ふうらい牡丹

怖いものが好き。

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最近の記事

【怪談未満の話】グレイトフル・デッド

 蛙坂須美さんのこのポストを見て思い出した、自分自身の怪異譚がある。 記憶違いやただの偶然で済ますことのできる話でもあるし、人によっては、というか大部分の人にとっては怪談であるとすら思われないだろう話で、ただただ個人的な体験でしかない。が、自分は「怪談≒ただの個人的な体験談」だと思う部分があるので、解釈は他人に委ねるとして、とりあえず書いてみることにする。  梅田で地下鉄に乗車しようとすると、降りてきた男性がグレイトフル・デッドというバンドのアイコンであるサイケデリックなク

    • わたく詩II・コクトー『三十になった詩人』

       「詩とわたしについて何か書きなさい」と言われて、べつに堅苦しく考えず、自由に、何を書いてもいいのなら、本棚の、一度読んだことのある詩集をぱらぱらと捲って、その中から適当に詩を選んで、そして何かを書けばいいのである。  ぱっと目についたのは家の本棚の一角の海外の詩集をまとめて並べた場所だった。  そこにある『ヘッセ詩集』は十年以上積読のまま一度も開いていない。なんか格好いいからという理由だけで買った記憶がある。目の前にあるのに全くページを捲る気がしない。もう読まないかもしれ

      • わたく詩・天文学者の話を聞いて

         癌を宣告された化学教師ウォルター・ホワイトが家族に遺す大金を作るため”クリスタル・メス”(覚醒剤)を製造するドラマ『ブレイキング・バッド』。  このドラマに登場するゲイル・ベティカーという化学者が好きだ。  ゲイルは一時期、主人公ウォルターのメス製造の助手を務めた人物で、化学者としての経歴は優秀、だが自ら「オタク」と称する変わり者である。    理想のコーヒーを飲むためにラボに大きな装置を作り、家でもお茶を淹れるケトルの温度を非接触温度計で正確に計る。仕事も私生活もとにか

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        • 魚に恋する。

          「好き」とは何だろうと考えてみる。     最近はあまりやらないが昔、釣りが好きだった頃、なぜ釣りが好きだったのか考えると、釣りというのは、長い長い釣れないもどかしい時間も本命の魚が釣れた一瞬もずっと非現実的な時間を過ごせるから、だったように思う。  釣りという行為は狩猟でもありゲームでもあるから、目標に向かって、本命が釣れるまで「ああでもないこうでもない」と戦略を立て続ける時間を過ごすことになるのだが、本当のところ思考する脳味噌の半分くらいは空想の世界に浸っている。   

          クリスマスになると聴きたくなる曲。『Our House』『Innocent When You Dream』

           CSN&Yのアルバム『Déjà Vu』に収録されている『Our House』という曲。  クリスマス・ソングというわけではないけれど、クリスマスになると聴きたくなる。  聴きたくなるというよりむしろ、思わず口ずさみたくなる歌だ。  このアルバム自体は時期を問わずによく聴く。  『Our House』も好きな曲だが、この時期になると頭の中で再生されるのは、歌い出しの  ”I'll light the fire. You place the flowers in the va

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          クリスマスになると聴きたくなる曲。『Our House』『Innocent When You Dream』

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          おやすみボックス

           わが国でも“おやすみボックス”がついに解禁された!が、それがなんなのかわたしにはよくわかっていない。さっそく届いた小包みを開けてみると·····?  そこには小さな海が入っていた。波の立つ水面。潮の香が漂い、潮騒が耳を撫でる。  —本当に海が入っているのか。  “おやすみボックス”が世間に知られるようになったのはたしか十年程前だったと思う。当時人気だったバンド、ヘロドトスのメンバーが所持・使用で逮捕された頃からだろうか。  私は大学に入学した直後だったが、当時は流通の経路

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          おやすみボックス

          生まれ変わったらよだかになりたい。

          もし生まれ変われるなら、世界中の誰かや何かの苦しみの上に立って生きたくありません。 というまさに偽善者のような独善的な感情があります。 究極のことを言うならヴィーガンになりたいし、禁欲的な生活をしたいのですが、それはもう無理な話です。 なぜなら私は肉の味を知ってしまったからで、肉の味を知らない私に戻れないからです。なんなら、他の人よりも命を奪って肉を食らうことに対しての執着が強いと思います。 釣りが好きで活きた魚を平気で締めて捌くし、もし狩猟免許と銃を持ってたら色んな肉を食え

          生まれ変わったらよだかになりたい。

          わたしが映画として見た『Tokyo Summer』(脳内で)

          2014年公開の『Toyko Summer』という映画を観たのでその感想を書きます。 当時、東京国際映画祭で上映していたはずでパンフレットで名前を見かけた記憶があるだけの映画だったのですが、こないだGyaoで無料で観れました。 予告編はこちら。 物語は以下のような場面から始まる。 カナダのホテルで一人寝起きする穣一。 彼がある夜、バーで出会った日本人の今日子と一昼夜を共にする。 今日子という人物の背景は一切語られず、この映画は終始、穣一の視点から描かれる。 穣一は昨年まで

