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わたく詩・天文学者の話を聞いて

 癌を宣告された化学教師ウォルター・ホワイトが家族に遺す大金を作るため”クリスタル・メス”(覚醒剤)を製造するドラマ『ブレイキング・バッド』。

 このドラマに登場するゲイル・ベティカーという化学者が好きだ。
 ゲイルは一時期、主人公ウォルターのメス製造の助手を務めた人物で、化学者としての経歴は優秀、だが自ら「オタク」と称する変わり者である。
 
 理想のコーヒーを飲むためにラボに大きな装置を作り、家でもお茶を淹れるケトルの温度を非接触温度計で正確に計る。仕事も私生活もとにかくなんでもこだわる。

 優秀な経歴を持つ真面目な彼がなぜ覚醒剤製造という大犯罪に手を染めるのか、その理由も明確だ。
 「僕は自由主義者である。世の中に犯罪は絶えず起こるし、僕が薬物を作らなくても薬物を買う人は存在する。それならば混ぜ物の入った安い危険な覚醒剤より、質の高い代物を作って売るのは悪いことではない」

 このセリフはドラマの中でもすごく好きなセリフなのだが(ゲイルの思想を肯定しているわけではない)、同じシーンでゲイルがホイットマンの『天文学者の話を聞いて』という詩を暗唱する場面がある。
 そこもすごく印象深い。
 だからこの一連のシーンが、『ブレイキング・バッド』という超名作ドラマの中でも一番好きなシーンと言える。
 
 とりあえずホイットマンの詩を引用します

”When I Heard the Learn’d Astronomer”
『天文学者の話を聞いて(ドラマの字幕訳での題)』

When I heard the learn’d astronomer,
When the proofs, the figures, were ranged in columns before me,
When I was shown the charts and diagrams, to add, divide, and measure them,
When I sitting heard the astronomer where he lectured with much applause in the lecture-room,
How soon unaccountable I became tired and sick,
Till rising and gliding out I wander’d off by myself,
In the mystical moist night-air, and from time to time,
Look’d up in perfect silence at the stars.

博学な天文学者の講義を聞いたとき
私の前に証明や数式が列をなして並べられたとき
足したり引いたり測ったりするための表や図形を見せられたとき
教室に座って、彼の講義がいっぱいの拍手で包まれているのを聞いたとき
すぐに訳がわからなくなった私は疲れて気分が悪くなって
立ち上がってふらりと外に出て
神秘的でしっとりとした夜の空気に包まれて彷徨い、
時折、完璧な静寂の中で、星を見上げた。

 英詩に馴染みはないが、原文の詩はゲイルが声に出したくなるのがわかるくらい心地いい。
 朗読するなら前半の四行を段々早く読んで、一息吐いて、ゆっくり後半の四行を読む感じでしょうか。

 ゲイルはこの詩が好きで、純度が極めて高い覚醒剤を作るウォルターの素晴らしい仕事に向け、これを諳んじて贈る。
 覚醒剤の密造にこの美しい詩を引用されるなんてホイットマンも驚いているだろう。

 ゲイルがこの詩を好む理由もわかる。
 化学を魔法だと嬉々として話す彼は、おそらく化学者としてはエリートへの道を歩んでいたにも関わらず(この辺りの過去は触れられない)その道を踏み外した。まさに天文学者の講義を聞き続けていた詩中の「私」と同じく、「ふらりと教室を脱け出して外に出たくなった」だったのだろう。
 そして本当に魔法のように化学を駆使して芸術的なクリスタル・メスを製造するウォルターに敬意と感動を示すのだ。
 (ちなみにウォルターも「家族のため」というもっともらしい動機を語っているが、実は彼のメス製造への情熱はゲイルや詩中の”私”的な青臭い感情に拠っている)

 詩の内容に戻ると、この詩は一見すれば「理屈や座学なんかよりも経験する美しさ」を謳っているようだが、”私”がふらりと教室を脱け出して夜空の星を見上げるという美しい経験を経験できたのは、学者の小難しい講義に疲れて外に出たからである。
 つまり「講義受けてなかったらそもそも星空を見上げようともしなかったですよね?」と意地悪にも読めるところが好きだ。
 (これは、ゲイルが彼の能力でも十二分に高品質と認められるメスを製造できるのに、わずか数パーセントの純度の差のウォルターのメスに感服する理由と同じだ。化学を修めた人間でなければウォルターのメスとゲイルのメスの”美しさ”の差は理解できないだろう)

 だからむしろこの詩を読んで、「まず経験することの美しさ!」というよりも「その美しさに少しでも触れるためにはどう生きればいいのか」という方向で考えてしまう。
 こんな風に考えてしまうのは、もしかしたら、もう僕がすでに青春時代を終えているからかもしれないと思って、唐突にすごく寂しくなった。

 ここでこの文章を終わってもいいのですが、ここから蛇足の話。

 『ジュラシックパーク3』という、ジュラシック・シリーズの中でも一番話題にならない映画がある。

 その中で、主人公グラントの助手を務めるビリーという若者がいる。
 (また主人公の助手の話だ)

 恐竜の島で遭難中、このビリーが研究のために恐竜の卵を持ち帰ろうとして一行を危険に晒す。
 それに気づいたグラントは、一行を危険な目に遭わせたからではなく、”研究のため”に生命倫理についての意識を持たず卵を持ち帰るという浅はかな行為をしたことでビリーを叱責する。
(「かつて何も考えずにこのパークを作ろうとした研究者たちと同じだ」と酷いことを言ってしまう)
 しかし、ビリーがエリックという男の子を命がけで救い行方不明になってから、グラントがエリックに語る。
 「男の子は二つのタイプがいる。宇宙飛行士になりたいと思うか、天文学者になりたいと思うか。天文学者になりたい子は宇宙について詳しくなるが宇宙を実際に観ることはできない。ビリーは宇宙飛行士になりたかったのだ」
 そこで巨大な草食恐竜たちの群れが草原で暮らす雄大な景色が現れ、皆が見とれる中、エリックが
 「ビリーが正解だね」
 と言って、グラントも同意する。

 いやいやいやいや。
 ビリーの行為はあかんやろ。”ロマンチック”を使って、モラルに反した行為まで肯定するのは違うし、そこブレたらあかん。
 前述のホイットマンの詩のような例えを話しているが、ビリーの行為は美しい星空を観たいがために養生中の芝生を踏み荒らすくらいあかん。

 そう言いたくなるくらい、この会話はこの映画で一番さりげなく、しかし最大のツッコミどころだと思っている。

 インモラルな行為について肯定するとき、天文学者は槍玉に挙げられやすいらしい。

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