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【Perfect Ends】第一話

あらすじ

 総プレイ人口50万人以上と言われる、大人気ストラテジーゲームで24人しかいないプロライセンスを獲得した氷見岬(ひみ・みさき)はプロ初のタイトルマッチを控えたさなか、AIによってゲームが完全に解析されてしまう。そのAIが出した結論はそのゲームを終わらせるものだった。
 予定されていたタイトルマッチもなくなり、プロライセンスも維持が不可能になり無効に、失意の中、そのゲームで出会い、交際に発展した彼女、葉月雪咲(はつき・ゆら)の誘いで麻雀と出会う。麻雀とそこで戦う選手に魅せられた彼はやがてのめりこみ、培った超人的な記憶力と逆算能力で頭角を現していく。

本編

「2番出口よりも3番出口から出た方が遠回りなんだけど、こっちの方がちょっと空いてるから結局早く着くんだよ」

 そういって彼女は僕の手を取ってグングンと進んでいく。

「そんなに焦らなくても」

「看板の写真とか取ってから、中に入りたいから。ほら、急いで」

 エスカレーターには目もくれず、階段を2段飛ばしで突き進む。地上に出た瞬間、青の光に包まれた巨大な建物が目に入る。Rii-TEC 新東京フューチャードーム。大きさは東京ドーム以上。マインドスポーツやアーティストの公演に使われ、室内型遊園地も併設されており、エンターテイメントの一大拠点となっている。僕の夢の舞台だった場所だ。
 そして今日は行われるのは、麻雀全日本ツアーFINAL。全国7会場を行脚しながら行われる麻雀日本一を決める闘いの7会場目らしい。
 らしいというのは情報は全て彼女が一方的に捲し立ててきたからだ。LINEで「5/13空いてる?」と聞かれ「空いてる。」と返しただけなのに、いつの間にかこれに付き合わされることになっていた。
 人ごみをスイスイとかき分け、会場玄関近く、お目当ての選手のボード前に並ぶ。
 入場ゲートを見ると対局者4人が載った巨大なポスターが見える。名人位 大垣遼、賞金ランキング1位 早川結衣、全日本予選1位 榊亮憧、VtheTop1位 竜ノ睛。
 彼女の推しは大垣遼だ。名人位を取る前からの推しらしい。
 他の出場者でだと、竜ノ睛は知っている。人間のVtuberながら、他のVtuberを抑えタイトルを獲得した人類の希望。AIの暴力で押しつぶされた身としてはうらやましく感じる。
 いつの間にか、撮影順番が回ってきたようだ。彼女にひょいっと手渡されたキューブロコンを展開する。ボードに向かって肩を小突くようなポーズを決める。はい、チーズと気だるそうに言うと、

「もう、ちゃんと撮ってよ」

と怒られてしまったが、ちゃんと撮ってはいる。顕現させた画像を見て、

「まあ、及第点かな」

とまんざらでもなさそうな声でつぶやく。現実ではただのボードだったものが実際に彼女の横にいるかのように表示される。

「やっぱりすごいねーARってのは。第28期名人戦の優勝の瞬間の完全再現じゃん。いやー、このとき本当に泣いたな。だって最後あがれば優勝っていう局面だからって、単騎待ちで全ツだよ全ツ。みてる方はもう口から内臓飛び出るかと思ったし、それで飄々とツモるんだからもう心情ぐっちゃくちゃだよね」

 ゲートを通り抜けた後も彼女の講釈は続く。渡されたチケットは2階西、C11,12番。彼女曰く超見やすい位置で推しの真後ろらしい。
 階段を昇り、客席に続く通路に入る。びっしりと詰まった観客席。見下ろすと、中央、1ブロックだけ床が高くなっているところだけ何も置かれていない。紫色のライトが観客席を縦横無尽に動き、重低音の音楽が気持ちを煽る。
 席に着くと、VRゴーグルと広告がいっぱい入ったパンフレットが置いてあった。広告を床に落とし、VRゴーグルを装着する。

「設定とかわかんないでしょ。ちょっと待ってていじったげるから」

 そう言いながらひょいっとゴーグルを持ちあげて装着すると、慣れた様子で設定を決めていく。返されたゴーグルを装着すると、
演出:ミニマム
実況解説:なし
周辺音声:小さめ
卓音声:大きめ
同行者音声:普通
リアル映像:同行者のみ
手牌表示:右下
補助機能:全部
というウインドウが2秒ほど表示され消えると、先ほどまで見えていた会場の様子がそのまま画面に映る。違うのは先ほどそこら中にいた人間が写らないことと、何もなかった中央に卓が出現している。

