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第五話 軍鶏群 ―しゃもむらがる― (二)

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<二>


「以前、侯爵さまのお席で、ご子息さまを紹介いただいたことがございましたが」
「ああ、兄ですね。僕は次男でして。まだ学生の身です」
「あらまあ、そうなんですか」
「ですが、こちらの方面も心得ておりますので、ご心配なく」
「さようですか。立派な息子さんが二人もいらして、侯爵さまもご安心ですねぇ」

 トントンと足音も軽やかに、女将の後について狭い階段を上る。主に出るのは二階の部屋らしい。家鳴りがひとつあった。しかし、家自体が古いせいで、怪異とは関係ないようだ。

「いえね、最初、ご子息さまがいらっしゃると伺って、お兄さまがいらっしゃるとばっかり思ったものですから。そんなおそれ多いと一度はお断り申し上げたんですよ。ですが、こういうことは早くした方が良いからって仰られて、『下手な祓い屋よりもうちの息子の方が確実だし、口も硬いから他所よそに漏れることもなくて商いにも差し支えないだろう』って重ねてご心配いただいたものですから、それじゃあって、ご厚意に甘えさせていただくことにしたんです」
「そうなんですか」

 外面ばかり良い父の戯言ざれごとには、時々、うんざりする。同じ調子で息子の都合も聞いて欲しいものだ。

「こういう商売ですから、その手のお話はそれなりに耳にしますけれど、まさか自分のところであるとは思ってもみませんでした。神社でおはらいをお願いしたり、一度はお坊さんにも来ていただいたんですよ。それでも一向に良くならないもんですから、本当にどうしようかと困っておりましたんですよ。でも、こうして来ていただけるだけで、本当にありがたいことでございます」

 花街かがいでこういう話は初めてではない。普段着の羽織りに襟巻きをした梟帥が目撃されたところで、まさか祓いに来たとは誰も思うまい。また、噂になったところで、輝陽きょうにいる学友が知ることはないだろうし、妙な誤解をして絡んでくる連中も今はいない。
 二階に上がれば、香の匂いに混じって、長年かけてしみついた白粉や鬢付油びんづけあぶらの甘い匂いがした。階段を中央に、向かい合わせの三部屋ずつ、計十二部屋が左右に並んでいた。左側の廊下の突き当たりで曲がっているから、その先にも部屋はあるのだろう。かなりの大所帯だ。だが、女所帯らしく、掃除も行き届いて見える。
 今のところ、こうして立っていても妙な気配は感じない。なにもないわけではないが、物の怪にもならない雑魚ざこばかりで珍しくもない。どこにでもいるやつだ。ちょっとした不運を呼ぶ程度で、大した害はない。清いばかりでは、客が寄り付かなくなる。かといってけがれが強すぎれば、ろくでもない客ばかりになる。こういったことでも、加減が大事だ。そういう意味では、ここは良い塩梅あんばいなのだろう。

「先のお話し通りに、うちの娘たちはお稽古けいこで出払っている時間ですので、小一時間ほどは邪魔が入らないようになっています。少々、散らかっているかもしれませんが」
「おかまいなく。よく目撃される部屋というのは」
「右の奥から二番目の部屋です」
「見せていただいても?」
「ええ、どうぞ。こちらへ」

 案内された部屋は四畳半の広さで、怪しい影ひとつない。普通の部屋だ。頭の中で周辺地図を思い浮かべ、家の作りを当てはめる。鬼門も関係ないようだ。

「一年ほど前、その部屋を使っていた娘がその窓から『男がのぞいていた』って言い出すようになりましてね。なにもない所から音がしたり、物が勝手に移動していたりとか。一応、確認しては見たものの二階ですし、外から人が入れるようなところもありませんから」

