人を大切にすることは「好き」よりも「応援してみたい」なのかもしれない。

最近改めて感じることは、「人が大好きだな」ということです。

もともと、世間で言うところの話好き属性で生きている自覚はあったんですが、そこまでは「ねぇ、聞いてよ!」モードが強かったんですねぇ。

で、最近改めて思ったんです・「人が好き」なだけなのではないかと。

人生を振り返る必要は特になく、反省しては「まぁ、こうやってみるか」と生きてきたわけなんですけど、最近その「人が好き」度合いがすごく強い。

なんでなのでしょうか。

たいそうな理由で言ってみると

・つながりを実感できる。1人ではないと思ってみたりする。
・なんとなく体温が自分の平熱より少し温めてくれる。
・知らない話を聞くことで興味の幅が広がってしまう。

と言う自分よがりな理由が多かった気がするのですが、ここ最近、少しだけ風向きが変わってきたんですね。

なんと言うか「大切にしたい」と思うのです。

外に出れば出るほど、もちろんつながりが増えていくきっかけはできてきます。

でも、時々怖い時もあります。

理由は、優しくない人も世の中には存在するからです。

当たり前ですね。みんなが大好きモードだったら、余計な事件なんて起きないので。

そこで、見直してみたんですね。自分の周囲って今、どんな感じなんだろうって。

これまで、僕は自分で何かを初めてしまうせっかちな部分が多々あり、「この人、放置しておいても何かやってくるから勝手に楽しんでくるかもしれない」と思われる部分がありました。

はい。事実です。飽きっぽいし、すぐに横見るし、責任を持ってお金をいただく以上は継続はするんですけど、良い方に捉えて「興味の幅が広い」と思いながら暮らしていました。

そんな人生の中で、焦ったり、比べたりしながら、自分の優位性とか、負けず嫌いで生きてきた部分は多々あり、それは時に膨大なエネルギーを生み出します。

そして、自分の知っていることを誰かに伝えていくことで、興味をひいてみたりもしちゃったりしていたんですね。

でもね、疲れる時もあります。

思い通りにならないとイライラするし、認めてくれないと嫌いになることもあったし、愚痴るし。悲壮感漂いますよね。そんなの自分が受けたら嫌だ。まーめんどくさいぞ!

で、少し考え方を変えてみました。

「近くにいる誰かを素直に応援してみようかな」と思ってみた。純粋に、「素敵だな」と思うことを、「好きです」と自分から愛情を伝えるのではなく、

きちんと応援してみたらどうだろうなー。と思ったんです。

生きている以上、何かしら世の中の方はその人自身にしか見えない何かと闘っていて、純粋に頑張っているのではないかと当たり前だけど思います。

辛いこともあるけれど、それは自分だけではなくて。みんな同じだとも思うんですけど、程度は違えど。

「好き」を「応援」に変えてみることで、自分自身、応援してもらえる自分と言うものになってみたらどんな視界が広がっていくんだろうと今更気が付いたんですよね。

今、生活上の理由でたくさんの人に日々、会います。そこではみんな個々の考えがあって、生きています。

そんな中で、素直に素敵だから、応援したいと思った時に「頑張れ」ではなく、「あなたの未来が見たいです。そして、素直にそこに自分が近くで立てていたら少しだけ毎日幸せかもなぁ」と

言ってみたいのです。

それでも、人見知りです。映画や音楽のきっかけがないと、話しかけられないくらい、いわゆるパーティでフリータイム弱者なんですけど!

