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危険なカープ中毒について当事者が記します(球場編)

少なすぎる。
主語は何かといえば、それは広島東洋カープの総ホームラン数でも、今シーズンのカープの総盗塁数でもなければ、守護神、栗林の防御率の数値の話でもない。野球に関する記事のPV数ならびにスキの数である。

普段の記事に比べて野球(とりわけカープ)に関する記事を書くと、個人的にはすこぶる楽しく創作ができるのだが、いかんせん周りからの評価は高くないみたいだ。

て、おい。「隙あらば」であなたは今このページを閉じようとしましたね。もう目に見えているのだ。

広島東洋カープとかいうお金のない、弱小、地方球団についての記事を誰が読みたいのか僕だってさっぱり分からない。プロ野球についての記事を書くのであれば全国で一番ファンの数が多いであろう読売なんとかっていうチームについてとか、世界の大谷翔平のこととか、もはや神の村上宗隆のこととか、球審白井について書くのがウケることは重々分かっている。しかしカープを書きたいのだ。いや、書かせてください。そしてできることなら最後までご覧いただけたら(カープが勝ったときの比ではないが)嬉しいです。

「カープ女子」という希少性が一興である

以前、「カープ女子」という言葉が流行した。3-4年前は華やかな赤いユニフォームに袖を通した女性たちがこぞっていたのだが、現在カープ女子は激減。もはや絶滅危惧種になりつつある。実際、球場へ足を運んでも以前ほど若い女性はいない。男女比も男性の比が明らかに高い。また、少子高齢化社会を体現しているかのように、スタンドの高齢化が徐々に進んでいるようにすら感じる。

それでもちらほらと赤いユニフォームを身にまとった若い女性の姿を見かける。偶然にも隣がカープ女子だった場合は、ノーアウトランナーなしの状況で始まる試合もランナー1塁で始まるくらいのテンションでスタートできる。ギャンブル的な「座席おみくじ」とも言えよう。カープ女子という今や希少性的特質を持った人に当たる確率は年々下降気味だが、だからこその楽しみでもあるのだ。

もちろん、隣が「カープジジイ」でも「カープマダム」でも同じチームを応援する人として楽しいことに変りはないし、僕自身が単純に「若い女が好き」というレッテルを貼られては困る(事実カープ女子と僕は同年代だ)。カープ女子という今や「希少性」に帯びた部類の人間が隣の席に着くということが一興なのだ。
「あ、何あれ珍しい鳥だ!見れたのラッキー!」くらいの感覚である。

喜びを共有しよう

「カープ女子はいいから肝心のカープについて話せよ」とスタンドから野次る声が聞こえてきそうだが、落ち着いてください。正直、隣の席に誰が座ろうとカープが勝ち、両チーム怪我無く試合が終われば万々歳。しかし、勝つには必ず「得点」が必要だ。得点時にヤクルトスワローズは傘を広げ、読売なんちゃらは橙色のタオルを振り回す。これらに比べると我がチームはパンチが弱いが、「宮島さん」という歌を歌い、万歳三唱からのカンフーバットでハイタッチという儀礼はなんとも熱い。個人的にはカンフーバットと言われる30センチくらいの音を鳴らす道具で隣近所のカープファンと触れ合うのが一番歓喜的瞬間だ。

日本人の8割は人見知りと言われるなか、皆、隣に座ったカープファンたちとカンフーバットでじゃれ合う。隣がカープ女子だと思ってハイタッチをする隙に顔をよく見たら「カープマダム」だった場合でも、歓喜を共有するこの楽しさに全て打ち消される。赤く燃え上がった喜びを共有しよう。

オッサンの野次は試合に「厚み」をもたらす

試合は喜びだけではない。野球とは喜怒哀楽。一試合にその全てを体感することができる。そういった意味において、人間が最も人間らしく生きているのはよもやスタンドにいる時間なのかもしれない。

投手戦になった場合、打撃戦と比べればかなり退屈な試合に見えがちで、5回くらいから徐々に眠くなってくる場合があるが安心してほしい。5回以降はオッサンたちに酒が回り始め野次の数が多くなる頃合いだ。野太い野次が目を覚ましてくれるだろう。

選手への誹謗中傷は度が過ぎると許せないし不快な気分になる。だが、ユーモアのある野次は試合に厚みを持たせる。

相手チームのピッチャーが投じた球がカープの選手の身体の近くへ行き、あわやデッドボールとなるようなシーンで、「濃厚接触だろ!」とか、相手チームのリクエストに対して、「台風来るから早く帰ろうよ(切実)」的な野次は勝手に頬が緩む。

球場を盛り上げるのはフィールドの選手だけではなく、スタンドの野次るオッサンたちがいることを忘れてはならない。

カープ中毒とは何か

試合での勝敗で彼らオッサンたちがどのような表情になるのか、あるいはどのような声をグランドへ叫ぶのかが決まる。しかし、試合結果で一喜一憂するのは酒の入ったオッサンだけではない。希少性に富んだカープ女子も、酒を飲まないカープマダムも、そして僕だって喜び、憂う(憂うことの方がここ最近多いのが遺憾)。

カープが試合に負ければ、試合終了後は呆然としてしまうし、期待しているからこそ「ストレス」になってしまう。僕の殆どのストレスはカープの負けなのではないかとすら思う。

だが、そのストレスをカープの勝ち試合で晴らす。例えが適切ではないが、薬物依存症と全く同じ構図である。そんなストレスが溜まるならやめたほうがいい。時間と金の無駄。論理的に考えれば全くその通りだ。だから僕は愛する広島東洋カープを布教することはしない。

それでも野球は、いや広島東洋カープは、健全な形で人間を一番人間らしくする。友人たちをカープ中毒の道連れにすることは決してしないけれども、僕自身がカープ中毒者であることに対して、(変な)誇りを持っている。

CS行けたらいいナ。






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