車で火葬…
隣の家のモサモサの犬が死んだ。
私がこの家に住むようになってからだから、長生きだった。
正直、私は動物自体があまり得意ではないし、その犬ともその家族ともあいさつ程度の付き合いなので、薄情かもしれないが大した思いはない。
ただ、長生きだったなあ、よく吠える元気な犬だったなあ、隣の家の犬でありながら、人に対してめちゃくちゃ吠える犬だった(私もゴミを出す度に吠えられていた)から我が家の番犬でもあったのかもなあ、と思ったり、どうか安らかにね、と願ってみたり。
けど、時代の変化には驚いた。
隣家の前に朝から見慣れない1台のバンが来ていたから、何事かとは思っていたけど。
お昼ごはんにパスタを拵えて、さあ食べようと思った時に隣の家の奥さんが我が家に来て。
先日犬が亡くなり、これからそこに止まっている車で火葬をすると告げられた。
奥さんが帰ってから、母と二人顔を見合わせて。
犬が亡くなった。
16年生きた。
火葬をする。
これから。
車で。
え。
その見た目何の変哲もないバンで?
え。
てか、そ、そこで?
今から?
モサモサくんを?
なんて、情報過多。
処理能力をこえる情報量すぎたのでとりあえずM-1の3位のコンビのメイクの人のようにまあ今の時代だからそんなこともある、と色々ひっくるめて受けとめようとしてみたり。
そんなこんなでペ〇パのメイクの人のように受けとめようとしたはいいものの、パスタを作る前に時は戻せないし、隣で火葬するってのに私達はパスタ食べてていいんだろうかね、という人生で初めての局面に遭遇し。
結果、クリームパスタにしちゃってたからのびるし、一旦心を無にしてとっとと食べようと決めたはいいが、なんだか、もやもやというか、複雑というかなんというか。
言葉にできない気持ちで明太子クリームパスタを食べ。結構美味しく出来たはずなのに味わえず。
モサモサくんにとっては、住み慣れた家で最期のお別れできて良かったのかな、という思いと。
住宅街のしかも車の中で火葬って出来ちゃうんだ、しちゃっていいんだ、という驚きと。
モサモサくんの成分はもうすでに空気中に漂っているのだろうか、とか。
そんなちょっとリアルなことも考えちゃったりもして。
***
愛し愛されるって幸せな事だ。
人も犬も同じ。
生きとし生けるものは皆、愛し愛されているということは幸せだ。
(愛し愛されたい私の願望かもしれんが)
こんなに長生きしたんだ。
大切にされているモサモサくんを時々ちらりと見てきた。
きっと幸せな犬生だったに違いない。
そう信じたい。
うん。
あなたと支え合いたい.