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だったら自分が祝うので - ほしい未来を、身にまとう

街が少しだけキラキラし始めると、人の気持ちは少しだけざわざわし始める。

今年もやってきた。

そう、クリスマスという、「何かしなければいけない感」に追い立てられるか、「何もしないと必要以上に意識する」必要性に勝手に迫られる時期が。
そして、師走という年末進行に大人は追われる季節が。

大人は忙しい。誰かが正月休みを取るために、休暇を決めていたとしても、他の誰かからのお願い事が入る。

みんな自分の都合で人の予定を左右したがる。他人に振り回されてしまう大人は忙しいのだ。

そんな中、追い討ちをかけるように行事として存在するクリスマスという2日間。いや、そういう風に決めたのは自分たちだ。みんな身勝手だ。

誰か、恋仲がいないといけなかったり、1人だといけない感じがしてきたり、家族を大事にしなければいけなかったり、子供の願いをそっと叶えなければいけなかったり、謎の義務感に巻き込まれる大人たち。

大人は忙しい。

自分たちで勝手に忙しくしてしまう。

少し忘れていないだろうかと、今朝方立ち止まって考えた。
昨夜、20年来の友人と久しぶりにお酒を飲んでしまったからかもしれないけれど、考え込んでしまった。

「もう少し自分を祝いたい。もう、今年がんばったじゃん」と。

僕は決めた。会議が終わった瞬間、決めた。

「自分を祝う1日を」と。

そう決めては見たものの、先立つものはお金だったりする。
工夫で節約しながら充実した時間を過ごすには、僕には考える時間も、ソロキャン的な技術もなかった。

とりあえず掃除をした。そしたら・・・・出てきた。

絶対に使わないであろう商品券が。
それをあーだこーだすると、不思議なことに、元での97%くらいの資金調達ができる。ちょっとだけ裕福になる。

元手が手に入れば後は強い。自分を甘やかすだけなので、街に出る。

誰かに祝ってもらうことばかり考えたり、誰かを祝うことばかり考えていると、疲れる。だから、自分でとことん楽しんでみて、自分を祝う。

とりあえず、乾いた気持ちを潤すために、世の中には芸術というものがある。

「どこで調べてくるんだ」とよく言われるけれど、僕のスマホには、魔法のブックマーク集がある。

そう、今どこで何ができるのか?どんな映画や落語、演劇が見れるのかを目的地からさらっと見つけることができる。
大体の場所のラーメン店の「日替わり限定 / 本日の裏メニュー」だってわかる。わからないのは好きな人の本音くらいだ。

後は話は早いのだ。

気になる近場に行けばいい。行きたいところに行けばいいのだ。

さらっと調べると、どうやら池袋でイケてる演劇がある。時間はぴったりだし、その後別の芸術というものに触れることもできる。

東京芸術劇場で行われている、Sky presents「てにあまる」。見れるじゃん。と、見つけた。ずっと見たかった、藤原竜也さんと柄本明さんの生演技。

見れるじゃん。と、僕は池袋に行く。

雑踏に慣れず、あれだけ苦手だった池袋。今ではさらっと歩くことができる。芸劇、キックのジム、寄席のおかげだったりする。
この間なんて、ロサ会館のゲームセンターで魂を抜かれたように半日ほどメダルゲームができたくらい、慣れた。

「てにあまる」あまりにも素晴らしくて震えた。

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ストーリーは、

一人で暮らす老人(柄本明)の家に、男(藤原竜也)がやってくる。老人は戸惑うが、その男は老人を家に連れて帰り、二人の奇妙な同居生活が始まる。男はベンチャー企業の経営者であり、部下(高杉真宙)が彼を支えている。部下は男の家を訪れ、見知らぬ老人がいるのに驚く。男は「家政夫だ」と老人を紹介する。部下は男に対して盲目的な憧れと畏れがあり、素直に信用する。ある日部下は、男の別居中の妻(佐久間由衣)を連れてくる。妻は男と離婚をしたがっており、その話し合いのためだ。家政夫の老人に対して怪訝な目を向ける妻に、老人は不敵な笑みを浮かべる。
妻と部下の関係を疑い、壊れていく男。その様子に心が離れていく妻と部下。

