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その辺にいる黒猫になりたいにゃ。

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その辺にいる黒猫になりたいにゃ。

最近の記事

あれだけきしぴょんが主導して賃上げしてたのにたかだか数十円笑て煽ってた人達が石破が最低賃金1500円て言い出して中小殺す気か?てブチ切れ民に対して何もアクション起こさないし、特に肯定もせずのうのうと知らんぷりしてるの本当に無責任だなと...否定しかしない建設的進歩のない左翼乞食さん本当に嫌い。

    • 今回の帰省について

      帰省の話を仲のいい同期(まとも)としてたんだけど普通の親っていいなって、普通の親はテレビと喋らないしテレビにブチギレないしオリンピックも陰謀論とか週刊誌の記事の話しないでこれ楽しみだねーって笑顔で話できるそうです。ドライブに出てもマウントの取り合いも喧嘩もしないし地図読んだり助け合って皆が皆どこか大人な姿でドライブできるみたいです。店員に逆ギレしたりセクハラしたり店員のことを召使いだと思ってないみたいです。 僕がコミュ障とか話下手と思ってたけど冷静に今振り返るとまともな会話

      • 投げ

        あのね。 高校の同級生にロリがいたって聞いて写真見せてもらったんですよ。141cm、純朴な人でした。 私がなんでロリコンなんだろって昔から考えてたんだけどさ支配欲とか承認欲求とかの渇望をグルーミングしやすそうって理由ぽいんですよね。なんでそうなっちゃんだろう(そうした思考に)って考えたら圧倒的な自己肯定感の低さと劣等感の蓄積、失敗経験の蓄積だったんですよ。 子どもの時から楽してたら将来大変になると思ってさ、辛いこと嫌なことは将来楽になるためにあるんだって思って生きていた

        • 目から鱗が落ちる思い的な何か

          マリカ杯うおお剣持うおおの勢いで虚空教典読み始めたけどこの親にしてこの子ありだなって心の底から羨ましくなる対談だったな。 年取ってもかくありたい人柄じゃった。 入院して気づいたけど老人て僕たちの延長線上なんだなってわがままな人も自信が無い人も、毅然とした人も責任を持てる人も感謝と気遣いが出来る人も一挙手一投足の態度と言葉とに人間性が出てるしそれは生まれ持った素質と経験とによる生き様であってお年寄りだからとか怪我人だからとかじゃなくて1人間として朝の挨拶をしたり、通路を譲り

          清算

          なぜこうなっているのだろう。 どこで間違えたのだろう、そんな思いを握りつぶすのは結局解決にならないのではないか。 元来怒られるのが怖かった。 一番古い記憶はあぁこの人は私のことを大切に思ってくれてるんだ、こんな僕を、期待から逸れちゃだめだ怒られないようにしないと、嫌われないようにしないとという恐れだったと思う。 自我と言えるのは自分を存在させたい、否定しないで欲しいという他人にのみ寄りかかった異常な恐怖のみであった。他人の評価や言外の空気感というものに怯えながら恐怖を無為に

          曖昧な世の中への一考察

          実際にそうであることよりも、 そうであるように思える、そうであるように思えない、の"ように"の部分が大切だし、そうであることの意味・目的はあらゆる面からそうである"ように"思われることのみなのでは無いだろうかと気付いたしそれに救いを求めたい夜です。 安全基準を満たすのはそれが安全だと広く示す為であり、安全だから皆安心できるねって話。極論安全基準を満たしていなくても破綻しない限りそれは安全基準を満たしているのと同じ扱いがされるし、安全基準を守っていても安全じゃなければそれは安

          曖昧な世の中への一考察

          君たちはどう生きるか(考察とモチーフ紹介)

          ※裏付け一切なし一般個人の妄想です※ 思想と神話欲張りセットでジブリ史上一番刺さったので解説。前提知識とかセンシティブな話を多く含んでてその辺から広告打てなかったのかなとか憶測してみる。 ヒミ様=イザナミ  母親、息子(火の神様)を産んだ後に焼死→黄泉の国へ帰ってしまう ワラワラ→精子と灯籠流しのミックス (男性) 墓→子宮・生理 (女性)  禁忌という表現が多くされておりなぜ入ったのか?といった場面もあった。子供を産むというナツコがいたのがその象徴。ワラワラに関しては

          君たちはどう生きるか(考察とモチーフ紹介)

          私的喪失の美学〜なぜ私はバドエンが好きなのか〜

           綺麗なもの、美しいもの、楽しいこと、 人にとって快とされる感情は多くあるがそれらを得るということは、それを失うという物語の始まりでもあるのだ。  「君を失うなら最初から出逢わなければ良かった」どこかで聞いた理論だが喪失の美学である、どこかの僧が寺を燃やすことでその美しさ、荘厳さを人々の心に永久に残そうとしたように人は無くなってから初めてその損失の大きさに気づくこと、何かが消えるその瞬間にこそ最も存在を感じることが出来るのが道理である。  即ち暗い話というのは最も効率的に心

          私的喪失の美学〜なぜ私はバドエンが好きなのか〜