だから、相談してくれたら素直にこれまで経験させていただいたことは伝えてみたいし、考えられるなら考えてみたいし。

ありがたいことに、世の中にはこんな自分でも、必要としてくれるきっかけを与えてくれて、応援してくれるる人がいるんだなぁと今更ながら気が付いたんですよね。

そこでとても必要なのは健全な対等な関係性です。上司、先輩とかのわきまえは当たり前なんですけれど、それ以外に相談し合うって言うことはお互いの時間やスキルの対価を還元し合うことになる。

そこで、「愛情表現」ではなく、「応援してみる」と言う言葉に落ち着いたわけです。

まだまだ見てみたい世界もあるし、手を出したいこともあるし、生きたいこともあるけれど、最低限のこととして、「身近で相手してくれる人」を大切にしたい。

最近、本当に本当にそう感じます。

別に、毎日LINEのやりとりをしなくても、毎週遊ばなくても、だいたいわかるものです。

その1つとして、「握手できたら大切な人になるのかな」と思いました。

気が付いたきっかけは、僕の音楽仲間で、必ず別れ際に握手する人が2人います。最初は恥ずかしかったんですが、最近慣れてきて、自分からもたまに初めての方でも手を出してしまうんですけど、やっぱり手を触ると安心するんですよね。

それは体温と言いますか。ハイタッチでもいいか。同じようなもんですけど。

お互いを応援し合うことで握手できるのかなぁとか考えています。

まとまりに欠けるんですけど、布団の中でぼーっと考えていたら、言葉を並べたくなりました。あとは今、ビートルズが聴きたくなったのでついでに聴きながら書きました。

だって、「自分がやりました!」と言っても結局は相手もいるし、仲間もいるし、届けるべき世の中もいるし。もしかしたら30代前半には見えていなかったんだろうなぁ。

まぁ、そんな話です。

本当に皆様、ありがとうございますですよ。よくもまぁ、こんな人間を心配してくれて、怒ってくれて、励ましてくれる。

だから、とりあえず本音で怒ることもあるけれど、関係性を無理やり作らず、大切にしていきたいなぁと思います。

僕の仕事上のスコープ整理をすると、「とにかく素敵な部分を応援してみんなで伸ばしましょう!」です。それしかないなと今、思います。

と、久しぶりに遠足的な出来事に誘われる日が続いたので、言いたくなってしまいました。

素直に言うとな、「嬉しかった」だけです 笑。

こんな自分でお役に立つのなら、馳せ参じましょう。と、まるで講談で語られるような武士の世界でもありますが、損得は少し必要だけど、

大事に応援しあえる人たちと生きてみたいなと思いました。

今更ですけど。

だから、そう思えると言うことは結局は「人が好き」に尽きるわけです。応援できなかったら、好きになれないし、優しくもできないし。

まぁ、あれです。夜、なんとなく親から電話があってたわいもない話題だったんですけど、恥ずかしくて言えなかった「ありがとうございます:と素直に言えたので、

これからの自分の中の軸として書いてみたのです。

これ、損もすると思うんですよね。仕事の師匠もクライアントさんも、上司も同僚も「あまりにも純度が高すぎて心配になる」と言われるので 笑。

でも、約束守って、悪口言わないで(愚痴は別な。でもポジにいくよ!)、出来るだけ素敵な部分を見つけて、言いたいことも言ってそこで残れる関係性をとにかく大切にしていこうと

素直に思おうと思いました。

今日、飲み会の別れ際になんとなくハイタッチでお別れできたのも嬉しかったんですよね。

世の中には、本当にまだまだ出会っていない、これからもしかしたら出会うこともないかもしれない素敵な人ってたくさんいるんだな。と実感します。

最近、昔の元部下や、最近出会った素敵な同業の方と、「ひたすらみんなの自己肯定感を高めるために褒め合いながら課題を一緒に考えるサロン:と言うどこかで見られたら「ぬるいぜ!」と言うようなコミュニティを始めています。これ、ものすごくよくて、みんながみんなつよつよでやれるわけでもないけれど、大切な人が大切な人に紹介した人たちと、お互いの悩んでいる部分や課題感を埋めあって行くグループです。今は実際にお会いした人だけで小さくまとまっていますが、いい感じです。そんなヒステリックにストイックには僕は生きられません!!!!!!!!! 笑。(責任感は別)

だから、ありがとうございますと。査定なんてしません。とお約束をしつつ、他の皆さんの楽しいnoteと言うお目当と交代とさせていただきます。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

最後に、この記事がそう考えさせてくれたきっかけでした。ありがとうございました。

noteがあってよかったです。


そうだ!忘れてた!

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