「実況はなくていいの?」

「本当に何も知らないうちは聞いてもなにもわかんないよ。今日は特別に私が解説してあげるから」

「それじゃあ、簡単に試合の流れと勝利条件だけ教えて」

「試合の流れは至って単純で、4人で順番に真ん中に組まれた山から1枚牌を持ってきて、手牌13枚と合わせた14枚から1枚いらないのを捨てるを繰り返す。そして、14枚が特定の形、4面子1雀頭って名前が付いてるけどその形になったらあがりだね。あがったときの手牌によっては役がついて、役によって、あがり点数が変わるんだよ。これで一局が終わり、何局かやって最終的に点数が一番多い人の勝ちだね」

慣れてるのかスラスラと説明が続く。

「で、飛ばした話として面子と雀頭があるんだけど、面子が3枚1組で345って階段みたいなのか333って同じ柄のものが集ったもの、雀頭が2枚1組で33というように同じ柄が集まったものね。面子4組雀頭1組があがりに必要だから4面子1雀頭ってわけ」

「なるほどねえ」

 わかったかわかってないか、曖昧な感じで頷く。いや、今の説明はだいたいわかったが、対局が始まるとわかんないことが噴出するのが目に見えてるのでこういう反応をせざるを得ない。

「まあ、あとは必要に応じて説明するよ。とりあえず雰囲気だけでも楽しんで」

 ライトが消え、観客の歓声が沸き起こる。中央の卓に続く一本の道が照らされ、暗闇から紫紺のブレザーを着た人間が入場してくる。ARということは分かっているが現実と見分けがつかない。

「あの選手って学生?」

「そうだよ。まだ学生。榊亮憧。神童の異名を持っていて、次世代の名人って言われてるよ。プロデビューが若い選手は何人もいるけど、17歳で全日本ツアーは前例がないね。ここまで24試合で-1256.2ポイントだから信じられないくらい苦戦しているけどね」

 続いて、深青色のドレスを纏った女性が入場してくる。

「あの人は早川結衣だね。名人Aリーグ、クラシック3位、最強位戴冠など各タイトルで結果を残して賞金王に輝いた選手。年間何百半荘と対局してそれでも大崩れしない。昔はアビサルディーヴァとかいう異名がついてたっけな。あだ名はまいまい。24試合で+241.7ポイント」

 そして今度はスーツ姿の男性だ。

「そして私の推し。大垣遼。悲願の初タイトル、しかも名人を38歳にして獲得し、現在2期連続名人。だからこのツアーも2回目で前回は3位。今は24試合で+264.4ポイント。あだ名はがっきー。超速の金剛の異名を持ち、他者を寄せ付けない素早いあがりと、リードしてからの硬すぎる守備が特徴。あんまりこのツアー通して持ち味を発揮できてるとは言えないけど」

 最後に紅色のチャイナドレス姿の女性が入ってくる。

「竜ノ睛。Vtuberだけが所属する団体からの代表で、最上位リーグに存在する唯一の人間。まあ、巷ではAIの方がよっぽど人間っぽいて言われてるけど。24試合で+750.1で……まあぶっちぎりだね。あだ名はひとみん」

「今日って1試合だけなんだよね、ひっくり返せるの?その差って」

 竜ノ睛が席に着く。卓の縁を優しく撫でながら、笑みを浮かべている。

「ガッキーとひとみんは485.7差だからガッキートップでひとみんがドベでも425,700点差必要。10万点差すらほとんど発生しないから。言ってしまえばもう今年の全日本ツアーの優勝を決める戦いは終わってる。準優勝争いは競ってるけど」

「それって見てて面白いの?」

「さすがに推しが優勝争いしてた方が盛り上がるよ。でもチケットはこうなるずっと前に買わなくちゃだから。まあ今日は解説に専念するよ」

 ちょうど対局者たちが一例するところだった。対局開始を告げるように卓が赤く照らされる。照明が普通の明かりに戻ると共に、卓外にいろんな情報が出現した。対局者名と方角(?)と四向聴や三向聴などの意味わからない言葉がある項目、そして期待値という項目がある。

