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藤井風のライブで脱水症状になりかけた話

先日、はるばる埼玉まで足を延ばした。「はるばる」といっても、神奈川県西部から埼玉県なので、相対的にみれば近いのかもしれない。しかし、東京の人間が神奈川県西部へふらっと訪れないのと同じように、まず普通に生きていたら埼玉へ行く機会というのは人生において限りなく少ない。

かく言う僕も生まれてこの方22年で埼玉は数える程度しか訪れたことがない。埼玉県というのは「ダサい玉」なんて揶揄されるし、こうやって無下な扱いをされがちだが、大宮あたりは神奈川県西部と比べれば圧倒的に栄えていた。

youはどうして埼玉へ?
その日埼玉へ訪れた人の答えはひとつだ。
「藤井風。」「風さんのライブを見に来た。」100人中100人がそう答えるだろう(埼玉県民の皆さん、本当にすいません)。

冗談はさておき、藤井風のライブを観るために「さいたまスーパーアリーナ」へ訪れた。はじめての「たまアリ」。はじめての「藤井風ライブ」だった。

開園は15時、公演は17時。僕はアリーナへ16時頃に入ったが、人の雑踏に圧倒された。しかも、藤井風は若者人気があると思っていたら中年のおば様方の割合が最も高い(この記事を読んでくださっている「おば様方」も多くいると思うので、ここからは「お姉様」とお呼びそんたくしたいと思います)。

男女比は体感でいうと3対7くらい。間違えて綾小路きみまろのライブコンサートに来てしまったのではないかと思ったほどだ。

この公演の二日前にチケットをスマホでダウンロードした。座席は「400レベル」。つまり4階席だ。実は、(中年の)父・母も藤井風が好きだから彼らと一緒に3人で来たのだが、彼らの座席はなんとアリーナ席。所謂、地上席である。加えて彼らは前から9列目。対して僕は4階の15列である。

「日頃の行いだね!」
このうえなく嬉しそうに母が鼻を伸ばしていたが、母が藤井風を好きになった理由を辿ればそこには「僕」という存在がある。僕が藤井風の動画を見せて彼女は沼ったのだ。僕は、「友達」の紹介で結婚した人たちにとっての、その「友達」くらいありがたいキューピットのような存在である。

それなのに「日頃の行い」だと!?
解せぬ。まあ、チケットが当たっただけでもありがたいではないか。こういった運の要素を「日頃の行い」と安易に口にする人は嫌いだ。

そんな訳で僕は一人4階まで外の階段で上り、たまアリへ入った。
高い。広い。遠い。

400レベルからの眺め。「眺望がいい」という言葉はライブにおいては存在しない。


「400レベルは俯瞰してライブが観られます!」みたいな記事があったが、ネガティブ因子をポジティブ因子に無理やり変換した感がぬぐえていない。くそ!埼玉のくせにどうしてこうも広いんだ……小田原アリーナの数十倍はデカいぞ。

僕が席に着いた10分後くらいだっただろうか。立て続けに僕の両隣へお姉様らが席に座った。それぞれ御一人観戦。僕を含めれば一人観戦が3人並ぶことになる。

僕が外国人くらいフランクな奴だったら、「一番好きな曲は何ですか?」なんて言えたのに、生憎そんな社交性は備わっていない。何か話しかけようか躊躇していたが、人見知りという性格には嘘をつけず、風さんが登場するまでの間、読書をすることにした。

しかし、どうも集中して活字を目で追うことができない。ライブ前の緊張感に溢れる雰囲気からなのだろうか。それも集中して読書できない要素としてはあるのだが、何より「持ってきている飲料水があと150mlほどしかない」という焦りだった。

水なんか半日飲まなくても平気という人もいるだろうが、僕は大量の水を摂取しなければ不安に押し潰されるような人間である。おそらく熱中症になった経験からだと思う。

ライブ終了までは2時間ほど。真冬ではあるが、アリーナの中は熱気がある。だが、これから水を買いに行くというのも割にしんどい。というのも僕の座席は列の真ん中付近なのだ。「すいません、通してください」と言いながらマリオが6面の断崖絶壁をカニ歩きするように列を通り抜けなければ水を買うことはできない。面倒くさすぎる。

