おはじき

 学校から帰ってきて、玄関の戸を開けようとしたら、庭のほうから硬い音がしました。敷居をまたぎ、ローファーを脱いで。ろうか伝いに音の残りをたどってみたら、縁側に妹がいて。四つん這いになりながら、一人、床を見つめています。セーラー服のスカートから、太ももがこぼれていて。白い肌が、夕日で薄赤く染まっています。妹の顔が動くたび、一つに縛られた長い髪が、背中の上を泳いで泳いで。汗できらめく、耳の後ろ。後れ毛が張りついていました。

「パンツ見えんで」

 妹の真横にある広間から、姉の低い声がしました。エプロン姿の姉は裸足で。目が合えば、短い髪の茶の上で、白い光が瞬いて。

 絡みついてくる、ねばねばした夕風。妹のスカートのひだが、姉のエプロンの裾が、揺らめいて。視線を落とせば、胸元のスカーフのしわに、光と影が溜まっていて。緑が羽を広げれば、さらさらこぼれていきました。

 妹は姉をちらと見て。軋む板張り。その目顔は、陰で塗られていて。細いあごと丸い肩のあいだが、ひらめきました。

「そんなとこでなにしてるん?」

 姉がそう訊けば、妹は顔を伏せて。その細い体の下をのぞき込めば、「おはじき」というかすれ声。妹の垂れた目線の先には、きらきらがいくつも転がっていました。透明のなかに閉じ込められた、ギザギザの黄色。ムラがある緑に、赤と水色のしましま。模様のない透けた円。いくつものおはじきが、妹の影法師に抱かれていて。夕影の波打ち際にあった色のないおはじきは、橙色に燃え上がっていました。

「そんなんで遊んでんの?」

 姉の問いに、妹は答えなくて。

「あんた、もう中一やろ」
「それが?」
「そんなしょうもないことしてんと、晩ご飯手伝ってや」
「しょうもなくないし」
「あんた、意味分からんことばっかりやってるけどさ」

 姉の声がさらに低くなって。

「そんなふうにいじけてても、お母さんは帰ってこぉへんで」

 姉がにらみつけた瞬間、妹は勢いよく立ち上がって。足先に当たって、散らばるおはじき。姉のエプロンを、妹は勢いよく引っ掴んで。駆け寄れば、妹の声に、胸を突き飛ばされました。

「姉ちゃんのそういうとこが嫌いやねん!」

 数歩下がれば、ぶちぶちという、糸の切れる音がして。

「あの人がおらんくなったんが嫌で、それでいじけてるって、姉ちゃんはそう思ってるんやろ! でもいじけてんのはあたしちゃうし! 姉ちゃんやん! あたしは清々してる! あいつの顔、二度と見んでえぇんやから!」
「あんた!」

 姉は妹の手を払いのけ、そうして頭を叩きました。鈍い音。二人の足元で、光が散って。こぶしを握らずにはいられませんでした。熱の溜まっていく、たなごころ。爪といっしょに、痛みが食い込んで。妹の細い腕が、だらりと垂れました。伏せられた顔。なにかつぶやいています。

「決めつけんな、決めつけんな、決めつけんな」
「すねとるんやろ」
「晴れ晴れしとる」
「うそつくなや! お母さんのこと一番好きやったくせに!」
「嫌いやし。あんな人」
「なんで? なんでそんなうそつくん?」
「ほんまやし。自分があの人のこと好きやからって、みんながみんなあの人のこと好きやと思わんといてくれる?」
「あんた」

 姉の声が少し震えて。妹の肩は浅く上下していました。

「親が嫌いでなにが悪いねん」
「産んでもらって、今まで育ててもらったんやろ。それやったら」
「そんなん誰も頼んでへんし。勝手に産んだんやん。勝手に産んどいて、あたしら捨てたんやん」
「お母さんが一人で苦労しとったん知ってるやろ。しゃあないやん。お母さんにだって、自分の人生、あるん、やから」
「苦労してたら許されるんですかぁ。子どもに嫌な思いさせてもオッケーなんですかぁ。自分の子どもを親に押しつけて蒸発してもえぇんですかぁ」
「いい加減にせな、ぶつで」
「もう叩いたやろ。頭悪いんか」

 姉は再び、妹に平手打ちをして。今度はほっぺた。

「姉ちゃんは思い込みたいだけやねん!」

 妹は顔を押さえながら姉を見上げ、絶叫して。

「なにを!」
「憎んだら、嫌いになってしまったら苦しいから、呪ってしまったらつらいから、だから好きってことにして、それでごまかしてるだけやねん! でも結局はしんどくて、それで姉ちゃんはあたしに八つ当たりしてんねん! 普段からあたしのことガキガキいってるけど、姉ちゃんのほうがよっぽどガキやん!」

 また、姉の手が出ました。歯噛みする音が、かすかに聞こえて。妹は姉の髪に手を伸ばしました。姉はその腕を振り払って。

「あんたになにが分かんねん!」
「姉ちゃんこそ! あたしのなにが分かるん! あたしは嫌い! 大っ嫌い! あんなやつ! あんなやつ!」

 暴れる妹を、姉は突き飛ばしました。妹は尻もちをついて。庭に落ちそうに。散乱した輝きが、まぶしくて。

「ひかる!」

 妹は転びそうになりながら立ち上がって。おはじきを蹴っ飛ばし、床をドンドン踏み鳴らしながら近づいてきました。

「ひかるは、ひかるは嫌いやんな?」

 妹はじっと見上げてきて。

「わたしは」
「ひかる」

 姉にも名前を呼ばれました。硬い声。二人の視線が、目玉に絡まって。妹の茶色い瞳は濡れています。姉の目は、赤黒くくすぶっていて。二つの薄い唇は、きつく結ばれていました。

 答えられませんでした。ただ、妹の手をぎゅっと握り、引き寄せ、頭を抱くことしかできなかったんです。

 妹は体を震わせながら鼻をすすって。姉は頭を振り乱し、かきむしって。「あぁもう!」という怒鳴り声。妹は、わたしのセーラー服のスカーフに、歯を立てて。隙間から、息がふぅふぅ、こぼれて、こぼれて。

 おはじきからあふれた光が、妹の後ろ髪を、姉の丸まった足の指を、その鋭い歯で噛んでいます。わたしもきつく、目を噛まれて。視界が潤み、溶けました。

                               (了)

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