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51日目(お泊まり)

ばあばと子どもと私たち

我が家は月水金とばあばと一緒に夕ご飯を食べる。長女にとってばあばは特別な存在だ。よき話し相手であり、たくさん遊んでくれ、時には買い物や卓球(ばあばは卓球サークルに入っている)連れて行ってくれる。次女の色々な遊びにも全力で付き合ってくれる。二人にとって、ばあばは、自分のわがままを思いっきり受け止めてくれる存在だ。そして、長女を連れ出してくれることは、私たち夫婦にとてもとてもありがたい。

長女とばあば

今日は長女の希望でばあばの家へお泊まり。好きなテレビをゆっくり見て、寝る前に学校の話をし、次の日はオセロをして買い物に行く。習い事のプールの後はみんなで一緒にうどんを食べた。日頃、次女の世話などで自分のためだけに誰かが何かをしてくれることがどうしても少なくなりがちな長女にとっては至福の時間であったに違いない。

次女と私たち

一方、次女も生まれてこの方、自分のためだけに両親が揃ってスキンシップをしてくれたり遊んでくれたりする時間は長女と違ってどうしても少なくなる。長女には、ひとりっ子だった時間があるからだ。長女が不在の時間は次女が長女(ひとりっ子)になれる。このような時は、不思議とよく眠り、起きている時間も少しおっとりして見える。次女にとって長女は憧れの存在で、行動から着る服まで全て真似したい対象なのだが、長女のことを考えず、無心で両親に囲まれて過ごすのはやはりとても嬉しそう。

きょうだいの絆と呪い

そう考えると、きょうだいの絆と呪いは表裏一体である。中のよいきょうだいでも、それぞれのきょうだいの役割を担うことは宿命づけられていて、その呪いから逃れることはできない。むしろ、絆が強ければ強いほど、呪いもまた強いのかもしれない。

白魔女と黒魔術師

我が家では、ばあばは、きょうだいの呪いを一時的解くことができる白魔女である。一方でで、私たち親は言霊や神楽によって呪いをかける黒魔術師た。しかし、かつてはばあばも黒魔術師だったはずである。私たちが黒魔術を捨てて白魔術を使えるようになるまであとどれくらいかかるだろう。

黒魔術を使うのは何も親だけではない

ところで、私たち黒魔術師は、何かに役割を与える瞬間に呪いをかけている。その意味では、大人というものは常に呪いをかけ続けている。それは子育ての場面だけではなく、人間関係全てにおいて言える。誰かの何かを決めつけ、1つの意味の場からしか相手を見ない。こうした形而上学的な〇〇主義に陥ってしまっているのだとしたら、そもそも大人自身が呪いにかかっているとも言える。子どもの頃にかけられた呪いは、そう簡単に解けそうもない。

いかにして白魔女になるか

よく考えると、ばあばが白魔女になったのも、最近な気がする。そしてそこに至るまでには沢山の時間と労力を掛けてきたように思う。私たちもいつかこの呪いから解き放たれなければならない。そのためには、自意識と闘わないことが大切だ。自意識とは呪いそのものだからだ。解き放たれるとは、自意識にとらわれず思考や判断を下すことだからだ。


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