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中学受験の不都合な真実

「鶏口牛後」という言葉がある。

三省堂 新明解四字熟語辞典には、

大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいということ。▽「寧(むしろ)鶏口と為(な)るも、牛後と為(な)る無(な)かれ」の略。「鶏口」は鶏の口(くちばし)。弱小なものの首長のたとえ。「牛後」は牛の尻。強大なものに隷属する者のたとえ。

と説明されている。

中学受験は目的ではない。我が子の人生をより豊かにするための選択肢のひとつに過ぎないものだ。
一方で中学受験において第一志望校の合格率は、およそ30%と言われている。ゆえに、その成功自体にはとても大きな価値がある。

しかし最も大切なことは、進学後に我が子が充実した学校生活を送ることができるかどうかである。そこで学んだこと、身につけたこと、忘れられない恩師、築いた友人関係、たくさんの思い出などが、その後の人生においてなくてはならないものだったと、子供自身が将来そう思えるものになるかどうか、ということだ。

学校で得られるものは前述のとおり様々だが、その本分や費やす時間を考えると、やはり主となるのは学業だろう。

ここからは、綺麗ごとなしに事実を語る。

進学校において、学業についていけなくなった子の末路は、かなり悲惨だ。

進学校とは文字通り、進学のために子供を鍛える学校である。進学校の使命は、上位有名大学に多数の生徒を合格させること、これに尽きる。それこそが生命線であり、存在価値だからだ。学校独自の理念や教育方針は、その学校を規定する大切な要素ではある。しかし合格実績というわかりやすい数字の前には、それはとても儚い。

そのために先生は、将来有望で、成績優秀な生徒に向けた授業をする。学校も、必死で勉強しないとついていけないような進度や難度のカリキュラムを組む。それゆえ、どうしても成績下位の子たちは脇に追いやられる。授業についていけなくなった子は、追加費用をかけて補習塾に通うはめになるか、勉強そのものを諦めてしまうことになる。これでは、何のために莫大なお金と親子の時間をかけて、我が子を高い学費の名門私立一貫校に入れたのかわからない。

となると「では、ある程度偏差値に余裕を持たせて、受験校を選んだほうがいいのでは?」という考えに自然に至ることとなる。

しかし、事はそう単純ではない。経験上ほとんどの親子が、現在の偏差値が55なら、偏差値57~58の学校を目指す。勉強を頑張って偏差値が60になれば、いつの間にか偏差値62~63の学校が志望校になっている。そういうものなのだ。

この背伸びをしたくなる気持ち、というのは決して悪いことではない。それどころか、目標の上方修正を行って更に高みを目指すのだから、むしろ喜ばしいことだとさえ思う。よっぽど志望校に対して何らかの強いこだわりでもない限り、「まあ、この程度の偏差値の学校でいいか」ということには、まずならない。少なくとも、頑張っている子ほど、ならない。

しかし、これも綺麗ごとなしに言うが、子供の成績の伸びはいずれどこかで頭打ちになる。このことは私が現役で業界にいたときには、口が裂けても言えなかったし、言っても意味のないことなので言わなかったが、その子の偏差値の上限が残念ながら存在するのだ。先天的なものなのか、幼児期に規定された器のようなものなのかはわからない。しかし見えないキャップは確実に存在する。それは、ある程度能力と経験を有する講師なら、教えていてわかってしまうのだ。


ここで一旦、話をまとめておこう。つまり理想的な中学受験というのは、

1 我が子が中学受験を通じて精一杯背伸びをし、自らを鍛え抜くこと
2 頑張れば何とか手が届きそうな、憧れの第一志望校に合格すること
3 進学後、学業をはじめ様々な面で活躍し、有意義な学校生活を送ること

ということになる。

さて、ここからは私の親としての教育方針も交えた完全な私見なので、共感できる方だけ参考にしてほしい。

上記3つを自然に達成させる方法がひとつある。それは、「なるべく伸びしろを受験直前まで残しておく」という作戦だ。つまり、成績の上昇カーブを、下図の赤線ではなく、青線を描かせるようにするのだ。

