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私流小説の書き方・読み方とコロナ禍

小説を書くとき、映像が見える。

元々、読書をするとき、文字を読むと瞬時に映像が見えるタイプである私は、小説を書くときも映像からスタートする。

映画のように、「どんな映像を読者に見せたいか」という観点から想像し始めるのだ。

つまり、「見えた映像をそのまま文字起こししていく」という、スケッチのような方法を取っている。

これには特殊な体力を使うようで、映像を見た後は結構疲れが来る。そして、体調が悪いとき、精神の調子が悪いときは、映像が見えない。

外に出て人と接するのが好きなタイプなので、コロナ禍でかなりのストレスを受けている。小説を書いたり読んだりする人の中には「オンラインになって気楽だ」という人が少なくない中、私のような存在はちょっと特殊なのかもしれない。

そんなわけで、コロナ禍で刺激がなく閉塞感のある生活を強いられ、私は書くときだけでなく、読むときすら「映像が見えない」状況になってしまっている。

そんな中、高校生の頃お世話になっていたカウンセラーがおっしゃっていたことを唐突に思い出した。

「本が読めなくなる人は鬱の患者さんに多いです。そういうときは、絵や写真が多い読み物から読んでいくと、想像しやすいのでいいですよ。リハビリになります」

そういえば、高校の頃に鬱や強迫性障害を患い、本が読めなくなったときも、その助言に従って漫画をよく読んでいた。
そのときは実際に読書のしづらさは改善したし、本も再び読めるようになった。

今の私も、もう一度その地点に戻ることが必要なのかもしれない。いつも書けないことや読めないことに焦って本を買い込んでしまうのだが、あえていつも読まないようなファッション誌や少女漫画を読んでみてもいいのかもしれない。

こんな時代だからこそ、焦らずにゆっくり生活してみよう、と改めて思った。


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