもらえたら嬉しいです…。


わたしが「男性の愛、切ねえ〜〜」と思う作品で思い浮かぶものといえば、まず、アメリカの作家ポール・オースターが脚本・監督を務めた「ルル・オン・ザ・ブリッジ」、それから、キャメロン・クロウ監督の「バニラ・スカイ」、スパイク・ジョーンズ監督の「her」などです。


3つの作品に共通しているのは、主人公の男性たちがヒロインの女性を愛したこと、または彼女たちから愛された、という体験が、ある意味では幻であるということです。本当に、「ある意味では」、です。

物語の中で、どの映画の主人公たちも、ヒロインとの関係性において一般的な愛の形を獲得した、とは言い難い状況に置かれています。愛が想像の産物であったり、恋する相手が人工知能であったり…。

でも、たとえ夢や幻でもいい、相手が生身の人間じゃなくてもいい。想像の世界でだけでも女性に愛されたい。愛したい。という彼らの必死さに、わたしはとても胸を打たれます。


そういった必死さや、「女性に愛されたい」という欲求は、ひとつ見方をずらせば「気持ち悪い」ものかもしれません。

実際に「her」について検索すると、候補に「気持ち悪い」と出てきます。笑

考えてみれば、今挙げた3作品はいわゆる疑似恋愛的な要素がある物語で、気持ち悪いと思って見れば、たしかにじゅうぶん気持ち悪いです。

ですが、愛されたい、愛したい、という欲求は、人間なら誰もが内に秘めているもので、本来とてもピュアなものであると思います。


「ルル・オン・ザ・ブリッジ」で頭が吹っ飛びそうなほどの衝撃を受けたわたしは、図書館で映画の脚本と製作陣のインタビューを収めた本を借りてじっくり読んでみたのですが、インタビューの中で作者のポール・オースターはこんなことを述べていました(致命的ネタバレを避けるため一部伏せ字です)。


「要するに、別のレベルでは、何もかも本当に起きていることなんだ。(中略)○○○○○とき、彼は最初とは違う人間になっている。なんとか自分を贖ったんだ」
「そうすることで自分を再創造し、向上させ、自分のなかの最良のものを発見する。即ち、たいへん大きな愛情だ」


映画未鑑賞だとちょっと意味が伝わりにくいかもしれませんが、わたしはこれを読んだとき心がパーンと破裂する感じがしました。

こんなに好きなのに、ルル・オン・ザ・ブリッジのことをなんにもわかってなかった…バニラ・スカイのことも、herのことも、なんにもわかってなかった…と呆然とするくらい、オースターの発言はこれらの物語の本質を突いているのです。ルルについては作者だから当然ですが…。

映画について理解の及ばない部分はたくさんありますが、主人公に共感し、ただ切ない…切ないよ…とばかり考えていたわたしは、そうか、大切なのはたとえ擬似的な関係性であっても主人公がそれによって変化したこと、成長できたことにあるんだなあ、と3つの物語のテーマが同時にすとんと降りてきたような気がしました。


主人公の男性たちは、愛する人からの愛を求めたり、人を愛することで愛を知ろうとし、およそ普通とは言えない形でその望みを叶えていきます。

その姿は、やっぱりどこか痛々しく切ないものがあるけれど、その痛みを通して彼らは、本当の愛を知っている人間になれたのだと思います。

ポール・オースターの言葉を自分なりに解釈すれば、自分が愛したもの、愛してくれたものの存在は、夢や幻のようなものだったかもしれないけれど、そこで交わした愛は間違いなく本物で、それは夢や幻から一方的に与えられたものというより、夢や幻を通して見つけた、自分の中に眠っていた深い愛情だった、ということなのかもしれません。

書いていて思ったのですが、人の一生自体、そのようなものなのかもしれませんね( ・∇・)👍


女性性の特徴は「受容する」という性質にあると言われているようなので、いかにして女性性を求め、発見し、自分でもその愛を体現していくか、というのは、どうやって自分を受け入れ、愛するか、ということに繋がってくるのだと思います。

女性性の愛を知り、自分や他者を受容できるようになっていき、男性性に導かれて、社会の中で生きていく。そのバランスがとれたとき、人は生きやすくなるのでしょう。

わたしが映画を通して男性が抱える愛や、愛への渇望感に うっ…となるのは、自分の中で女性性の愛をうまくキャッチしたり、アウトプットしたりするのがうまくいっていないからなのかもしれません。

でも、長い年月をかけて、少しずつですが心がほぐされてきているような気もします。もうちょっと生きていれば何か見つかりそうです。それこそ愛のようなものが…。

色々ありますが、希望を持って生きていこうと思います⸜🙌🏻⸝‍



…………おわり!! /(゚o゚)\

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