時間と偏差値のグラフ

赤線の子も青線の子も、精一杯頑張って、最終的に同じ偏差値に辿り着き、同じ学校に入学したとしよう。しかし入学後の成績が伸びる可能性は、青線の子の方がはるかに高い。伸びしろがまだ残った状態、もしくは伸び盛りの状態で入試当日を迎え合格し、入学したからだ。こうして、入学時の成績が団子状態であったにもかかわらず、その後の成績にいずれ大きな開きが出てくるのである。

では、赤線のグラフを描く傾向のある子はどのような子だろうか。
それは次のとおりである。

1 低学年(小1~小3)から中学受験の準備を始めた子
2 習い事やクラブ活動などを早い時期に整理して、中学受験の準備に専念した子
3 精神面の成長が比較的早かった子

3は、いかんともしがたい。しかし、1と2は親がコントロール可能だ。

「中学入試は親の課金ゲームだ」と、現在絶賛放映中のドラマで、黒い先生が言っている。それはある面において、真実だ。

そして、塾の使命は生徒をできるだけ上位の学校に合格させることと、多くの売り上げを上げることである。

そのために塾は、親子に早い段階での入塾を勧める。様々なオプション講座を勧める。そしてそれは校長(塾長)や講師への厳しい営業ノルマとなっている。もちろん合格実績だってノルマだ。

ゆえに講師たちは、ときには親の不安をあおり、ときにはお子さんの輝かしい未来のためと、巧みに、そして必死に、親の判断を誘導する。しかも、厄介なことに多くの講師が、それこそが生徒のためだし、会社のためだと本気で信じている。そりゃそうだ。短期的に成績も上がり、売上もあがるのだから。そして親は、講師の言うがままに、どんどんお金と時間を費やすこととなる。

その結果、親も講師も気づかないうちに、子供は赤線の成績推移を描くようになる。そしてその子は、言い方は悪いが、伸びきったゴムのような状態で、分不相応な学校に入学することになる。また、あまりにも長い中学受験に向けた準備のために、燃え尽き症候群のようになってしまう子もいる。
これらが、進学後に不幸な末路を辿ってしまう、典型的な事例である。

では、どうすれば青線の成績推移を描くことができるか。答えは簡単である。先ほどと逆のことをすればよい。つまりこうだ。

1 中学受験の準備は早くとも小4からにする
2 少なくとも小6の夏までは、習い事やクラブ活動との両立を貫く
3 塾からのオプション講座のお勧めは、本当に必要なもの以外うまくかわす

特に2の子、それが精神年齢の発達が女の子に比べて遅い男の子であれば、ほぼ間違いなく青いグラフになる。当の本人は、毎日が過密スケジュールで本当に大変だろう。しかし習い事やクラブ活動を整理した後は、勉強時間を大きく増やすことができるようになる。差し詰めそれは、ドラゴンボールの精神と時の部屋に入るようなものだ。そこで一気に実力が解放される。BLEACH(ブリーチ)に例えれば始解や卍解だし、鬼滅なら全開放だ。

こんなことは、塾の講師は決して教えてくれない。そもそも、このような生徒の成長曲線について意識したり、その仕組みを理解している講師自体が少ない。入学後に子供の将来がどうなっても関係ない。次の受験生の指導で精一杯である。

これが、業界を引退した今だから言える、不都合な真実なのだ。


もちろん、この主張には賛否両論あるだろう。低学年から塾に通わせることで、その後の伸びしろが大きくなる、という考え方もある。子供のもつ可能性を100%引き出しきれないまま、入試当日を迎えてしまうかもしれない、という不安もある。

しかし私は、それならそれでいいのではないか、と思っている。

学力以外にも、人生において必要な力がたくさんある。子供にはそれらを、バランスよく身につけさせてあげるべきだと考えているからだ。

限られた費用や時間の中で親子が協力し、精一杯中学受験に立ち向かう。もっとお金や時間を費やせば、本当はもう1ランク、2ランク上の学校に入れたかもしれない。親はそれを心中ではうっすらと理解している。でも当の本人にとっては、これ以上ないくらい頑張って手にした、誇らしい第一志望校の合格だ。最後の半年は、やれるだけやり切ったという充実感も残る。それは親子にとって、十分満足のいく結果だと、胸を張って言えるのではないだろうか。

こうした親の計画的なプロデュースによって、「鶏口牛後」は、理想的な形で実現する。

いや、それは決して「鶏口」なんかではない。

立派な「牛口」ではないだろうか。







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