 りガラスの窓を開けてみると、面した道から登れる木もなにもない。屋根から入るのも難しいだろう――人ならば。

「騒ぎ始めの頃、なにか新しくしたり移動させたりしましたか? 神棚とか仏壇とか、他のものでも」
「神棚とか動かすことはありませんし、細々こまごまとした道具ぐらいは移動させたかもしれませんけれど、目立ったものはなかったと思います」
「そうですか。異変は続いているんですよね」
「ええ。最初はその娘の気のせいだろうって言っていたんですが、気味が悪いって言うもんだから、部屋を変えさせたんです。以来、なにも言わなくなったんで、やっぱり気のせいだろうと思ったんですが、それから度々、別の部屋の他の娘たちも同じようなことを言うようになりましてね。寝ている時に男が天井に張り付いて見下ろしていたとか、ひどいおびえようで………この部屋は、空き部屋のままです」
「最初に部屋を使っていた娘は、部屋を移ってからは特に異常もなく?」
「ええ。でも、関係あるかどうかはわからないんですけれど、夏頃から別の部屋を使っている娘が、ちょくちょく体調を崩すようになりましてね。そんなこともあったものだから、試しに部屋を変えさせてみたんですが、ちょっと良くなってはまた悪くなるの繰り返しで」
「悪いんですか」
「特にここ二、三日は、伏せっきりでして。おかゆも喉に通らないありさまで、お医者さまにも診せたんですが、原因はわからないそうです。このまんまだと弱る一方なんで、どうしようかと。家に返そうにも本人は嫌がるし、余計に悪くなりそうですしね」
「そうでしたか」
「色白の器量良しなうえに踊りの得意な娘なんですよ。芸が売りの深橋しんばしにはぴったりの娘で。こちらもなるべくなら復帰してもらいたいんですよ。昔馴染みの先生方にはご贔屓ひいきいただいておりますが、こういったご時世ではなかなか難しゅうございますからね。軍人さん方は、みんな朱坂あかさかばかりで。宣伝かねて輝陽の加茂川かもがわ踊りっていうんですか、ああいうのをこちらでもやれたらいいのにとは思うんですが、なかなか……」
「他に具合が悪そうな娘はいませんか」
「みんな元気ですよ。うちはそういうところはきちんとしていますから。ただ、その娘だけが、どういうわけだか」
「そうでしょうね。その娘に会うことはできますか?」

 それには、さあ、と流石さすがに女将も迷う仕草を見せた。

「とても人様の前に立てるような状態では……」
「動けないようでしたら、部屋に伺いますが」
「いえね。でも……」
「もし、その娘にいていたら、祓わない限りは良くなりませんよ」
「取り憑かれてるんですか?」
「その辺は、確認してみないとなんとも。ただ、話を聞く限り、その可能性は高いと思います」
「本人に聞いてみます」
「そうして下さい。動けそうなら、この部屋に連れてきて下さい。ここで待ちますので」

 そう言えば、女将はそそくさと部屋を出ていった。しばらく待っていると、二つの足音が近づいてくるのが聞こえた。しかし、気配は三つ。視るまでもない。当たりだ。
 女将の後について、浴衣姿の娘が入ってくる。目の下のくまも濃く、頬はこけやつれきっていた。妹とそう変わらない年頃だろうが、溌剌はつらつとした雰囲気は欠片もない。背中にべったりと張り付くようにしている男に生気をぜんぶもっていかれているようで、早晩、命までも取られかねない様子に見えた。
 男の霊は丁髷ちょんまげを結い、一時代前の町人のような姿をしていた。ニタリ、といやらしい笑いを浮かべ、梟帥たけるに見せつけるように娘の身体をまさぐり、うなじや耳に舌や手を這わせた。梟帥にも、何もできやしないと高をくくっているようだ。見えていることにすら気づいていないようにも思える。男が何かをする度に、娘は苦しげな表情を浮かべ、それがかえって色気が増して感じる。そういうところが、男を惹きつけたのかもしれない。見えるほどの力はなくとも、影響だけは受けやすい体質なのだろう。

駒若こまわかともうします」

 そんな状態にあっても、三つ指をついて挨拶をする姿はさすがに様になっていた。

「じゃあ、時間もないことですし、ささっと済ませてしまいましょうか。なに、すぐに終わります」

 梟帥は羽織を脱ぐと、腰にさしていた御幣ごへいを抜き取り、にこやかに答えた。

 

 やれやれ、と一仕事を終えて外に出た梟帥は、大きく伸びをした。

(珈琲でも飲んで帰るかな……)

