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マリリンと僕 6 ~その桜は秋に咲く~

「俺、役者辞めようかと思ってるんだ」
「え、なんで?」
「もう28歳じゃん?これ以上ズルズルやってると、後戻り出来なくなる気がしてさ。生活もずっとギリギリだし、普通に仕事して、普通の暮らしして、普通に結婚してる同級生見てたら、ちょっと羨ましくなったんだよね。今まではそんなこと思わなかったから、急に冷静になった自分にちょっと引いちゃってさ」

劇団の仲間であり先輩であり、専門学校の同級生であり、そして親友の桜井に呼び出され、僕は今、中野の喫茶店『街角』にいる。

僕がもう一度役者をやろうと思った時、真っ先に連絡したのが桜井で、劇団主宰の小山さんに紹介してくれたのもまた桜井だった。夢を追うきっかけをくれたのがマリリンなら、その舞台を整えてくれたのが桜井だった。

「正直に言うと、お前の活躍を真近で観させてもらって踏ん切り付いたってのもある。やっぱり才能がある奴は、きっかけがあれば一気に行く。俺は…20歳から小山さんにお世話になって一緒に仕事させてもらって来たけど、結局今も燻ったままだ。このまま夢を追って、気づいたら40歳のフリーターになってる自分とか想像したら、な。ヤバいじゃん。」

僕はなんて声を掛ければ良いのかわからなかった。

役者に限らず、夢を叶えて、それだけで人並みの生活を送ることが出来る者は、とても少ない。ある時期までは必死で夢を追うことでその現実を見ないでいられるが、気付いたら就職することも難しい中年のフリーターになっていた…、なんてことも珍しくはないのだ。そして何より、中年と言われる世代になってからブレイクした先輩達が少なからずいることで、可能性を感じてしまうから余計に退き際が難しい。だからこそ、悩む。

「ごめん」
僕は言った。それしか言葉が出なかった。

マリリンにきっかけをもらい、桜井のおかげで舞台に立ち、小山さんの力を借りて、僕は今、夢を追うことが出来ている。それも一年足らずの間に、自分でも信じられないくらい順調にステップを踏んでいる。だけど、それまで何年もの間ダラダラと夢見るフリーターとして過ごしていたし、大した努力もしないままに夢を諦めようとしていた。僕がそうしている間も、まともに収入を得られず、ギリギリの生活をしながら真剣に演技と向き合っていた桜井を知っているから、ただただ申し訳無くて、謝ってしまった。

「なんで謝るんだよ。俺がお前のこと妬んで責めてるみたいで惨めじゃん。俺、お前が今輝いてるの見てて、本当に嬉しいんだよ。才能あるのに活かそうとせずにダラダラしてたお前を見ていたし、その時のお前と本気で向き合って無かったって感じてたから。あの時俺に電話くれて、それからめちゃくちゃ演技頑張ってるのも嬉しくて、それで今すげぇ輝いてて。嬉しいんだよ。だからさ、謝らないでくれよ」

そう言った桜井の目からは、涙が溢れていた。それでも僕は、申し訳ない気持ちにしかなれなかった。

「もう少し考えてみてほしい。俺も今サクの気持ち聞いて、まだ心の整理がつかないから、もう少しお互いに考えて、もう一度話す時間をくれないか」
なんとか言葉を振り絞って、そう言った。
「あぁ。少なくとも今準備している舞台はちゃんとやり遂げたいからな。いきなり放り投げたりはしないよ」

その会話を最後に、僕らは分かれた。

帰り道、僕の足は、自然といつもの公園の方に歩き出していた。きっとマリリンなら何か言ってくれるだろう。そんな思いから、無意識の内に体が動いていた。だけどその日は、公園に行くのはやめた。これは僕と桜井の問題だから、自分で考えて桜井と向き合わないといけないんだって、そう思った。マリリンを頼ろうとする想いを振り切り、そのまま自宅に戻った。

家賃5万6千円のアパートに戻り、狭いユニットバスでシャワーを浴びた。冷蔵庫から特売品の鶏胸肉とキャベツを取り出し、それぞれ少しずつ小さめに刻む。オリーブオイルを多めに広げ、微塵切りにしたニンニクと鷹の爪を炒める。その中に刻んだ鶏胸肉とキャベツを入れ、肉に火が通るまでまた炒める。最後に塩茹でにしたパスタを入れて混ぜ合わせれば、特製ペペロンチーノの完成だ。安価なチリ産のシャルドネワインを、100円ショップで購入したグラスに注ぎ、夕食を取った。

そうしている間もずっと、頭の中では桜井のことばかり考えていた。僕が伝えるべき言葉は何なのか、必死で探していた。だけど、答えが出ないまま、時間だけがただ過ぎ去って行った。