 淡々と進んでいる中で、急にぽんっと若く高い声が響く。亮憧が、睛が捨てた牌を取ってるとこだった。

「なにしてんの、あれ」

「副露って言って、相手の捨てた牌を自分のものにできる行為。今やったポンが柄が同じ3枚を揃える行為だね」

 亮憧が取った牌を、いつのまにか上向きになっていた2つの自分の牌と合わせて脇に置く。

「強い行為じゃん。ランダムに山から引いてくるのとは違い欲しいものが手に入れられるんでしょ?」

「そうなんだけど、副露した部分はああいう感じで、みんなに3枚1組見えるように脇において、入れ替えたりできなくなるのと、あと、単純にあがったときの点数が下がることが多い」

「あがりまでの速さと点数のトレードオフみたいな感じ?」

「おおむね、そうだね」

「確か、亮憧ってめちゃくちゃ負けてるんだよね?点数犠牲にしていいの?」

「そうなんだよね、一応亮憧君がいま親っていう役割であがる通常の1.5倍の点数が入るの。1人ずつ親番は回るんだけど、1周目を東場、2周目を南場といって、その2周目が終わったら普通の対局はおしまい。今回はちょいと違うけどね。そして、親があがったりすると、親が交代しないで局が続くんだよね」

「だから親は早いあがりが大切ってこと?」

「うーん。ケースバイケースかな?これは私目線でもあんまり良い副露じゃない気がする。亮憧君このシリーズ全体的に前のめりすぎなんだよね」

 その局は亮憧があがり、他の対局者から500点づつ、計1,500点をもらったという趣旨の表示が画面上に現れる。
 新たな手牌が配られて期待値と向聴の表示が更新される。

「この向かうに聴くってやつはなんなの?」

「あー、それはね、シャンテンって読んで、あがりの一歩前を聴牌って言うんだけど、聴牌になるのに欲しい牌が何牌くればいいのかっていう表示。ややこしいけど、一向聴ならあと2牌欲しいのがくればあがりだね。数字が小さい人の方があがりに近いと覚えるといいよ」

 亮憧が二、早川が三、大垣が三、竜ノ睛が四と表示されている。竜ノ睛が牌を持ってくると、数字が三に減った。

「なら、また亮憧があがりそうだね」

「どうかな?私の推しの異名を忘れたの?」

 彼女がそう言うと同時に大垣のチーと発声した。先ほど同じように3枚脇にやる。数字が二に減る。

「いやー、役牌後付けの好発進だね。これは一瞬で終わるよ」

 少し経って、今度は大垣がポンと言い、竜ノ睛の捨て牌をとる。数字が一に減る。
 大垣の表示が一向聴から聴牌に変わると、新たに待ち牌表示のウインドウが増え、🀞 🀡、残り3枚と表示された。ほどなくして大垣があがり、1000+300点が竜ノ睛から移動する。

「本当に超速だな」

「まあ今回のはひとみんが協力したのも大きいけど」

「協力?」

「ひとみんの立場としては、何点誰にあげようと局が進めばオッケーなの。だからわざとガッキーが欲しそうな牌を打って局を進めた」

「なるほど、ちなみにさっきと点数の移動が違うけどこれはどうして?」

「あがりにも2種類あって、自分であがり牌を持ってくるツモあがりと他人が牌を捨てたときにその牌であがるロンあがりがあるの。ツモの場合はみんなからもらうんだけど、ロンの場合は捨てた人からもらうって感じ。あと親が続行すると、連荘っていって1局ごとにあがり点が300点づつ増えるのでそのプラスだね」

 次の局も大垣が副露から2000点をあがる。ツモあがりだ。早川ファンの方から落胆の声が響いてくる。

「4300点差ってどれくらい?」

「点差は微差って言っていいものだけど、それよりガッキーとひとみんが協力体制を築いてるのがきついね。いくら実績抜群のまいまいとはいえ、この二人が組んでる状況で逆らうのは相当厳しいよ」

「協力ってしていいの?」

「さすがに声を出してこの牌くださいって言うのはダメだけど、あの二人だと、副露や捨て牌だけで、ある種の意思疎通ができるからね。ただ次はガッキーの親番だからね。一瞬協力体制が崩れるよ」

