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初恋はフリー素材

中学一年生の春に配られた社会科問題集。開くと突如として現れる美女の姿。こちらを向いて微笑む女子高校生らしき人物が教室の席に座っている。その写真が毎ページ毎ページ、左上のタイトル横にあるのだ。

はじめてその問題集を開いたのは、先生が定期テストの範囲を皆に示したときだった。皆、「範囲が多い」だの「面倒くさい」だのと嘆いている間、僕はずっと問題集の左上の箇所をずっと見つめていた。

かわいい。愛くるしい、、心からそう思った。

それまで恋をしてきたことはあったにはあったけれど、それは皆クラスに好きな「異性」ができるのは当然だという大衆扇動に駆り立てられた恋だったと思う。だとすれば、よもやこのときが僕にとっての初恋、、といえるかもしれない。

「なあ、社会の問題集どのくらい終わった?」

そう友人から聞かれたときには、もうとっくのとうに提出範囲まで終わっていた。なんせ、彼女の顔が見たくてその問題集を開くのだから。この問題集は問題を解くことが目的ではなかった。彼女を見ることが目的だったのである。問題を解くというのはそのついでに行うまで。他の教科と比べても社会科問題集を開くことは多い。だから、社会科の定期テスト時の提出物だけは早く提出範囲を終わらせられる。

定期テストが終わり、テストが返却された。社会がどの教科よりも高得点だった。同時に回収された問題集がようやく僕のもとへ戻ってくる。久しぶりの再会。毎ページに映る彼女の微笑む顔を見て、遠距離恋愛とはいささかこのようなものなのかと勝手に解釈していた。

先生が指定した課題の範囲の最後のページには、その問題集の取り組みの評価が赤ペンで書かれている。「S」との表記。最高ランクだった。パソコンのCPUで言えば「Intel Core i7」(然程詳しくないから知らんけど)。肉で言えば「シャトーブリアン」。コンビニアイスで言えば「ハーゲンダッツ」といったところだ。

どうしようもないことに、自分の評価がいいと、友人たちの評価が気になるものである(自然本能的にマウントをとりたくて)。

「なあ、提出した問題集の評価何だった?」

僕は生き生きと半ば大きな声で隣の友人に話しかけた。友人が問題集を開き、こちらへ見せてくる。そこには「B」との表記。太鼓の達人で言えば「可」。遠足の日の天気で言うところの「曇り」といったところだろう。彼は無表情で、「おまえは?」と僕の評価を聞いてきた。しかし僕は彼の質問に、二の句が継げなくなってしまった。

見慣れたはずの左上のページが何やらおかしい。違和感を覚える。初恋の彼女が彼の手によって、落書きされていたのである。

目は黒く塗りつぶされ、ジブリ映画『ゲド戦記』に出てくる魔女の最終形態みたいになっている。いや、「素人に5秒で書かせたアンパンマンの目玉」と言ったほうが通じるかもしれない。とにもかくにも、初恋の彼女の目は輝きを失っている。

それだけではない。端麗で見目よく束ねた茶色の艶やかだったはずの髪は、鉛筆で炭黒色に。さらにさらに、若い時のX JAPANみたいな奇抜な髪形に様変わりしている。ポケモンが仮にこのような進化を遂げたらクレームものだ。大炎上必至。阿鼻叫喚の極み。

その彼女を見て、僕は彼の質問に答えず投げやりに言い放った。

「酷いよ、彼女がかわいそうじゃん。こんなことしているから評価はBに……」
「いや、これフリー素材だから。どう使おうが俺の勝手!」
彼は余裕のある表情で、少しニヤつきながらそう言った。

「フリー素材」という言葉やその概念自体を知らなかった僕は、彼からその用語について教えてもらった。どう使おうが自由フリー。ならば落書きをするのも、勝手に恋するのも自由フリーである。

初恋がフリー素材と知ったときは少し寂しかった。いや、これを初恋とは呼びたくないし呼ばないと心に決めた瞬間でもあった。それでも、この出版社は彼女をいいように使いやがって、高額なギャラを支払え!と思ったものだ。

彼女をフリー素材と知ったあとも僕は幾度となく社会科問題集を真っ先に開き続けたし、それが社会科という教科を好きになったこととの相関関係は少なからず存在する。

来年の春には、中学の社会科教員免許状、高校の地理歴史公民の教員免許状を取得予定なのだから、まったく僕という人間は単純なものであるとつくづく思う。もしフリー素材の彼女が英語科のワークに記載されていたら、今頃文学部英米学科にでも……

だが僕は今も、初恋はフリー素材ではなかったと自分に言い聞かせている。

最近、街中でポケットティッシュを受け取った。バイトのおじさんが無機質に配布していたのだ。そのティッシュのビラにはキラキラと輝くその姿があった。彼女とは久方ぶりの再会だったが、今も変わらず健在なご様子。受け取った通行人に対して「ありがとうございます」と感情を込めずに言うアルバイトのおじさん。僕が彼に対して「ありがとうございます!!!!」と心底湧き出るような感謝の想いを言わずにはいられなかったのは、ここだけの話である。


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