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書くことが好きだと思う瞬間【好きの垂れ流し】

書くことをただただ続けたくてnoteを始めた。


毎日仕事したり家事したりあたふたしている中で
noteを書くための時間を確保するのは難しいけれど、

スマホに指をすべらせている時間はとても楽しい。


noteを始める前から、書くことは好きだったと思う。


じゃあ、具体的にいつ書くことが好きだって感じたんだろう?


いまいちど、自分が「書くことが好き」と思う瞬間を振り返ってみる。


昔の日記を読んだ時

中学生の頃、かわいい手帳を持ちたくて、
でもそんなに予定もないからウィークリー欄に日記を書いていた。

今読み返すと、とーってもしょうもない内容。

でもなぜか心があたたまる。


「このときは必死だったな」

「このときは辛かったよな」

「ちゃんと毎日書いてたんだな」


そう思いながら読み進める手が止まらなくなる。


意外にも高校生の頃まで続けていた。

こういう、過去の日記を振り返ると、「自分って書くの好きだったんだな」と思うし、
当時の気持ちを振り返れるのは貴重だと思う。

写真をみるように、割としっかり当時のことがよみがえる。



高校時代の勉強記録

高3の受験期、日々の勉強時間をノートに記録していた。

結論から言うと、目標としていた勉強時間に足りていたことはほとんどない(おい)。

勉強時間の記録とともに、
その日なぜ勉強できなかったのかを言い訳していた。

見返すと情けないが、それでも毎日記録していたのだ。

当時は、なかなかやる気が起こらず勉強が捗っていなかったが、
記録することで「やばい、次の日はがんばらなきゃ!」と自分を奮い立たせていた。

その様子も記録に残っていて、やってないなりにも反省していたところが面白い。

ちゃんと志望校にも受かったので、
ギリギリを攻めてたんだと思う。

日記にも通づるが、がんばりや努力が見える化されるのも、書くことの楽しみだと思う。



Twitterが140文字じゃ足らん

noteを始める前、Twitterに「#書く習慣」と題して、1ヶ月書くチャレンジをしていた。

1ヶ月ゆぴさんのお題に沿って、自分の考えを書き連ねたわけだが、
Twitterの140文字ではとうてい書ききれないことが多かった。

書ききれなくて自分にリプしてスレッドを連ねてなんとかやり過ごしていた。

ただただまとめるのが下手くそなのだと思うが、沸き起こる感情はすべて記録しておきたくて、
つらつら、つらつらと書き連ねた。

そして、Twitterに限界を感じたのと、
もっと幅広いテーマで書きたくなり、
noteを始めてみた。

まとまりのない文章を書くのが好きなのだと気付いた。

それは過去の日記のせいなのか、
言葉にするのが下手な分、文字なら湧き出てくるのか.....

両者かもしれない。


行ったとこや食べたとこ
全部UPしたくなる

これは書くこととは関係ないかもしれないが、
Instagramに撮った写真をだいたいUPする。

おいしいもの、よかった景色、
感想付きで誰も見てなくとも投稿する。

これもまた自己満足、記録するのが好きなんだろう。

自分なりのアウトプットなのかもしれない。

よく友人には「またおいしそうなのあげてたな」と言われるが、
別に見せるためにあげてるのではない。

と、自分に言い聞かせている。
(いいねはあった方が嬉しい...)


まとめると

昔から日記をつける習慣があったから、
「自分の感情の記録をする」ことが好きだったんだと思う。

昔は手で書いていたのに、
今はスマホで書くことも増えている。

もちろん今も手で日記をつけているので、
手で書くこともとても好き。

書いててふと思ったが、すべて「内省」「自己満足」な部分がある。

確かに、他人に私の文章について「面白い」「好きやわ〜」と言われたことはない。

学校の作文など興味関心のないものに「好き」の感情もなかった。

誰かに見られるためではなく、あくまで自分で後で振り返るため。

そのためならつらつら書けるのだと気付いた。


このnoteも無駄に長い。


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