忘れられない高校の先生

高校の先生で、忘れられない方がいる。

その先生は学年主任で、学校に行ったり行かなかったりだった私を気にかけてくれていた。
私だけでなく、そういうちょっとドロップアウトしそうな生徒たちの面倒を見るのはその先生の役目だったようだ。保健室で何度も目にしたことがある。そして、先生が保健室にいるときは必ず同学年の誰かが、保健室で休んでいるのだ。

私も保健室の常連だった。

学校の雰囲気や、クラスメイトは好きだった。担任の古典の先生も、芥川龍之介の羅生門を丁寧に教えてくれた先生も、いつも大きな世界地図を担いで学校を歩いている世界史の先生も、好きだった。でも、どうも学校というシステム自体が得意でなかった。

朝起きられない起立性調節障害という病気を患っていて、朝から学校に行くことができなかった。そしてほかに精神病も患っていて、教室に行くことがとにかく苦手だった。

そういうとき、決まってその学年主任のY先生が私の話し相手になってくれた。

「最近読んだ本で、面白かった本はなんですか?」
「ハマっていることってなんですか?」
そんなふうに、先生は私の心をほぐすためか、必ず雑談をしてくれた。そして、絶対に「教室に行け」とは言わなかった。

私に向けられた言葉ではないが、保健室のベッドで、他の生徒にこんなふうに声をかけているのを聞いたことがある。

「僕は学年主任です。学年全員の面倒を見る立場です。そういう立場から本音を言えば、あなたには教室に行って授業を受けてほしいです。でも、僕としては、できないときはできないし、できないものはできないから、あなたに無理に教室に行けということは言いません。ただ、立場上、行ってほしいと言わなくてはならない」

私はその言葉を白いシーツがかけられたベッドの中でじっと身を潜めて聞いていた。先生がくるということは、私にも声をかけてくるかもしれないからだ。
でも、先生はその言葉を言って、すこしその生徒と言葉を交わすと保健室を出ていった。

ベッドの中で私は、「先生はそんなふうに考えているんだ」と思った。

そして後日、私も同じようなことを、雑談のあとに言われ、やはりこの先生はこういう人なんだ、と好感度が上がったのを覚えている。

1年生の7月頃になって、「このままじゃ出席日数がやばい」と、親を含む三者面談で担任から告げられた。母親とは当時仲が悪く、学校に行けなくなったのは母親が起こした家庭内の問題のせいでもあったので、「お前のせいだ」と私は三者面談で母親に怒鳴りつけ、教室を飛び出していった。

体育館裏で、テニスの練習をしている人たちが何人かいるテニスコートを見ながら、私はひとり、どうしようもない涙を流していた。

すると、そこに私を追ったY先生がやってきた。
「こんなところにいたんですね。探しましたよ」

当時通っていた高校は私立で、学科も複数あり、中学も併設されていたので、そんな広い敷地の中で見つけられると思っていなかった私は驚いた。
何も言わずにただ泣き続ける私を見て、先生はこう言った。
「そうですよね。のかさんからしたら、自分は悪くないのに、自分に言われてもって感じですよね」
Y先生は隣に腰をおろして、私と同じ目線になってくれた。

先生と少し話して落ち着いたあと、私は教室には戻らずに母親と無言で合流して帰ることになった。

それから少しして、私の留年が決定した。原因は出席日数の不足だった。そして、私は高校を休学し、その後通信制高校に1年生から入学し直すことが決まったので、Y先生と顔を合わせることもなくなった。


3年が経って、私は2つ目の高校である通信制高校を卒業することとなった。

その高校では、ドロップアウトした生徒が多いため、お世話になった中学校や高校の先生を卒業式に招待する機会が与えられる。先生が来てくださるかどうかはその先生次第だが、来られなくてもお手紙を書いてくださる先生もいた。

私はふと、Y先生のことを思い出して、招待する先生を書く用紙にY先生の名前を書いた。

私が1年生のとき学年主任だったこともあり、Y先生は忙しくて来られない可能性のほうが高かった。しかし、数日後、高校の先生から聞かされた返事は意外なものだった。

「Y先生、来られるとのことでお返事もらったよ!」

入学時からよくしてくれた通信制高校の先生が、そう言ってくれた。

私はじんわりと嬉しくなった。Y先生が私のことを覚えてくれているのかどうかはその時点ではわからなかったが、来てくれるということは覚えていてくれる可能性が高かった。


卒業式当日、私はY先生が来てくださるということがずっと気になっていて、なんだかそわそわとしていた。
式中は先生と会うことはできないが、式が終わったあと、お世話になった先生方とお話しする時間が設けられていて、その時間に私はY先生の元へと挨拶に行った。

「来てくださってありがとうございます」
私がそう言うと、先生は、
「いえいえ。のかさんのことはよく覚えていますから。あとこれ、のかさんに、手紙を書いてきたのでよかったら読んでください」

Y先生は持っていた鞄から、封筒を取り出した。

「ええっ、手紙ですか」
手紙をもらえるとは思っていなかった私は、少し動揺した。
「それじゃあ、家でゆっくり読みます。ありがとうございます」
「いえいえ。何か、ほかの先生に伝えておくことはありますか?」
「それじゃあ……あの学校には結構不登校とか学校に馴染めないとかで悩んでいる生徒がいると思うんですけど、私みたいに学校を変えて、自分自身が変われた人もいるっていうことをそういう人に伝えて欲しいです」
私は先生に思いのままを伝えた。先生は、「わかりました」と言って、そして短く挨拶を交わすと帰っていかれた。

それがY先生との最後の会話だ。
今も先生はあの高校で働いていると思う。

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