ああ、どうしよう。ここで水を買いに行くべきか買わないで2時間我慢するべきか。くだらない葛藤をしていたら、時刻は17時を回っていた。選択肢はもうない。

✳︎

明かりに包まれていた会場が消灯される。会場が沸く。そのほとんどは女性の「キャー」という声である。女性たちの歓声というのは歳を取っても変わらないみたいだ。

藤井風登場。「grace」のメロディーがアリーナにこだまする。風さんは白い服を身に纏い、まさかの自転車をこいで真ん中の舞台まで移動している。観客が押し寄せて群衆の道ができる。手を伸ばして風さんの肩に触れている観客も映像に映っていた。

あゝ、アリーナ席いいなあ。僕は身長の割に腕が長い(弓道部時代の矢の長さは180センチの部員とほぼ同じくらだった)ため風さんを触ることもできたはずだ。

しかしここは400レベル。藤井風をここから触るのはモンキー・D・ルフィーでも至難の業だろう。とりあえず嫉妬心から「あぶねえだろうが!触んなボケぇ!」と心中、大声で野次っていた。

風さんが舞台に着くと、観客は一斉に静まり返った。男も女も、お姉様方もスマホ依存症の人も皆、中心のステージを——いや、藤井風を見ている。

優しい音色のピアノが、藤井風の優しい声が、奏でられる。一曲目は「The sun and the moon」。全て英語の歌詞。ごめんなさい。僕は然程英語が得意ではないので殆ど歌詞を聞き取れやしない。

両隣のお姉様方は既に涙を浮かべている。歳を取ると涙脆くなると言うのはこういうことなのだろうか。ていうか、1曲目で泣いていたら体の水分は全て枯渇してしまうではないか。泣くわけにはいかん。なんせあと150mlしか水分は所持していない。一曲目、僕は涙を流すことはなかった。もちろん感動はした。

両隣のお姉様方はマスクの上からさらに両手で顔を覆うようにして鼻をすすっている。彼女たちの様子を言い換えて説明するならば、化粧水を浸透させるために両手を顔面に押さえつけているような感じといえばいいかな。

一曲目が終わった後に風さんが英語で「Welcome to my garden.」と言っていたが、その後も云々と英語で呟いていた。僕は英語が…(割愛)。

二曲目は「Garden」。美しく、優しいハミング。やられた。藤井風の声が耳を通過し心に侵入してきた。あ、もうだめかもしれん。気づいた時には僕も化粧水浸透ポーズをしていた。音楽の力。藤井風の力。人々を感動させる。

おい、風よ。水あと150mlしかねえんだぞ。

ということで俯瞰すると化粧水浸透ポーズをして藤井風の世界へ入った人たちが三人並んだ。おそらくだが、たまアリにいる全ての風民は化粧水浸透ポーズをしていたはずだ。

それからはもうずっと泣いて、笑って、踊って、エネルギーを使い果たした。

風さんがピアノを弾き、あるいは歌い、踊っているときの埼玉中の感情は「かっこいい」。風さんが岡山訛りの独特な口調で話しているときの埼玉中の感情は「かわいい」。この日埼玉県では「かっこいい」と「かわいい」しか感情になかったはずだ。

鼻をすすって泣いていたら隣のおばさんとタイミングが被ってしまい、ステレオ再生的な感じになって苦笑いしたこともあった。これぞライブの醍醐味(たぶん違う)。

そんなこんなで2時間はあっという間に終わってしまった。藤井風の音楽は無論一生記憶に残るものだったが、舞台演出もすこぶるよかった。「青春病」のときには淡いブルーの眩しい逆光が照らされて、思春期を描いた歌詞と重なり二重に「眩しい」演出がされていたように感じた。

このライブで150mlの水は全て涙に消えたが、水不足不安を忘れて藤井風の世界へのめり込むことができた。ありがとうスタッフ。そしてありがとう藤井風。風さんは「我慢はよくない」と序盤に話していたが、全く我慢なんかせずに脱水症状を回避できました。

ライブが終わった後は我に帰り、ただならぬ幸福感を味わいながら至急、水を購入。飲み慣れたはずのいろはすは、今まで飲んだあらゆる水の中で一番美味しかった。
個人的にはアルプスの天然水の方が好きなんじゃけれどmore。


【追記】
最後の曲、「何なんw」はライブで唯一動画撮影が可能な曲。加えて自由に歌ってもいいということで撮影しながら風さんと一緒に歌唱していました。
帰宅した後で撮影した動画を見たら僕の声が悪目立ちしすぎていた……
当然、両隣のお姉様方の動画にも僕の声が入っているでしょう。両隣とは言わず周囲の方々、本当にすいませんでした!
「どうして動画に変な声が混ざってんだよ!何なんw」と思った方お許しください。僕も「何なん〜」と叫ぶ自分の声に何なんwと思いました。


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