という家族についての話題。自分たちはその関係を始めるのか、終わらせるのか。そこは見ているうちに必要以上にステージの上から「君の家はどうなんだい?」と突き付けられるので、会場で見てもらえればいいのだけど、
実家が苦手な自分としては、少し「どうしよう」な気持ちになった。

自分は家族という概念が希薄で、偶発的にたまたま血縁があり、同じ家にいて、過ごしていて、そこの義務感が少し苦手だったりする。
「家族や血縁って、もしかしたらこの世で最も誰も悪くはない罪を背負わせてしまうものだよね」という素直な気持ちがのしかかる。

仕事や友人関係は自分に向いた場所に行けばいいけれど、どうしても不回避なものがあり、そこから離れていく体力や精神力は相当なものになる。

そんな光景を目の当たりにしているうちに、ぐるぐると自分の家族の姿で脳内がいっぱいになる。師走のせいだ。

悲しくも嬉しくもない涙でマスクが濡れた。池袋をとぼとぼと歩いた。すっきりもモヤモヤもない池袋が目の前に広がっていた。
血縁関係、家族関係という現実にまみれた僕の前にあるのは、ただの2020年12月24日の池袋だった。

とりあえず、レコードを買いたくなった。
去年も僕は同じ日に同じレコード店に行った。


馴染みの顔に会い、自分の愛するジャンルと触れる。少しだけ夢みたいな気分になりたく慣れば、レコード店に行けばいい。

自分が抱えている気持ちをどこかの誰かしらが、必要以上にいいパッケージで表現しているから。

だから、レコードを買い、音楽を聴くの。きっと。

カセットテープを買う。どうしても欲しかったやつ。


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クリスマスのお菓子をもらう。なんか、ありがとう。

夜が迫ってきた。原宿はカップルがたくさんいて、みんな思い思いの時間を服に消費してる。渋谷に行くか、新宿に行くか、それとも自宅に近くか。

そうね、と、日比谷に。銀座あたりを歩きたくなる。

銀座。並木通りあたりから数寄屋橋の交差点くらいを歩くのが好きだ。特に、この季節はイルミネーションやひんやりとした空気と、ハイブランドのブティックのネオンでキラキラして見えるこの街が愛おしい。
ただ、眺めているだけで誰かの幸せをおすそわけしてもらえているような気持ちになる。

エルメスで誰かへのプレゼントを買う人たち、日比谷シャンテの前で手を繋ぐ人たち、有楽町駅前で、縁起のいい宝くじを買い求めようと行列を作る人たち。

何かしら「幸せになろうよ」という空気が無理なく充満しているから、好きなのだ。いいよ。ハピネス、いいよ。みんな幸せになればいいよ。
という気持ちで歩ける。

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カルティエのウィンドウを見ても、スタバでラテを飲んでいても幸せな気分にしてくる街、12月末の銀座。
いいよ。いいよ。と気分が「スン」となってくる。

映画でも見て、何か食べて、本でも買って帰りたくなった。とりあえず、まずはこの街に溶け込みたくなって喫茶店で本を読んだりしていたのだけど、
gggことギンザ・グラフィック・ギャラリーに吸い込まれる。

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石岡瑛子の展示が開催されていて、幸せなオーラに溢れた街の空気を一掃するかのような現実的なデザインに対するストイックな言葉で溢れている。
ここできたか。現実よ。

と、思いながらまた街に出て、映画館に行き、映画を。

そうこうしているうちに、メッセンジャーが騒がしい。来年と来週、会いたい人たちからの連絡が入る。

なんとなく、予定が埋まっていく。

自分で自分を祝っていたら、友人たちが勝手に未来の約束を持ってきてくれた。

そんで別の知人からはやってみたかったこと残り1的なプロジェクトの誘いがあったりして。

なんだよ。プレゼントは大切な人たちからの楽しげな未来の約束だったのか。

もう持っていたのか。

銀座の「スン」とした空気とともに、ほしい未来を身にまとう。

そんなクリスマス・イヴを過ごしたんだよっていう世間と同じような感じで1日が終わり、明日が始まってしまった。

気持ちも入れ替わったので、明日はたくさん働きますかー。


新しいzine作るか、旅行行きます。