私的喪失の美学〜なぜ私はバドエンが好きなのか〜


 綺麗なもの、美しいもの、楽しいこと、 人にとって快とされる感情は多くあるがそれらを得るということは、それを失うという物語の始まりでもあるのだ。
 「君を失うなら最初から出逢わなければ良かった」どこかで聞いた理論だが喪失の美学である、どこかの僧が寺を燃やすことでその美しさ、荘厳さを人々の心に永久に残そうとしたように人は無くなってから初めてその損失の大きさに気づくこと、何かが消えるその瞬間にこそ最も存在を感じることが出来るのが道理である。

 即ち暗い話というのは最も効率的に心に栄養を、明日を生きる活力を得られるのである、影の中でこそ光が輝くことが出来るように、暗い話の中でこそ最も輝くテーマがあるのだ。

 花火の魅力はその色彩の鮮やかさ、迫力、煙の香り等色々あるが、私としては散っていって闇夜に戻った時そこに花火があったんだという得も知れぬ感情に包まれる経験にあると思う。強制的な喪失経験を光と音で瞬時に何度も味わえる。快を得るということはそれを失う物語の始まりであるのと同じく、快を失うということはそれを得る物語の始まりなのである。

 失ってから得られなくてもいい、損失の大きさに気づくことは過去の幸福の大きさに気づくことと同義であるつまり暗い話というのは明るい話でもあるといえる。光と闇が同時に存在することは決しておかしな話ではないはず…ですよね。


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