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#19 夢 ①

 人はその生涯のおおよそ3分の1もの時間を眠りという世界で過ごす。それは、残り3分の2のあいだの心身を健康な状態に保ち、私たちの明日を有意義で快適なものにするため、心身にすぐれた鎮静(痛)および疲労回復効果を与えてくれるものだ。「睡眠を制する者は人生を制する」とは私の勝手な言説だが、実際あながちまったくの誇張だとも思わない。私たちには、睡眠という時間を有意義に過ごす必要がある。
 けれども、老若男女を問わず多くの現代人は、慢性的に睡眠不足だったり眠りの質や睡眠環境に何らかの問題を抱えていると言われている。それによって、日常生活になんらかの支障をきたしているにもかかわらず、どうしても日中覚醒時の活動に関心と注意が偏ってしまい、眠りはその余りものとして優先順位の低い地位に甘んじた生活を送りがちだというのが現実と言えそうだ。
 カウンセリングに訪れる方々のなかにも、睡眠に何らかの問題を抱えていることを自覚している人は多い。こころに問題を抱え現実生活に大きな心配ごとがあれば、ぐっすり安心して眠れるはずもないのは当然のことだろう。一方逆もまたしかりで、良好な睡眠が得られるならば、心理的に困難な状況から生じる心身のさまざまなストレス症状がときに劇的な改善をみせることも珍しくない。睡眠のメカニズムについては、科学的解明も随分と進んでおり、睡眠(障害)はすでに医学的治療の対象である。一般の総合病院を中心に、精神(神経)科内に睡眠外来が併設され多くの人が受診する。

 ところで、この睡眠という世界で起きる不思議な現象に夢(体験)がある。夢とはいったいなにか、なぜ人は夢をみるのかについて探る人類の歴史は古い。
 たとえば古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、当時の自然科学や生理学的知見に基づいて、すでにさまざま説明を試みている。

 実際、眠っているとき、大部分の血がその感覚の始原(=心臓)へと下りていくので、感覚器官に内在する諸々の「動」 ― 可能的に内在する場合もあれば、現実に内在する場合もある ― は、血と共に下りてくる。(中略)それらのもろもろの動の各々は、ちょうど述べられたように、現実に活動していた感覚内容の残存物なのであって、それは現物が去ってさえも、感覚器官になお内在している。(中略)感覚器官のなかにある諸々の動によって、ちょうど感覚しているときのように動かされるということがある。それで、似ているものが、現物それ自体であると思われしまう。実際、眠りの力とは、そのことを気づかせないほどのものなのである。

アリストテレス全集7「自然学小論集」岩波書店

 
 ルネサンス期のイングランドの詩人ミルトンの『失楽園』における、サタンの狡猾な誘惑に幻惑されるイヴに語りかけるアダムの巧みな表現と解釈には意外な説得力がある。

 心身が休息している時、理性はその私室に退いてゆく。理性がこうやって留守になると、模倣好きの想像力がしばしば眼を覚まし、理性の真似をしはじめる。だが、その際、形象かたちの組み合わせを間違え、奇々怪々なものを作る、―とくに、夢のなかで遠い昔やごく最近のいろんな言葉や行動を無闇につなぎ合わせて、そういったものを作ることが多いのだ。

ジョン・ミルトン「失楽園」第五巻 平井正穂 訳 岩波書店


 また、19世紀フランスの作家アナトール・フランスの情緒観念的表現は、後述する精神分析学の祖フロイトも自著において引用したほどだ。

 夜、われわれが夢に見るものは、昼間われわれが気にもとめずなおざりにしたもののあわれな残である。夢はしばしば、軽蔑された事実たちの仕返しであり、見捨てられた人々の非難の声である。だから不意打ちを食らうし、悲しみに襲われることもある。

アナトール・フランス「赤い百合」複数邦訳版を一部改変して掲載
 

 精神病理学や心理学の専門家達もまた、夢について過去さまざまな説明、解釈を行ってきた。フロイトが、「ある抑圧された願望の、偽装した充足」と表現したことはよく知られる。日本におけるユング派分析心理学の草分け的存在であった河合隼雄は、「夢はそのときの意識に対応する無意識の状態が何らかの心像によって表現した自画像であるともいうことができる」と表現し、昨年逝去した日本精神医学界の巨星中井久夫によれば、「夢のはたらきによって我々は健康を保っており、昼間こなせなかったことを寝ているあいだに消化してくれるこころの胃液のようなもの」だという。

 こころの病の源流を、無意識や深層心理の世界の中にさまざま探り、現実日常の行動や思考に変容をもたらそうとうする精神分析的・力動的精神医学などが隆盛だった時代においては、夢内容が持つ象徴的あるいは記号的暗示の分析や意味解釈に基づく臨床実践もまた、一定の治療的効果をもたらしていた。だが、現代の精神医学や臨床心理学において、こうしたアプローチは、十分な科学的根拠には欠けるとして精神療法の主流からは外れてしまっている。夢内容が、見た本人の潜在的な不安や葛藤、欲求を反映していると安易に断定をすることはできない。
 今では夢を見るメカニズムや機序といった側面については、科学的な研究に基づく知見もさまざま集積されつつある。夢はいってみれば、心身に強い鎮静効果をもたらす睡眠中(のある時間帯)に不安定な覚醒状態に置かれた脳が、混乱した意識下でランダムに示す神経生理的な反応である。そしてその体験は、就寝中の睡眠環境や現実日常生活における心身の状態、生活習慣等にも影響を受ける。悪夢障害のような、いくつかの精神疾患が原因で見られる病理もまた医学的治療の対象である。が、まだわかっていないことも多いのもまた確かである。
 夢はおそらく、心の病の治癒に必要な客観性や普遍性が十分に担保された理論なり技法を導きだす素材としては、あまりに主観的経験の色濃い、気まぐれでアナーキーな体験の世界なのだ。夢に過大な期待をかけるのは実際酷な話なのかもしれない。

 ただ、それでは夢について考えることにまったく意味も効果もないかというと、そうとも言い切れないのが、われわれ人間というあまりに複雑な存在である。とりわけカウンセリングにおいて、すべて個人はいわば「特殊ケース」でもある。一般的あるいは集団的に共通する部分としては語れない個別事情なり背景の部分にこそ、こころの問題の本質もまた潜んでいるものである。夢についての話題を取り上げたり話し合ったりすることが、苦悩するこころの理解や問題解決になんらかの貢献をするケースもあるだろう。
 では、どのような場合や条件の下で夢をカウンセリングの俎上そじょうに載せるのか、夢分析の研究知識も経験の蓄積も浅いあくまで私個人での取り組みのレベルになるが、夢の具体例も挙げながら話を続けていきたい。


C²-Wave 六本木けやき坂ウェブサイト


 

 

 


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