投げ

あのね。

高校の同級生にロリがいたって聞いて写真見せてもらったんですよ。141cm、純朴な人でした。

私がなんでロリコンなんだろって昔から考えてたんだけどさ支配欲とか承認欲求とかの渇望をグルーミングしやすそうって理由ぽいんですよね。なんでそうなっちゃんだろう(そうした思考に)って考えたら圧倒的な自己肯定感の低さと劣等感の蓄積、失敗経験の蓄積だったんですよ。

子どもの時から楽してたら将来大変になると思ってさ、辛いこと嫌なことは将来楽になるためにあるんだって思って生きていたんですよ。頑張ってた経験て自分だけのものだしそうした積み重ねが社会人になって役立つしそういうものが大切なんだって。だからさ辛くても部活は続けたし辛くても委員会活動頑張ったしこうありたい自分のためにしてきたんですよ。でもさその写真見せてくれた子はさ高校生活楽しかったなぁって息できないほど笑って過ごしたしあの時ほど今笑ってないなって言ってて「あっ、高校生活幸せで楽しい人いるんだ」て気づいたんです。

私って3/30の早生まれトップランカーなんですよ。だからさ高校野球とかやってもさ皆より1年ハンデあるんですよ、後さ普通だと思ってたけど私ってめちゃめちゃ食べるけど太らないんですよね、この職場の中でもすげぇ食べるなって言われるほどでさなんで夜カップ麺とジュースだけで太れる人いるんだろって思ってたけど、私ってハードゲイナーなんすよね。

早生まれ×ハードゲイナーでどれだけ頑張ってもそりゃ追いつけないし勝てないフィールドで戦っても無理だし辛いだけだよねって気づいたんです。もう24歳にもなって成長がみんな止まった中で競争するとやった分だけ伸びるしめちゃめちゃ得意って訳じゃないけどあの時の壁みたいな物は感じなくなったよね。

でさ戻るけど勿論つらい経験とか頑張ったことは必要なんだろうけどさ、その分楽しい経験、成功体験も必要だったよねって思うわけですよ。生きてる限り延長線上にいるわけでさ急に楽しめる性格とか宝くじ当たるでもなければ無いよなと、性格の本筋の所は変わらないし心から楽しむ心から笑うみたいなのは数えるほども無いなって、中学高校はずっと人の空気とか見られ方とか意識して縛られてあぁ数ヶ月振りに笑ったな、笑顔になるのインターネット見てる時かソシャゲやってるときだけだなって大学生活送ってたし、幸せな高校大学生活なんて映画の中の話でしかなかったな。なんというかもっと楽に幸せに生きるべきだったし思ってたよりも子供って自由なんだなって。

鬱になると脳の形変わるって言うけれど、もう小学校の時くらい喋れないし間違いなく高校の時に軽度こ獲得性心因性吃音になって鬱で知能下がったよなと思います。

何が怖いってもう6年経ってやっと原因と傾向と対策がわかったけどもう二度と高校生活出来ないんですよね。

(寝落ち)↑

(起床)↓

一晩寝て1日働いて読み返すとそんなこともあったなって気になりますね。年取るってこういうことなのかな、痛みを忘れてどんどん鈍くなっていって妥協して小さな幸せ見つけて満足していける。自分の機嫌取れるのが大人らしいけどそうしないとやっていけないのかな。人生て何なんだろうね、こうやってゆっくり悩めるのもきっと幸せで貴重な時間なんだろうね。

あなたが一番若いのは今なんですって言葉が染みます染みます。

ありきたりなハッピーエンドって馬鹿にしてたというかぬるいなって思ってたけど最近思うんですハッピーエンドってハッピーがいいものって前提で動いてるけどそれを失うのが辛いからバドエンでぬくぬく満足してるわけでそれってハピエンがいいよねって裏返しな訳で実際になってみるとキッツいものがあるなって

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