 女将から頂戴ちょうだいした礼金で少しだけふところも温まった。気疲れ料として有り難くいただいた。
 歩き始めてそうも行かないうちに、稽古を終えての帰宅途中らしい芸妓げいこたちとすれ違う。軽く会釈をして通り過ぎれば、背後からくすくすとした笑い声が聞こえた。年の頃からいって、先ほどの置屋で預かっている娘たちかもしれない。ちょうど良い感じの時間で終えられたようだ。改めて、人がいない間にすんで良かったと思う。異性に囲まれて悪い気はしないが、時と場合による。本業の祓い屋ではないから、余計だ。
 祓う自体は簡単だ。神棚から榊を借りてそれらしい祭壇らしきものを設え、御幣を振りながら祝詞のりとを唱える。振りながら、こっそり神に御降臨願ってバッサリ、の手順だ。
 梟師に降りる柱は、勝手にその場に合わせた得物もたずさえてくるので、指定の手間がはぶける。その代わり、桐眞とうま生太刀いくたちのように、神器じんぎと言われるほどの得物えものは降りてこない。めいのない、どこの誰が使ったかわからない道具としての武具ばかりだ。が、それで不自由したことはないので、気にしてはいない。今日の得物は苦無くないだった。手刀をきる振りをしながら、一発で仕留めた。取り憑いていた幽霊も、なにが起きたか気づかなかったのではないかと思う。
 良心的な僧侶や宮司などは相手の言い分も聞いて、自発的な成仏じょうぶつうながしたりして浄霊じょうれいの手間をかける者もいるそうだ――たぶん、それが本来のやり方なのだろう――が、梟帥はそんな手間を省く。死んだ人間の魂の更生など彼には関係ないし、他人の恨みつらみにも興味がない。たたりやけがれにさえならなければいい。この国の神は、そういうものだ。だから、神力じんりきを使って一瞬で消滅させる。あの世にも行かせない。物の怪と同じ扱いだ。その辺の扱いが、神と仏の大きくちがうところだろう。
 しかし、手軽さの反面、弊害へいがいもある。実はそこが面倒くさかったりする。簡単すぎては、祓われた側が納得しなかったりする。なので、それらしい演出をする必要があった。
 奇妙な話ではあるが、同じ結果であっても勿体もったいぶった方が、祓われた者も辛い思いをした分が、報われたと実感できるようだ。あまりにも簡単に楽になってしまうと、明らかに良くなっていても、本当に祓えたのかと逆に気に病んだりもする。目に見えないから、尚更なのだろう。負の感情は、別の負を引き寄せる。疑いを持つことで、また別のモノを引き寄せかねない。人間の心理と言うのは、こう言うところが厄介やっかいだと言わざるを得ない。
 梟帥はその辺りを誤魔化すのが上手いから、という理由だけで、こんな役目を押し付けてくる父にも困ったものだと思う。祓って生気を取り戻した途端、しなを作ってみせる女にも――梟帥の好みからは少し外れた。
 ひと昔前と違い今は芸妓も法に守られていて、健全かどうかは微妙なところだが、技能職のひとつだ。遊女と違い、親に売られて不当な扱いを受けたり、無理矢理、色を売らされることはない。もし、そういう扱いが発覚すれば刑罰の対象になる。今の芸者は、政府高官に見初められて妻に迎えられる者などもいて、たま輿こし狙いで進んでなる娘も多い。市中では写真も売られていて、一躍、人気者にもなれたりする。ちやほやされたい者にとっては、それだけで魅力的な職業だろう。
 芸で身を立てたいという真面目な者もいるが、駒若という娘も『あわよくば』の類なのかもしれない。ああいったはかなげな風情を好む男も多いので、そのうち、そちらの方面で名を耳にすることもあるかもしれない。それに、深橋しんばし芸者となれば花代はなだいも一等で、しがない脛齧すねかじりの学生の身には、遊び相手にしては荷が重い。
 
「あ」

 北方向に足を進めている内、不意に微妙な変化に気づいた。後ろを振り返り、立てた中指とひとさし指をくるくると回しながら、気の流れを巻き取って確認する。見えない細い糸のようなものが指先にまとわりついては、離れて流されていった。

「ああ、そういうことか」

 あの幽霊がどこから来たのか閃いた。武家屋敷だ。取り壊された屋敷のどこかに出入りしていただろう中間ちゅうげんだった可能性がある。お手討ちにあったかで命を落とし、魂だけ留まっていたのが屋敷の取り壊しで解放され、気の流れに乗ってふらついているうち、たまたまあの置屋に辿りついたのだろう。女の匂いにつられたのかもしれない。これ幸いと、好みの女を物色して取りいた。縁もゆかりもなくても、事故みたいにそういうことはある。あの駒若という芸妓にとっては、とんだ災難だ。
 武家も表向き、武士道だなんだと高潔そうなことを言っていても、色々あったらしい。特に資金繰りにおいて。敷地内一角の中間部屋などは小遣い稼ぎのための賭場とばになっていたと聞く。あの中間も、そういうことに関わった一人だったのだろう。幕府は各藩に力をつけさせないよう金をしぼり取ることにけていたことから、それぞれ金策のためにあれやこれやと苦慮していたようだ。長く続いた政権の裏では、後ろ暗いことの一つや二つ、それ以上にあって当然だろう。
 遠くから板を打ちつける音が聞こえてくる。

(だとすると、似たようなことがまたありそうだ……)

 あまりやりたくない。死人相手でも人を斬るのは一瞬、躊躇ちゅうちょする。愛想を振り撒いているより、身体を動かしている方が好きだ。父には、今のうち、やりたくないことをはっきり伝えておいた方がいいかもしれない。身内とはいえ、便利に使われすぎるのもしゃくにさわる。

(通りに地蔵のひとつでもまつると、いいかもしれない)

 廃された寺や神社から連れてくるのもありだろう。
 角をいくつか曲がり、細い路地の先に馴染みの看板が見えてきた。小洒落こじゃれた今風のドアを開いて中にはいる。と、

「あれ」
「あら、ごきげんよう。奇遇きぐうですわね」

 思いがけず、木栖きすみ咲保さくほとお付きのモノがいた。女中に化けた狸に、思いきりにらまれた。
 


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