「なるほど、この局は大垣があがっても竜ノ睛にとっては試合が進んでいかないから大垣をあがらせる意味はないのか」

「そういうこと。あと、ガッキーにとってもあがりたい自分で局だしね」

 純粋な1対1の勝負が始まる、大垣が二向聴、竜ノ睛が三向聴、亮憧が五向聴、早川が二向聴

「形的にはイーブン。期待値はガッキーのが上だね?親ってのが大きい。」

 その争う二人の打牌が慎重になる。大垣が牌を持ってきて、それまでになかった長考に沈む。

「二択で悩んでるね。どちらかの面子候補を切り捨てなきゃいけない」

 言いながら彼女は顎に手を当て少し考えたあと、

「うーん。この状況だとどっちが良いっていうのがかなり難しそう」

「だからこその長考ってわけね」

「ほとんど差がない選択でも、結果が出るときには大体大きな差になって帰ってくるものだから、意地でも最善を導き出したいはず」

 しばらくして大垣は右の方においてあった🀔を切った。悩みなど振り切った堂々たる手つきだった。同時に大垣のカウントが一向聴になり、同順、追随するように早川も一向聴に。

「これは二人がぶつかるね。盛り上がるところだよ」

 そこから何周かは何も起こらなかった。しかし大垣がある牌を持ってくると手つきを変え「リーチ」と野太い声で発声した。

「リーチ。いわば私はあがりまであと一歩という宣言だね。言わなくてもいいし、言ったら、あがり牌以外持ってきた牌をそのまま捨てることしかできないけど、役としてカウントするから、あがったときの点数は大きくなる。リーチ麻雀の最も基本的な役」

「なるほど、点数があがるなら言い得か。でも他の人にもあと一歩と教えるわけだから、そこらへんってどうなの?」

「まあ基本的には言い得だけど、確かに他の人は警戒してあがれる牌を捨ててくれなくなったりで、場合によっては言わない方が得ってときもあるよ。あと防御ができないというのも大きなリスクだよ」

 竜ノ睛が早速揃ってそうな部分を崩した。亮憧も覇気なく安全策をとる。
 唯一早川だけはなにもなかったかのように持ってきた牌をそのまま切る。会場が少し熱気を帯びる。

「殴り合いだね」

 思わず手に力が入る。どんな競技でもお互いに引けないノーガードの殴り合いの場面が一番熱い。そして次の巡、早川は目当ての牌を持ってくる。一向聴から聴牌という表示に変わり「リーチ」と鋭く切り裂くような発声が響く。表示は立直へと変化し、あわせて待ち牌表示に🀓🀖と現れた。

「ガッキーが捨てた待ちだ」

 彼女がそう呟いた刹那、大垣が持ってきたのは🀖だった。

「ロン」

 早川の声が大きさ以上に響き渡る。大垣はぴくりともせず、ただ彼女の手牌の方へゆっくり視線を移すと、「12,000」という声に「はい」と短く答え。さっと点棒を渡した。最初に亮憧に渡した500点と同じ手つきで。

 局が移る。4,100点のリードは20,000点以上のビハインドに。

「痛い失点だし、違う選択をしていたら、反対の結果になってたけど、本人もそれは織り込み済みだし、まだまだこれからだよ」

 大垣の手つきは何も変わらず、淡々といらない牌を切っていた。が、この局も早川が5,200点を獲得し、27,400点差に。再びの亮憧の親番となった。

「あと半分か」

「普通の対局ならね。今回は決着局になるから、2周目の南場が終わったら、3周目の西場に入って、3周目以降、その時点で総合点数がトップの人があがったり、誰もあがらず総合トップ以外の3人が聴牌もしてない状態で局が流れた場合のみ決着となる。まあ要するに最後は自分であがって決めろってことね」

「それってもしかしてすっごく長くなる?」

「今日みたいに圧倒的な差がついてたらそこまで極端に長くなることはないんじゃないかな。ひとみんは40回相手のあがり牌を捨てても、1回あがれば勝ちだし、ひとみんが何局もあがれないってことはないよ」

 と言ったそばから竜ノ睛の「ロン」の声が響き渡る。まだ手牌が配られてから何巡もしないうち、亮憧からのあがりだ。自身の親番をあっさり流され項垂れる。点数も8,000点と決して安いとはいえない。

 南二局も早いものだった。大垣がリーチするも、竜ノ睛がその牌をチーで取り、同順の早川が竜ノ睛のあがり牌を捨て、竜ノ睛が1300点のあがり。

「さっきと逆だ。まいまいとひとみんが手を組んだ。これは厳しいかも」

 早川の表情も大垣の表情もなんの感情も伺えない。ずっとこの対局の全てを支配している竜ノ睛だけが静かな笑みを浮かべている。

 南三局は親の大垣が最初から一向聴のチャンスを手に入れた。

「これは絶対にあがりたい手。本当にあがりたい」

 彼女が両手を組んで祈るように目を閉じた。
 いたってスムーズに3巡目リーチがかかる。待ちは🀀🀂と表示された。

「🀀でツモあがって、裏ドラという加点が入ればまいまいと24,000点縮んでほとんど並ぶ。本当に大きな勝負所」

 ふと、リーチ中の選手の心情はいかほどだろうかと思った。選手もリーチのあとは観客と同じでプレイに干渉できない。この絶対決めたい場面で最後の最後はただ持ってきた牌があたりかどうかを確認するしかない。
 あがり牌は一向に大垣の元に来る様子はないが、大垣の動作に変化は見られない。

