【超前向きな希死念慮】明日も、理想も、必要だとは思えない。

将来の夢は、
どうしても思い描けなかった。

目の前にある「今」に、
任意の変化が追加され、
「明日」や「未来」になる。

その連続性に、
個人的な意志を介入させる必要性が、
私には全く理解できなかった。


理想の自分なんてものは、
存在し得ない。


今も昔も、
自分以外の何者かに「なりたい」とも、
「なれる」とも思えなかった。

上記のように表現すると、
現実の自分に満足した
超強力な自己肯定感の持ち主

だと誤解を受けそうだ。

そうでない。

将来の夢とか、理想というものを、
私は、全く持ち合わせていないのだ。

現在の私を始点とする「理想の私」は、
私の想像上にさえ、存在しない。


理想の自分を想像すると、
自分自身が消える。


理想の自分を想像すると、
今現在の私自身の原型をとどめない、
私とは無関係の別人(誰?)が出現する。

私の理想が高過ぎるとか、
私が完璧主義者だから、とか、
そういうことでは、断じてない。

フィクション以上に制約がなく、
どんなに自己中心的でもあっても、
突っ込まれるどころか、
誰にも責められない、
超プライベートで自由な空想の中でさえ、
なりたい自分なんてものは、ない」
との結論に至る私の思考回路は、
一体どうなっているのだろう。


謎の安定感。
不安や恐怖、悲観はない。


ちなみに、
理想を描こうとすると、
最終的に【無】に辿り着く

この一連の思考は、
不安や恐怖、悲観という感情を伴わない。

『夢とか理想とかないの?マジで?』
という世間一般の声に誘発されて初めて、
「向上必須の世界で生きてくのか…」
という、不安や恐怖、悲観が沸くだけだ。

もしかしたら、
私は、性格や容姿や思考や価値観など

自分に由来するもの全てを、
肯定的に全否定する、
超前向きな、希死念慮

を持っているのかもしれない。


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