週末の2日間行った舞台公演は、それぞれ満員御礼となった。それまでは小山さん目当てのお客さんばかりだったが、少しずつ、僕を観に来る人も増えている。一般販売だけでチケットは完売し、100席程度の小劇場には立ち見客も出るようになった。「次は500席くらいのホールでやるぞ!」と小山さんは団員たちを鼓舞していた。

「次も頼むぞ」

打ち上げの席で、そう小山さんが声を掛けたのは桜井だった。今回の舞台は脚本と演出を桜井が手掛け、形式的には小山さんが監督となっていたが、ほとんど全て桜井がプロデュースしたようなものだった。僕と小山さんのダブル主演で、ベテランと若手刑事のバディ物。漫才のようなコミカルなやりとりも交えつつ、最後にはあっと驚く仕掛けがあり、お客さんにも好評だった。もちろん桜井も演者として出演し、犯人役を演じた。その演技からは、一切の惑いも感じられなかった。


公演翌日、僕らはまた『街角』にいた。

「やっぱり考え直してほしい。俺はこれからもサクの脚本で、一緒にこの劇団を盛り上げて、一緒にもっと大きい会場で演技がしたい。だから、お願いだから辞めるなんて言わないでくれ」
僕は素直に、感じていたこと言葉にした。一緒に舞台に立って、桜井が僕には、ウチの劇団には必要なのだと、改めて感じた。

「いや、辞めるよ、俺。吹っ切れたわ」
清々しい笑顔で、桜井が言った。

「え…、なんでだよ。サクのおかげであんなに盛り上がったんじゃないか。ウチの劇団にはサクが必要なんだよ。辞めさせてたまるかよ!」
静かな店内に、興奮した僕の声は不似合いに鳴り響いた。
「まぁ落ち着けよ。興奮すんなって」
桜井がまた、笑いながら言った。
「笑いごとじゃないんだよ」
「いや、ごめん。言葉が足らなかった。演者としては、身を引く。だけど、裏方として劇団は続けるよ。だってさ、あんなにお客さんが喜んでるの見たら、辞められないって。もっと面白い脚本書いて、もっとお前や小山さんや劇団の仲間が輝いてる姿が見たいって思ったら、辞めるなんて選択肢、どっかに吹っ飛んじまったよ」
「本当か」
「あぁ、本当だ。あのさ、打ち上げの席にお前の出てるドラマの関係者来てたろ?その人から脚本のお誘いもらっちゃってさ。小さい仕事からかも知れないけど、そっちに本気で取り組もうと思って。だから、演技は一旦辞める。完全にかどうかはわからないけど、今は書く方に集中したいんだ」

一緒に舞台に立ちたい気持ちは無くならないけど、桜井が評価されたのは自分のこと以上に、心の底から嬉しかった。

「サク、ありがとう」
率直に、想いを言葉にした。
「なんでお前がありがとうなんだよ。いくら俺が良い脚本書いたって、演技が悪けりゃ台無しだぜ。お前と小山さんだから盛り上がったんじゃねぇか。ありがとうはこっちのセリフだよ。これからも頼むぞ、遅咲きのスターさんよ。一緒に大きい会場目指そうぜ」
桜井が笑顔で差し出した右手を、僕も笑顔で握り返した。


その夜、僕はいつもの公園に立ち寄った。

ぽっちゃり黒猫のジジを抱いてブランコを揺らしていたマリリンに、こちらから声を掛け、桜井とのことを話した。

「良かったやん。きっと兄ちゃんの願いが通じたんやな」
「僕が願わなくても、たぶん同じようになってたと思うよ。サクはそれぐらい、ずっと腐らずに頑張ってたから。サクが報われずに僕が報われるなんて、不公平過ぎるしさ」
「そやなぁ。そうかも知れへんな。『努力しても報われない奴もおる。でも、成功した奴は必ず努力している』て、チャーシューのおっちゃんも言うとったし。桜井の努力が報われて、ほんまに良かったなぁ」
チャーシューのおっちゃん?お肉屋さん?桜井はなんで呼び捨て?

「マリリーンっ!マーリーリーンっ!」

聴き覚えのある男性の声が、薄暗い公園に響いた。一瞬デジャヴかと思ったがそんなはずもなく、公園の入口にマリリンのお父さんが立っていた。

「今月はオトンずっと日本におるから、あんま帰るの遅なるとオカンと二人でステレオでどやされんねん。たまらんで」
どっちかが甘やかすとかじゃないんだね。

マリリンはジジを膝から降ろし、一人と一匹がドタドタと帰って行った。

お父さん、世界を飛び回ってる人なのかな。こんな遅い時間まで付き合わせてしまって、その内僕も怒られるかも知れない。いずれちゃんと挨拶しよう。

で、チャーシューのおっちゃんって一体誰だろう?ググってみた。

...長州力。なんで知ってるんだろう...。まぁいっか。

秋の涼しい夜風に心地良さを感じながら、喜びを噛みしめて、僕は帰路に着いた。

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