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掃除の目的とはなんぞや?

「一休よ、掃除の目的とはなんじゃ?」
「はい、和尚様。それは汚れたところをきれいにすること、あるいは汚れないように未然に防ぐことではないでしょうか?」


「ちなみにWikipediaによると

掃除(そうじ)とは、掃いたり拭いたりすることによってゴミやシミなどの汚れを取りのぞくこと清掃

とも書かれております。」

うむ。正解じゃ。
…じゃがしかし!

そう、掃除の目的は確かに汚れたところをきれいにすることである。一休さんのおっしゃる通り。

しかしそこをもう少し抽象化してみるとどうだろうか?

掃除のもうひとつの目的。それは視野を広げることだと思う。

いやいや、汚れに対してクローズアップしてるんだからむしろ視野は狭くなるんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるだろう。

「一休よ、そこはまだまだ修行が足りんのでないか?」

…すいません。いつまでも結論を先延ばしにしても仕方ないのでなぜそう思うのかをこれから説明していこうと思います。

掃除というのは毎日コツコツとやる人も重い腰を上げていざ!と意気込んで行う人も誰もが経験がするひとつの共通点がある。それは、


「ここをやったら今度はこっちが気になる。」

である。

そうやって次から次へと別の汚れが気になって見えて来る。「今日はここだけ」そんな軽い気持ちで始めた掃除があれよあれよと大掃除に。

こんな経験誰しも一度はあるはずだ。

目の前に集中していると次第に周りが見えなくなって来るかと思いきや、大抵の場合はその逆なのだ。

集中力が高まるほどに視野が広がって来る。いわゆるゾーンってやつかもしれない。

そうやって掃除に没頭し、さまざまな汚れを見ては反省、内省する。

「今日まで見てみぬフリしてきたオレ。こんなになるまでほっといたんだなぁ…」と。


元カノからの別れの手紙を読みながら当時のことを後悔するのと同じパターンだ。

これを「あの時あぁしていれば理論」という。

…時を戻そう。

今日の自分がまさにそうだった。心の中のもうひとりの自分。リトルタカハシと対話していると、気がつけばなんだかんだで2時間半も掃除をしていた。


暇になるたびにあちらこちらと掃除はわりとしている方だと思っていた。

それでも毎回忘れがちなところ、先延ばしにしてしまっていたところというのはあるものだ。

納得のいくまで掃除をやり尽くし、疲れがどっと出るかと思いきや実際はその逆だった。思いのほかスッキリしている自分に驚いた。

やたらと清々しいではないか。

特に頭の中が。
こうやってnoteに書こうというポジティブな気持ちすら湧いて来る。

調理場も脳内もキレイになっておまけにネタにもなるなんて願ってもない一石三鳥である。

マインドフルネス万歳!

サウナに頼らずとも整う方法がここにあった。本日より新たなジャンルの開拓者となったことをここに高らかに宣言する。

掃除よ永遠なれ!

さて、いい加減話をまとめるとしよう。


掃除が行き届いている店は気配り、サービスにおいても行き届いている。

心と汚れとは表裏一体だ。


店やデスクがが汚れている時、それは自分の心を見つめ直すサインかもしれない。

おかげで今日はコロナでうつむきがちだった心が掃除によって明るくなった気がする。

(あ、視野を広くするだけでなく心も明るくする効果もあった!)

掃除って面倒だけど終わってみると毎回「やって良かったな」と思えるもんさ。
リトルタカハシが僕に教えてくれる。


最後に。シャワーを浴びたのち、昼間から一杯いただいてしまったことと、渇き切ったのどに流し込むビールの味が格別だったこともここにきちんと白状しておこうと思う。

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