「あと、1巡」

 これまで淡々としたプレーだった大垣が、珍しく牌を持つ瞬間に力を込める。持ってきた牌は🀁。
 彼女の腰が一瞬浮いたが、すぐにあがり牌と見間違えたことに気づき「だめかー」と力なくつぶやく。
 次局の配牌は大垣が四向聴、竜ノ睛が一向聴、亮憧が二向聴、早川が一向聴。

「ガッキーだけ遠すぎる」

 そういって天を仰ぐ。やたら他の観客の声がやかましく聞こえてくる。

「なんかざわざわしていない?」

 理由に気づいた彼女が大きく前のめりになる。

「亮憧君、国士の二向聴だ」

 表示されている期待値が32,000というこれまで見たことない数字を出している。

「さ、32,000?急に無茶苦茶な期待値だ」

「役満。麻雀の数ある役の中で、あがれば32,000点というそれまでのゲームをひっくり返すとんでもない役」

 亮憧が一向聴になる。同巡、先に竜ノ睛が聴牌を入れる。🀙🀜待ち。リーチをせず、誰かが振り込んでしまうのを虎視眈々と狙っている。が、この局において本物の虎は別にいた。
 しばらくも経たないうちに亮憧が聴牌する。まだ7巡目。待ちは🀂。🀂は序盤に大垣が1枚切ったきり、誰も持っていない。

「今持ってきたら全員絶対打っちゃうよ」

 選手たちはそんなことなどつゆ知らず、普通と同じ速度でツモっては切るを繰り返す。心が追い付いていかない。本人たちだけはそうとは知らずに山に2枚弾丸が埋まっているロシアンルーレットをしている。
 こんなに残酷なゲームは見たことない。どんなゲームだって大きな動きがあるときはその予感や予兆がする。亮憧の気配はこの対局通してずっと死んだままなのに、やろうとしていることはとんでもない。
 最初に止まったのは竜ノ睛だった。🀃を持ってきたあと、亮憧の捨て牌をじっと眺めた。早川も大垣も途中なんどか手が止まる場面があるが、気にしているのは主に竜ノ睛の手。亮憧の捨て牌には一瞥もくれない。持ってきたのが🀂ならそれだけでこの2人のどちらかの勝負が一気に傾く。
 しかし🀂が選んだのは竜ノ睛だった。悲鳴交じりの歓声があがる。
 竜ノ睛は亮憧と早川の捨て牌をそれぞれ一瞥すると、🀂を捨てた。
 亮憧が「ロン、32,000」と発し、観客席が揺れる。大垣が初めて虚を突かれたような表情を見せ、早川も表情は大きく崩さないが、目を見開いて開かれた手をじっと見つめている。ただ一人、竜ノ睛はにこやかに「はい」と返事をし、点棒を渡す。

「比較的平和な決着になったね。総合順位にはなんの影響もない」

 彼女は背もたれに大きく体を預けると額の汗を拭う。

 南4局は、大垣が本領発揮の2副露からツモあがりで8,000点を獲得。早川とは14,100点差になった。西1局。3周目の亮憧の親番。ここからは竜ノ睛があがった瞬間、竜ノ睛の優勝が確定しこのシリーズが終わる。