          わたしが映画として見た『Tokyo Summer』(脳内で)

          ”素材病”について考えてみる

          脱輪さんのこちらの記事を読んだ感想です。 ちなみに記事の元になったツリーについて以前に一言呟いていました。 ・”素材病”と”かろみ” ”素材病”について考えるためにとりあえず俳句に触れよう。 俳句のことを語れるほど知らないが、脱輪さんの明治維新の話から思い浮かんだので。 「いや日本映画の話やろ?」と言われるかもしれないが、映画の話は最後の方に。 NHKの『英雄たちの選択』という歴史番組が好きなのだが、ずいぶん前に松尾芭蕉を扱っている回があった。そこで芭蕉の晩年の俳句理念

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          ”素材病”について考えてみる

          『六月の蛇』の話。

           映画と巡り合うタイミングは不思議なものだ。  『六月の蛇』という映画を知って、その映画が十三のシアターセブンで上映される日程にたまたま神戸での仕事が立て続けに入っていて、神戸から大阪へ帰る途中で十三で下車する時間がちょうど上映時間の頃合いだった。他の場所、時間に仕事が入っていたら観に行けなかった。  初めて行くシアターセブン、歓楽街を通って映画館を目指すと、道を行く男に片っ端から声をかけるキャッチの兄ちゃんがどう見ても健全な男である自分にだけなぜか声をかけなかった。  

          『六月の蛇』の話。

          デジタルなあの世について考えてみる。

          脱輪さんの「 テロルの挫折とデジタルなあの世 〜『ときめきに死す』発、『エヴァ』経由、『黄泉ネット』行き〜」の3つの記事を読んで、『黄泉ネット』を見た。 ということで、(3つの記事のうち主に【後編】の)感想。 『黄泉ネット』のあらすじも含めて、まずはこちらを読んでください。 インターネットという「デジタルなあの世」に対し、アナログな古臭い(ノスタルジックで馴染みやすい)イメージを持ち込もうとする人間の防衛本能。 そこから真っ先に思い出されたのが『黄泉ネット』からおよそ10

          デジタルなあの世について考えてみる。

          いとこ同志の破滅

          ”お茶代”4月のヒョーロン課題 『インテリ男が運命の女に出会って破滅していく物語を反復する2人の巨匠、ウディ・アレンとロマン・ポランスキーについて論じた脱輪の文章を読み、文中から2ヶ所以上引用しつつ、同じ主題を任意の映画作品から2000字以上で取り出せ』 こちらの文章で、ウディ・アレンとロマン・ポランスキーを”自虐的な目線でもってインテリ男性の惰弱ぶりやブルジョワの退廃を突く”映画作家と書かれてあって、クロード・シャブロルもそれに当てはまるところがある監督なんじゃないかと

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          谷町・目白・木の都

           織田作之助と地元が一緒だ。  だからというわけではないがオダサクの小説がすごく好きだ。  オダサクの小説の舞台でよく出てくる大阪の谷町とか上町とかいう辺りに今も住んでいて、通った中高もそのあたりにある。  彼に『木の都』という掌編がある。  「大阪は木のない都だといはれてゐるが、しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついてゐる。(略)大阪はすくなくとも私にとつては木のない都ではなかつたのである」  こんな書き出しから始まるのだが、これは僕にとっても当てはまる。  後に数年

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          谷町・目白・木の都

          孤独な天使たちの話。

           ずいぶん前。  「デビッド・ボウイのこのアルバムとこのアルバムが好きでー...」と音楽好きの知人に話すと、  「ボウイは、あれは『音楽の天才』じゃなくて、すごく優秀な人間がたまたま音楽をやっているだけだから特に好きじゃない」  と、よく解らんことを言われたことがある。  それで... https://note.com/waganugeru/n/n4f64845cef2d  こちらの記事。不勉強なもので松永さんを知らんなあと思いながら読みながら、(これ、デビッド・ボウイ

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          孤独な天使たちの話。

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          大島渚の『儀式』

            https://note.com/waganugeru/n/n9916ae625666 https://note.com/waganugeru/n/nd1743a88235b  上の二つの記事を読んだので、僕も精神分析理論を使って映画を読んでみます。  狂気やトラウマという言葉から思いついた映画、大島渚の『儀式』(1971)をとり上げます。自分でもこの映画よくわからんと思っていたので、こういう機会にちょっと考えてみよう。  まずは物語の概要から。    ・あらすじ 

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          大島渚の『儀式』

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          外套を持っていない。

           ・ちゃんとした格好   大学を卒業してから、「ちゃんとした格好してる」と言われることが多い。たしかに、だいたいいつも「そこそこのホテルで食事できる格好」をしている。別に高い服を着ているわけでも、こだわりがあるわけでもない。  何故そうなったかと考えると、大学卒業後、社会的責任を背負ったことがないために、ちゃんとした社会人に対しての劣等感が常にあるからかもしれない。学生の頃は「毎日スーツを着るなんて絶対に無理だ」と思っていた人間が、卒業後「ちゃんとした社会人」になってもいない

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          外套を持っていない。