帰国する弊害
東南アジアの旅を終えて帰ってきた。ラオスの交通量なんて微々たるものなのだが、タイのバンコクは幾分か違う。交通量が多い。そして歩行者用の信号機は非常に少ない。ベトナムのハノイやホーチミンもタイに負けず交通量が多かった。だが、まだ信号機は割に設置してあるから、歩く分には困ることが少ない。
しかし僕が見るには、信号機が設置してあるかないかなんて彼ら現地人からしたら何も関係ないようである。
信号がない道路、それもビュンビュンとバイクが行き交う道を平気で渡るし、信号があったところで守らないのだ。
そんな東南アジアでの旅——いや、もはや生活に慣れた頃の帰国であった。
まあそれも全ては言い訳だ。結論から言えば自転車で信号無視をしたら警察に見つかって怒られたのである。
冬の夜、普段なら信号待ちをするのだが、うっかり東南アジア的癖で赤信号を横断したのだ。その瞬間、「ウーーー!」と聞き慣れた警報を鳴らした小型二輪が僕に光を照らして勢いよく近づいて来た。
光が照らされた瞬間、すぐにそのバイクに跨っているのが警察であると判断できた。
「ああ、やっちまったあ」
と思わず呟いたが、言い切る間もなくすぐにバイクが駆け寄ってくる。警官のメガネをかけたおじさんがバイクを停めて、「危ないよ、信号無視」と半ば呆れたように言ってくる。
「こちとら東南アジア帰りでして、、、」と言おうと思ったが、郷に行っては郷に従うのが筋である。ていうか、道路交通法違反を目の前で見られてはもうこちらに術はない。
「車は来てないけど、ヘッドライトつけ忘れで車が走ってたらどうするの?死んじゃうよ?」
警官は続けて口にした。
車は来てないんだから信号無視してもいいでしょと思っていたが、警官が言っていることはごもっともである。
「はい、すいませんでした」
中学生の優等生みたいに、素直に謝罪をした。まあ優等生は信号無視なんてしないのだが。
警官はタブレットなのか紙が挟まったファイルなのか、暗くてよく分からないが、メモできる何かを取り出して事情聴取を行う。
事情聴取といっても聴かれたのは名前と職業だけであったが。
ただ、職業を聞かれて「学生です」と答えると、警官は「中学生?高校生?大学生?」と尋ねてくる。中学生な訳ないやろが、と思ったが、さすがに何もツッコミできない。
おそらくこの回答は日頃から「学生」と言われたときに使う常套句のようなものなのだろう。学生=中学生or高校生or大学生が基本だからだし、これを言っておけば大抵の学生は当てはまってしまう訳である。
だが、僕はここで声を大きめに言い放った。、
「院生です」と。中学生は無論、その三つのどこにも属しませんよ、と。
「あ、そう。学年は?」
警官の表情は一瞬だけ動揺しているように見えた。
「M2です」
「エムニ?……あ、はい」
警官は一瞬フリーズしていた。絶対に大学院のシステムを理解していない。
とりあえずその調査書的なところに「サイトウナツキ、大学院生ウェブ2」的なことを書いているのだろう。知らんけど。
「今回は厳重注意だけど、今度からは刑法で裁かれる可能性あるから気をつけてね」
難を逃れたぞ!!これが大学院生の力なのか!?と一瞬思ったが、絶対に関係なさそうである。
「指導警告表」と書かれた紙が彼から手渡され、僕は半分に折ってポケットへ入れた。
警官はバイクを跨いで、再び夜の街へ繰り出していった。
警察に目をつけられたことなんて僕の人生で初めて?の経験であったから、少しばかり緊張してしまった。
畜生、日本も東南アジアくらい気安くいってほしいところだが、こういうところが日本の面倒臭いところであり、良いところでもあるのだろう。
これを機に、僕は信号を守る優等生に戻った。また東南アジアに行って信号無視に慣れて帰ったときには気をつけたい所存だ。
ていうか東南アジア諸国の人たちが信号無視をしなければ僕だって今後永遠にそれをすることなんてないのではないか!?
みんな、信号無視、ダメ絶対。
ใครๆ ก็มองข้ามไฟแดง ไม่มีทาง
Mọi người đều bỏ qua đèn đỏ, không thể nào.
ທຸກຄົນບໍ່ສົນໃຈໄຟແດງ, ບໍ່ມີທາງ.
Semua orang mengabaikan lampu merah, tidak mungkin.
គ្រប់គ្នាមិនអើពើភ្លើងក្រហម គ្មានផ្លូវទេ។
Hindi pinapansin ng lahat ang mga pulang ilaw, hindi.
လူတိုင်းက မီးနီကို လျစ်လျူရှုထားလို့ မရပါဘူး။
トリシマリヤガッテチクショウメ!
「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!