 序盤から竜ノ睛が「チー」で大垣の🀙を奪う。

「厚かましい仕掛け。まいまいに、あなた2位が欲しいなら私が欲しい牌を打てるでしょう?って言ってる」

 しかし早川は竜ノ睛が欲しい🀂を持っておらず、もつれたところで大垣のリーチが飛んでくる。

「まいまいは前に出ずらい手牌と点数状況だし、ひとみんは肝心の🀂が手に入らない。大チャンスだよ」

 その大チャンスをモノにし、8,000点の加点。残りはあっという間にたった4,100点差となった。

 続く西2局、大垣の2副露に一切屈さず、早川が強気のリーチで12,000点のツモあがりを決める。2万点差に再び引き離される。
 しかし、大垣は3,900点を既に聴牌していた竜ノ睛からあがると、自分の親番で1,500ツモ、竜ノ睛からの2,900ロン、早川からの1,500ロン、1,500ツモと細かいあがりを重ね、点差がなくなった早川からの5,800ロンでついに再逆転。デッドヒートの様相を呈してきた。
 早川が次局5,200ツモで食い下がると、大垣と竜ノ睛が協力してさっさと終わらせようとするなか、早川はもがきにもがきいて、亮憧から1,000ロン、2,000ツモで逆転。
 迎えた北2局、早川の親番。安全にゲームを終わらせにいくどころか、手をくみ上げ24,000ツモ。さらに次の局でも18,000点以上確定のリーチをするが、大垣が意地の1,000点の猛プッシュであがりきる。

「名人戦決定局での全ツをみたいだよ。状況はあの時よりかなり悪いけど、それでもまだ希望の芽はぎりぎり摘まれずに残った」

 そこから潮目が一気に変わる。大垣は親番で6,000ツモのあと、7,700を勝負を急いだ竜ノ睛からあがる。目まぐるしい展開に、周りの観客の声援も枯れ始める。
 北3局2本場。未だに大垣と早川の点差は1万点以上。序盤で竜ノ睛からのリーチに対し、次巡になんとか大垣はカン🀊待ちでリーチ、ツモなら早川を捲る状況で、早川に順番が巡ってきた。

「まいまいは、ガッキーに当たらないとわかっている牌のうち、ひとみんがあがれそうな牌を切る。そういう牌は今3種類あって、そのうち1枚はひとみんのあたり。3分の1でこのゲームは終わるし、そうじゃなくてもそう遠くないうちに当たり牌は切られる。1巡1巡が大きな勝負」

 早川がその3つのうちの1つを切った。あたりではない。

「ツモ」

 大垣の声が響く。その1巡が全てだった。大垣が逆転し、北3局3本場、早川から打ち出された牌を、3副露していた竜ノ睛があがることでこの戦いはようやく幕を閉じた。流石に肩や腰が痛い。大きく伸びをする。

 最初に異変に気付いたのは、対局後の礼が終わって竜ノ睛に握手を求めようとした大垣だった。椅子にもたれたまま動きもせず、指先だけ小さな痙攣が起きている竜ノ睛を見て、慌てて誰かを呼びに行った。そこでAR表示が途切れた。

 ゴーグルを外すと、周囲の喧騒がより耳に響く。場内のモニターに、本日の結果と総合得点が表示される。

1位 竜ノ睛 -98.8 +651.3
2位 大垣遼 +71.2 +335.6
3位 早川麻衣 +41.4 +283.1
4位 榊亮憧 -13.8 -1270.0

「圧倒的なリードを持ってても心情的には楽じゃなかったってことなのかな」

「ガッキー、まいまいの二人と10万点の差がついたからね。点差はまだまだ余裕だったけど、さらに10万点差がついたら、ガッキーとまいまいが協力してひとみんを落としにいくこともあり得た。自分であがらないと終わらない状況で、17局もあがれずごりごり点数が削られていくのは想像以上に精神がすり減ったと思うよ」

 会場に来た選手たちのインタビューを聴き終え、閉幕となった。会場を出ると、海側特有の潮風が心地よかった。

「どう?楽しかった?」

 彼女はちょっと自身なさげにこちらの顔を覗き込んでくる。自分の頭に残ったのは竜ノ睛の疲労困憊の姿でも、亮憧の役満でもなく、大垣の姿だった。2択を外して致命的な結果になっても、何回離されようとも態度一つ変えずにしっかりと2位を勝ち取り、終局後は即座に勝者を称えようとしたその姿勢が目に焼き付いた。そしてあれだけの試合を見ておきながら、姿勢しか目に焼き付いていないのが口惜しかった。もっとこのゲームを理解すれば、別の見方もできるのだろうか。

 なかなか返事を返さないこちらに不安そうな申し訳そうな顔をする彼女が何かを言いかけたのを遮るように喋る。

「来週さ、空いてる?平日でもいいんだけど」

「空いてるけど……何?」

「麻雀を教えてくれない?」

 彼女の顔が弾けるように明るくなる。

「もちろん!!」

 21歳、第二の人生が始まった瞬間だった。

第二話:URL
https://note.com/ca110/n/nfadfe439844a

第三話:URL
https://note.com/ca110/n/nedc9abedf578

補足:(加筆終了)
https://note.com/ca110/n/nd0ce59a318c4

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